あれは11年ほど前のこと。
私は大きな組織で大きな役をいただいていて、細かいことに気を配り、代理で謝罪したり、挨拶文を書いたり、文書を書いたり、トップの代役として忙しくしていた。
労苦が報いられたのか、何事も紛糾することなく、その年度は円満に役を終えることができた。
険悪な関係に陥っていた大きな組織どうしをつなぐ役も果たした。
大役の代役(本来は家族♂がしなければならなかったのを私がした)をして、お役御免になり、さて、何もしなくてよくなったというとき、私は豊明の某所に赴いた。
そこに入院してから3日間くらい、私はコンコンと眠り続けた。
重いものを背負っていたので、誰にも愚痴を言わず、相談も慎重にし、とにかく円満を心がけていたのが一気に解放され、ちょっと精神的にハイになってしまっていた。
今思えば、かなり冷静さを欠いたわがままを表に出していたかもしれない。
家族♂にはもちろん、誰にも苦労話を話せなかった発露として、ふらぁと某所へ赴き、衝動的に治療をお願いしたように思う。
いざ治療という段で、薄れていく意識の中で、私は涙を一筋流してしまった。
これを見られてはいないかと恥ずかしくなった。
人知れずよく我慢してきたという思いと、私自身がかわいそうになって。
そんな私をわかってくれているご近所の知人は、
「何もかも黙ってやってくれたのよね」
と涙ぐんだ。
退院してからは、いつまでも熱が下がらず、一ヶ月ほど安静にしていた。
過労だったのだと思う。
知人の大企業の社長にこの話をしたところ、やはり社長も過労になり、入院し、3日間点滴をしたままコンコンと眠り続けたそうだ。
気持ちは「やれる」と意気込んだり、「やらなければならない」「自分以外に誰がやる」と強い責任感でつきすすんでしまったり、上からの命令でそうなってしまうと、過労に至るのは避けられなくなると思う。
残念なことに、我が家の家族♂は、過労になるまえに両手を挙げる(降参)ので、絶対に過労にならない。
その分、私にしわ寄せがくる。
過労になるとすれば、海外家族と私くらいなものだろう。
過労になるまで頑張って課題を終えても、すぐ次に課題ができるので、「何もなかった人生」とは、口が裂けても言えない。
ちなみに、この大役は、無償だった。
なので、歴代の真面目な方々には、何らかの不都合なことが起きていた。
私の前の前の代の方は一気に白髪になり、私の前の代の方は胃ガンで開腹手術、私の後の代の方は役を終え海外勤務になったとたんにお亡くなりになった。
だから、前の代の方の奥様は、「うちは金輪際関係ありませんから」と、ヒステリックにディフェンスし、引き継ぎもまともにできなかった。
なので、私は、全く真っ白な状態で、任務を遂行したことになる。
そして、ご多分に漏れず、私も過労になり、後々、つまり今のような私になる理由のひとつとなった。
家族♂は大黒柱なので家計の源。
この人を不健康にしたら我が家が傾く。
つまり、私が盾になった形、というより、この大黒柱が途中で放り投げたものをやるしかなかった。
お役目最後の日、
「貴女が貴女の名前で何もかもやったほうがよかったな」
と上から言われた。
最高のほめ言葉ではあったけれど、あれ以来、二度とかかわり合いたくはないと思っている。
どんな名誉なことであれ、歴代の方々に何らかの支障が表れているということは、何か腐敗した原因に翻弄されるからだ。
時代は移り変わり、人の様相も変わってきた。
ますます難しい職務内容になっていると思う。
* ただし、会議や大会の表舞台には大黒柱家族♂に出席してもらい、私は雑用の黒子に徹したんですよね。
大きな顔をして私が表舞台に立てば、出る杭を打つ方々はたくさんいましたから。
役割を折半し、余計な言葉を漏らさなかったことがよかったんでしょう。
何にせよ、裏方のほうが大変です