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午後のドラマスペシャル

捜査検事 近松茂道9-安寿と厨子王伝説殺人事件-[再] 

1/9 (月) 12:00 ~ 13:50 (110分)

テレビせとうち(Ch.7)

 

番組概要

赤い傘をさした豪雨の惨殺体!20年前の検事の正義感が暴く偽りの自白

 

番組詳細

戦後の本格推理小説界の巨匠・高木彬光原作の長寿シリーズ。変り種の検事・近松茂道(高橋英樹)が、持ち前の洞察力で奇妙な事件を解決する。新たな赴任先・福島県に伝わる童話“安寿と厨子王伝説”にまつわる殺人事件の真実とは…!?

 

福島地検に赴任した捜査検事・近松(高橋英樹)は、変死体で発見された宮川恭子(中村綾)の事件を捜査。事件当日の目撃情報や恭子の携帯電話に残された伝言メモから、被害者が何者かと待ち合わせをしていたことを掴む。そして、“タケシ”と名乗る青年が捜査線上に浮上する。タケシについて調べ始めた近松は、衝撃の事実を知ることに…。

 

【出演】

高橋英樹   益岡徹   熊谷真実   西田健   小嶺麗奈   崎本大海   中村綾

 

エンディングテーマ  「風に吹かれて」 

作曲:三宅一徳

 

https://www.webtsc.com/program/drama_afternoon/

 

 

 

「安寿と厨子王物語」

 

あらすじ

岩城判官・平政氏は平将門の子孫で、康保4年(967)に賊将か朝廷にそむいたときに、それを討伐した恩賞として奥州の津軽郡、岩城郡、信夫郡を賜つていわきに着任してきました。政氏には2人の子があり、姉は家臣・村岡重額の妻となり、弟の政道は父の後を継ぎました。この政道が、安寿と厨子王の父なのです。 岩城判官は、一代、二代と平和に暮らしていましたか、ある時、政道が、小山田での桜狩りの帰りに義兄である家臣・村岡重頼に殻されてしまいます。安寿と厨子王の不幸はこのときから始まります。政道が暗殺されてから、重頼が勢いを持ち、やがて安寿と厨子王は母と乳母、下臣らと住吉城を追われて長い旅路に着くことになります。まずたどり着いたのが、岩代国の信夫庄でした。ここは安寿らの母の故郷で、今の福島市にあたります。そして長和6年(1017)、朝廷の指示を願い岩城判官家の再興を計るために京都を目指し、ますば越後の国へと向かいました。森鴎外の小説「山椒太夫」はここから始まっています。「山椒太夫」は江戸時代に流行した「説教」のひとつで、寛永16年(1639)に刊行された「五説教」の中の「さんせう太夫」を原点として書かれています。 

 

信夫庄を旅立ち20日あまりの苦しい旅路の末、ようやく直江津(新潟県)に到着しました。が、安寿と厨子王たちはこの地で人買いに騙されてしまうのです…。

 

母と乳母は佐渡へ、安寿と厨子王は丹後の国(京都府北部)の山椒太夫へと売られてゆきました。安寿は海で潮を汲み、厨子王は山で柴を刈り、奴隷として苦しい毎日を過ごすのです。

 

物語の中に、2人を救う地蔵尊像の話か出てきます。安寿と厨子王が山椒太夫の屋敷で仕置きを受け、やけどを負ったときのこと。母から預かった家宝の地蔵尊像に祈りを捧げると、不思議や疲みは消えたそうです。この話の由来を持つ地蔵尊像が、いわき市の住吉山通照院に保存されています。

 

寛仁4年(1020)、安寿は厨子王を諭して山椒太夫の屋敷を脱出させ、自らは入水自殺を遂げます。厨子王は追っ手を逃れ、橋立の延命寺に逃げ込みます。そして親智和尚の計らいで京都に入り、閑院右大臣.藤原公季に数われ文武両道に励みました。 治安3年(1023)に平政隆と命名された厨子王は、3000余人の兵を引き連れて奥州を目指し、塩谷城(いわき市東田町)において村岡重頼を征伐し、長年の宿願を果たしました。京都に帰つた政隆は、朝廷より丹後の国守に任命され、奴隷を解放し、人身の売買を禁し、善政に励みました。一方、母を探して佐渡に渡り、盲目の母との再会を果たしたのてす。

 

老後の政隆は、家督を嫡男の民部大輔政保に譲って岩城に帰り、総本家にあたる相馬家繁栄の地に御所を設け、その地で余生を送ったといわれています。

 

http://www.ppn.co.jp/kannda/sakuhin/anjyutozusiou/anjyutozusiou.html