人は色々な面があるし、意識していなくても、その場その場でキャラクターというか、外側に出る自分が大なり小なり変わりますが、そのこと自体は、そうやって自分の心を守っているところもあるので自然なことだと思います。

 

そして、その場のキャラクターや、役割によっても発言や志向が多少変わったりすることもあるかもしれません。

 

いろいろな面があったり、軸がぶれるようなとは珍しくないし、近しい関係の中であってもすべてを見せているわけではなかったりするし、そもそも親子でも、家族でも別人格である以上、100%すべての想いを他者と共有できたり、わかってもらったり、本音を言えている関係というのは現実的ではありません。

 

それでもそうやって、それなりに、関係を作っていくのが人と人。

それでいいんだろうと思います。

 

昔から、親しき中にも礼儀あり、というように、家族であっても、恋人同士で会っても、親子であっても、発言にも態度にも気を付け、思いやり、気を配り合うのが良い関係の第一歩でしょうし、適切な距離感というものは大切なんだろうと思います。

 

ただ、あまりにもキャラクターが違っていたり、発言や志向に一貫性がなかったり、言ってることとその裏側から伝わってくるダブルバインドなメッセージがあると、周りのひとは少々困ったり、振り回されたり、悩まされたりすることもあるかもしれません。

 

もちろん一緒に暮らしていたりして、巣の自分でいられる場面や気が抜けているとき、リラックスしているときまで自分の行動や発言に気を配っている人はそんなにはいませんし、多少であれば健全な範囲なのですが、中にはそのずれやダブルバインドなメッセージが相手に影響してしまっているケースに出逢います。

 

以前自分の容姿に悩んでいた学生さんの支援の過程で、彼女が気づいた思い込みのひとつに、痩せていないと愛されない、痩せていろいろな服が着られないと価値がない、というようなものがありました。

 

そしてその背景には、子どもの頃から、テレビに出てくるモデル体型の女性を見る母の発言があったのですが、母自身は表向きは(ご本人もそう信じておられるようでした)、「人は容姿ではなく内面に価値がある」というような考え方の人でしたので、自分がテレビを見ながらそんな発言をしていたことに母自身も衝撃を受けておられましたし、そんな些細なことが娘に影響していたなんて、、、とショックも受けておられました。

 

日ごろは、あるいはちゃんと向き合って話をするときのメッセージと、ふとした時のメッセージがずれていたことに、本人だけが気づいておられなかったようです。

 

このケースに限らず、こういうことってよくあることかなと思います。

 

例えば先ほどのようなテレビを見ながら、あるいいは運転をしながら、時には何気ない瞬間、ふとした瞬間に出たひと言や何気ないつぶやきにこそ、その人の本音は隠れていると思っています。

 

会議や正式にお話をするようなときよりも、ただお茶を飲んでいるようなときの雑談のほうがその方の本音や本心が見え隠れ瑠ることは珍しくありません。

 

冒頭にも述べたように、そのこと自体は自然なこと。

 

人は多面的であり、自分でも気づいていないような自分がいたり、変化していたり、気づかないようにしていたり、無意識があったりするものです。

 

ただ、そういう自分がいることやそういうことが起きていることを知っておくことは大切なことなんだろうと思っています。

 

特に支援者の立場にいるような、あるいは人と関わる立場や状況においては大事なことだと思います。

 

そうしないと、そして何かあったとき、誰かにそれを指摘されたときに素直に受け入れたり、そのことを冷静に分析したり、行動変容につないでいくことが難しくなるんだろうと思っています。