ボウリング、得意?不得意?
私は、ボディーのボウリングは、大いに得意です。
上半身も、下半身も、深く、激しく、更に奥深く、ボーリングします。
あはは。
今回は、肉体のボーリングの話です。
日本では社会の最底辺でも、世界的に見れば大変に恵まれた状況だけど、様々な痛み・苦悩をかかえ、幸せを見いだせず、絶えず不平不満を口にする人が多いわ。
それは、
文明社会を構成する個人個人は、自らを虚飾によって殻を作り防御して、法律や道徳などという市民社会の建前を武器に使いながら、他者や他の環境をコントロールすることに明け暮れ、結果として自らも他者や他の環境から同様にがんじがらめに管理されているからよ。
物理学でいう、作用反作用の法則ね。
こんな中では、個人としてのアイデンティティ確立・維持が困難となり、生きる意味とか生き甲斐とか、使命とかが見いだせなくなっていることが根本原因とおもうわ。
だから、こういった虚飾や自身の殻を、自らまたは他が強制的に取り払って、裸になることが、真実の幸せを見いだすのに不可欠なことなのよ。
そうした中でこそ、自らも他者も、成長や進歩があるのよ。
けれど、本音の心を隠すため、市民社会のルールを巧みに使い、自ら虚飾や殻を作って建前を装っているため、自己矛盾を抱え苦悩しながら生きているにもかかわらず、虚飾や殻を自ら打ち壊すことは、現実のところ非常に困難よね。
不可能に限りなく近いわ。
だから、他人からの、強制的暴力的作用が必要になるってことよ。
たとえば対等の人間関係だったら、盟友、親友、欄室の友といった善友。
上下関係があるものなら、子供なら親、生徒なら先生、後輩なら先輩、部下なら上司、弟子なら師匠。
こういった、自身の虚飾の殻を、強制的に、時には暴力をつかって破壊し、真実の自分の姿と心を目の当たりに見せてくれる存在が、幸福になるためには絶対に必要不可欠なのよ。
時には、転変地変・自然災害などが、これに取って代わって役立つこともあるし。
さて、本音を隠すための虚飾や殻を取り払い、裸になった自分には、いったい何が残っているのでしょうか。
ふと、心に問うてみると、
実は、これこそが、自身のアイデンティティの根幹であり、生命の尊厳部分であり、自身の価値でもあり、幸福でもあるとおもう。
くだらない・つまらない自分に気づいてうんざりするだけなのか。
新たな、素晴らしい、価値的な、誇れるものを見いだせるか。
私が、ブログで展開したいことの一つが、ここなの。
さて、
前置きが、長くなったけど、
裸になってみる(裸にされた)とき、自分は、どんな感覚なのでしょうか。
考えてみる。
感覚は、代表的なのは五感。
私たちは五感によって生きている。
視覚(sight)、聴覚(hearing)、嗅覚(smell)、味覚(taste)、触覚(touch)
それを統合する意識(conciousness)、そして無意識(unconscious psychic thinking)
これらは、生命本源の欲望によってコントロールされているわ。
(詳しくは、日蓮大聖人の仏法に、その本質が説かれている。)
その欲望の根源的なものに、自己複製欲がある。
食欲・性欲・睡眠欲・排泄欲などの生理的欲求なの。
これが満たされれば満足・快楽(=幸福ではない)を得られるように生命はできている。
それを満たすため、感覚をそなえて周囲の情報を得たり、自らの快楽・満足を得るために使ったりしている。
あ、これは、某アメンバーさんへの対抗意識もあって、再び前置きが増えてしまったわ。
食欲・睡眠欲については、別の機会として、
性欲・排泄欲を満たすための感覚について、考えてみた~い。
前記の五感をそれぞれ英訳の頭文字をとって、Si感覚、H感覚、Sm感覚、Ta感覚、To感覚とする。
このルールにもとづいて、P感覚、V感覚、A感覚、C感覚、G感覚、そしてU感覚、D感覚を定義しよう。
あえて解説は不要と思うが、分からない方は、コメントでご質問ください。
現実に裸になってみる(裸にされた)とき、自分は、どんな感覚で目の前の他人と向き合うのかな。
たとえば、稲垣足穂著 「少年愛の美学」には、P感覚、V感覚、A感覚について理論が展開されているので、参照してください。
P感覚、V感覚、A感覚は、骨盤底筋群をコントロールする神経と対応している。
すべて、鍛えることが必要で、開発がなければ快感・快楽は得られない。
メンタルな部分と相互に密接に関連する。
しかも、幼少期から、開発が始まっている。
もっといえば、今世の自身の肉体の始まりである受精の成立すら、性欲・性的欲望の充足とみなせる事実であるから。
精子は、卵子の細胞膜(=自身の殻)を突き破って侵入し、その中心部分(=核)へ侵攻して結合する。
卵子は、精子によって犯されるのよ。
こうして、私の肉体の始まり=原点ができる。
処女膜だって、突き破られて、交尾が完了するわ。
パタイユによれば、エロティシズムは、禁止の設定と、それを侵犯することであると言っている。
まさしく、そのとおりで、汚い恥ずかしい排泄部分は隠すという掟と、それを破るという順序で交尾が成立している。
しかも、侵犯の内容や過程が、さまざまな道徳などの禁止されている掟を犯す度合いが大きいほど、その達成感・満足感・支配感・快楽は大きい。
強姦罪は言うまでもなく、盗撮・露出や痴漢犯罪がなくならないのも、こういった根源的なメカニズムであって、文化文明が発達してコントロールされつくさればするほど、それを破り犯す快感が大きくなるからなのでしょう。
社会生活におけるファッションやパッションも、エロティシズムと一切関係しないものは存在しない。
骨盤底筋の鍛錬と、仙骨神経叢~腸骨鼠経神経・陰部・肛門神経などは、訓練によって開発される。
これが少ないか衰えてくると、脱肛・肛門脱・直腸脱・子宮脱・膀胱脱の原因。
便秘・頻尿・尿閉を引き起こす。
宿便を毎日出しておく努力が必要。
そのほうが肌もきれいになるし、正確には肌が汚くなる原因物質の発生が抑えられ、それらが大腸粘膜から血流にのって全身に運ばれ血管の老化や皮膚の代謝に悪影響を及ぼすのを防げるし、直腸がんのリスクが下がる。
オーガズムをはじめとする、性欲を満たす快感は、仙骨神経叢~腸骨鼠経神経・陰部・肛門神経などが、同時に担当していて、排泄の達成に、大いに関係している。
不要で汚いものを抱える不快感の後、排泄が満たされた達成感、これらが、文化的要素の修飾もあって、背徳感・タブーを破り、掟を侵犯する快感と重なり、性行為における快感は開発され増していく。
そして、なんと、オーガズムは汚いものと表裏一体。
性行為での得られる快感は、他人にあらわにしてはいけないという掟の排泄と同様、文化的なタブーの設定と、そのタブーを破ってこそ、得られるという。
この快感無くしては、単なる排泄感のみに陥ってしまう。
男は、自分の体、とりわけ陰部は汚いと、おおむね思っている。
Chinkasuがたまっていることもある。
縁あって一夜を共にしたパートナーが、こんなとき、私は市販のアルコールをスプレーしてやる。
インキンタムシ(陰部白癬)には、イソジンやヨーチンで乾かすと、痛いけど乾いて治る。
あとに色素沈着で黒ずんで、使い込んだ陰部のようになるから、なおよい。
性行為において、骨盤底筋の役割は、とくにV感覚・A感覚を得る為に重要だ。
迎え入れたPをいかにおもてなしするか、いかに責めるか、自身の体の中でどのように料理するか、優しく大胆にしごくか。
筋の弛緩収縮のリズム・タイミングをいかに取るかによって、VやAが名器になるかどうかがきまり、自身のV感覚・A感覚の深さ・素晴らしさに跳ね返ってくる。
単なる受け身だけでは、なかなか得られない感覚。
ところで、私のようなGIDには、対立する性の感覚が、性器がないため得られないばかりか、そもそも知り得ない。
私の肉体は女だから、そもそも射精によるオーガズムや、その後の虚無感なんて、知り得ない。
だから、私なりに開発を試みている。
具体的には、FtMにはV感覚(G感覚も含む)・A感覚は自己開発により得られるが、P感覚が得られないし、射精した後の無力感・虚無感・脱力感なども知らない。
C感覚がP感覚の代用と言ってもいいかもしれないが、射精そのものが不可能である。
MtFは、P感覚・A感覚は自己開発により得られるが、V感覚は得られないし、A感覚の開発が乏しければ、その他の修飾を補ってもなお普通の男と同じ、P感覚が性交の主な快感であるにすぎず、射精時のオーガズムはその後短時間で終了し、射精した後の無力感・虚無感・脱力感などに移行する。
ところで、両者に共通しているのはA感覚。
これはGIDに限らず、普通の男女すべてに備わっている。
ただし、開発が必要。
この開発や修飾の手段が、性であり個性そのもの。
アイデンティティの根幹をなす。
SM、スパンキング、露出、フェチなどなどの、性的嗜好。
LGBTも、こういった個性の範疇なのよね。
私は、プロレス技、SM、スパンキングが、これらの開発に、役立つと考えている。
最大の障壁は、それをいかに建前上で合法で行うかなのだわ。
ちなみに自身の例をあげると、
私の一つ年上の兄は女装コスプレ趣味のLGBT。
私は早熟で、小学4年で初潮をむかえてたけど、中学1年の時、兄がカミングアウトしてきた。
幼いころからよく互角にケンカをして、プロレス技なんかも、兄妹でかけあっていたけど、
兄はチビで、私は小学3年のとき、身長で兄を追い抜いてたわ。
急所攻撃なんかも、よくやりあって、じゃれあった仲だった。
私のパンツやブラをつけてあげたり、メークをしてあげたわ。
ブルマーもミニスカートも貸してあげた。
中学になってたから、制服を取り替えて、二人で出かけたりした。
なんとも、世間の常識では、なんとも言いようがない倒錯した兄妹だったが、親もしっかり把握していて、(すぐにバレて)
そんなこんなで、私は身近に、男の体を知ることができ、兄も女の体を知ることができてた。
兄は、ずっと、マスターベーションに嫌悪感をもっていた。
汚い行為と思い込んでいた。
彼女がいるわけでもなかったから、私に悩みをうちあけたってわけ。
高校になってから、私が彼女を紹介することになったけど。
しかし、射精にはちゃんとオーガズムがあって、その後に襲いかかってくる嫌悪感・罪悪感に悩んでいた。
しかし、それは良いことなの、当たり前のこと、生理的な事なの。
悪いことではないと指導する情報もあるが、悪いことと認識していることが、オーガズムの条件であり、これこそエロティシズムの本質、生命の本質なのよね。
人間社会は、この快感を増幅させるためを知ってか知らずか、倫理・道徳を決めて秩序を保ち文明を形成してきた。
エロティシズムの本質と、建前上の秩序とは、矛盾する正反対のベクトルをもっている。
話は戻って、兄にはもともと、A感覚はなかった。
そもそも、性感であるV感覚やP感覚でさえ、最初から目覚めているわけではなく、最初は痛みや不快感でしかない。
そしてそれらも、その後になんらかのエピソードや、鍛錬や開発によって、培っていくものなのだから、A感覚では、なおさら。
最初のころは、P感覚はそれなりにあったから、最後の締めくくりまで、できるかぎり我慢させた。
そして、その我慢させながら、同時にA感覚を開発し培って、いかせた。
私の彼氏(彼も、女装させて、いかせた)に使った方法で。
彼も兄も、やがてA感覚で、いくようになったわ。
射精なしでも、射精してからでも、私と一緒なら、いくようになった。
A感覚は、肛門括約筋が無理やり拡張される痛み快感と、その先の前立腺(Prostate)を圧迫される感覚、さらには、その奥の精嚢(seminis),直腸S状結腸を圧迫される感覚がある。
これらが、開発により性感と巧みに結びつけることができる。
肛門から4~5cmあたりの膀胱側のふくらみは、女性のVのGスポットに相当するもので、前方や頭側方向などへ圧迫すると、尿意や排尿時痛に似た独特の痛みがえられる。
これが性感と結びつけると、たまらない快感となる。
痛みが快感に変わる、苦痛即快感の絶好の例である。
LGBTでは、例えばゲイにおけるウケ、レズビアンにおけるネコが、病みつきになる快感。
M男でも、この感覚を開発している人も多い。
ここを、Pスポットとでも名付けようか。
残念ながら、私の女性の肉体では、前立腺がないのでPスポットはないわ。
そのかわり、女性にはGスポットがあり、おそらくPスポットと同様以上の快感をもたらしている。
解剖学的に神経支配領域が重なっているから。
このことで、類推するしかないけど。
女性におけるA感覚は、肛門括約筋拡張感とD感覚とともに、やはりGスポットの支配神経が膣壁や膣筋を回って直腸全面まで伸びてきているからなのでしょう。
さらに奥の精嚢感覚(Se感覚)はひとしお。
女性における子宮感覚(U感覚)である。
しかし、いずれも、開発によりけり。
だから、私が兄や彼氏と勝負するとき、まずは最初の勝負で一回、私の肉体(VかAかOかH)の中で抜いてから、さらにその後、開発中の新兵器をいくつも使って連続攻撃をし、いかせたままにする。
そして、私の肉体も、私の思い通りにさせて、操る。
私は、男を操って、男に支配され、オーガズムを得る。
これが、なんともたまらない、支配感・達成感を私はいつも得ていた。
やがて、M女も、これを使って操る。
経験を重ねて言えるけど、最初に抜くときの男のオーガズムは鋭く短時間で果てるけど、その後、Pスポットを突くオーガズムは、スローに立ち上がって昇天し、その後もピークがとても長く続く。
そして、10~20分経ってから、刺激攻撃された前立腺からでる分泌液(精液)が精嚢に少しでもたまれば、再び抜くことができるのよ。
つまり、何回もいかせる。
そして、何回も、抜くのよ。
何回も抜いてあげる。
何回も敗北感を味合わせ、支配する。
女性の、潮吹きと似ている。
でも、正直に言わせたら、この敗北感・被支配感・一体感が、たまらないらしい。
私も、いかせられたら、そう感じる。
これこそ、オーガズム。
まさに、精子が卵子を犯した瞬間。
卵子が精子を受け入れた瞬間。
今世の、肉体・ボディーの始まり。
こうして、縁深い貴重な一夜は、背徳感・恥辱感・罪悪感を味わわせながら、自分も味わいながら、長く、何回も、オーガズムを得る。
若いことはいいことよ。
これが、中年になると、回数が減ってくるらしいよ。
バイアグラなど飲んでても、ダメらしいよ。
男は単純でいいなあ。
抜いて、そのあとAを攻めなければ、それで終わりなんだから。
私は、深夜に病みつきになった彼氏を攻めるのに疲れたときは、最後に抜いたあと、Pをピンコして終了宣言をするの。
ところで、
男の娘でも、A感覚がなくって、P感覚のみって人もいるし、女の子でもA感覚が無い子もいる。
思い返すと、私は、A感覚やC感覚は、初潮の前、もっといえば幼稚園のころからあった。
幼稚園の時から、オテンバで、プロレスごっこやお医者さんごっこが好きだったから、いつも友達からエッチ・スケベっていわれていたわ。
先生から、お尻叩かれたこともあった。
むろん、父や母からは、よく生尻たたかれていた。
だから、そのころから、その痛みと快感に目覚めている。
っていうか、痛みを快感に変える回路が、ボディーとメンタルのなかで、ある程度できている。
これも、日蓮大聖人の仏法を実践したことが影響していることは事実。
煩悩即菩提とは、このことでしょう。
その痛みと快感を得る為に、故意にいたずらしたり、場の外れたことをしたり、友達にエッチな攻撃をしたりしていた。
電気あんまとか、クロッチクローとか、友達にやったり、わざと友達からもやられるように仕向けていた。
医者やプロレスラーにはなりそこねたけど、性器学博士でもなれるかしら。
それには、鍛錬、つまり禁止を犯す実践が必要。
そうやって、相手も自分も、裸での真実の幸福と自己実現を成し遂げ続けていく。
虚飾と建前でがんじがらめの文明の中で、生きて幸福になっていくためには、
問題は、いかに建前上合法の範囲で、適切なパートナーと、それを実現していくかなのよ。
