5月22日投稿の続きです
(2024年5月 部落解放同盟大阪府連合会 部落解放大阪府民共闘会議のリーフより)
大阪府島本町立第1中学校
特に3年生の道徳の時間に
「狭山差別裁判」という名称で
授業は進められました。
なので、「鴨居の上に万年筆はなかった」という
言葉は今も私の記憶に鮮明です。
さらに、高校受験に向けた
「地元集中受験運動」があり、
泣きながら 〜 勉強できる人を
島本高校受けさせようとするよりも、
公立高校に、どうしてもいきたい私達を
島本高校に行けるようにしてほしい!〜と
涙ながら訴えるクラスメイトに
当時の道徳教育では
とても納得いける説明はなかったと記憶。
周りを蹴落として進学校に行きたいのか?と
言われ、後ろめたさを抱かされる、
私学専願へ進路変更、
進学校と言われる公立を
受験するために、
願書提出ギリギリまで懇談同和問題を避けて通る、
疑問を言っても仕方ない諦め
自分は差別者なのか、、忌避感情につなかる結果を
もたらしたのでは?〜、と
2002年、総務文教常任委員会で
同和事業は一般福祉施策で、とする
同対法の終結に際し、
大阪府の実態調査を引用し質問しました。
何よりも、、(続く)