(2024年5月 部落解放同盟大阪府連合会 部落解放大阪府民共闘会議のリーフ、「狭山差別裁判」より 〜 5月水無瀬駅前で受け取りました)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240531/05/keikosimamoto/5b/c5/p/o1056076415445490454.png?caw=800)
「鴨居に万年筆はなかった」、、の中学校
道徳教育、「地元集中受験運動」などの
だけでなく、以後、
大阪で強く進められた「統合教育」
「統合保育」がもたらしたもの、
については、
その後、約25年ほど前、
手をつなぐ育成会も
ある発行物で、
「ダンピング=投げ入れ」という
キツイ言葉で表現していたこと
今で言う支援教育は、本来
訓練された、または、専門教育を受けた
教職員、保育士さんがいてこそ、ですが、当時はそうではなく、
大阪市の訪問相談員時代に
経験も専門訓練もなく
困惑の中で、支援学級の
担任をもつ先生方と何人も出会ってきました。(続く)