子ども達はよく「みんな○○してる」「みんな△△なのに、××なのは自分だけ」というようなフレーズを使います。

 

ここでいう「みんな」とは、実際のところ子ども達の仲良し数名であったり、クラスメイトのうちの数名程度のことがほとんどですし、3名程度をもって「みんな」とそうしている場合もあるのですが、

 

小さなコミュニティの中でいきている彼らにとっては、本当に「みんな」という感覚でしょうし、その小さなコミュニティとの比較やそこからの情報が唯一かつ非常に重要なものだったりするので、その表現も間違ってはいないかなとも思います。

 

けれど、徐々に成長と共にコミュニティが広がり、所属する場所も関わりをもつ相手の数も増え、いろいろな人と関わり始める中で、「みんな」の定義や感覚が変わっていき、不特定多数の大勢であったり、社会であったりを「みんな」と賞するようになっていくように思います。

 

いずれにしても、自分と言うより他者・外界と自分を比べながら、自分の立ち位置やさまざまなものを図っていくという点では一緒なのかもしれません。

 

ただ、成長と共に、周りの意見を大切にしたり、周りと協調的に生活することが求められると同時に、「自分はどう思うのか」「自分はどう感じるか」「自分の考えはどうか」という「自分」に意識を向けていくことが求められる場面が増えていきます。

 

みんながどうなのか、

みんながどういうのか、

みんながどうするのか、

 

ではなく、

 

自分はどうしたいのか、

自分はどう思うのか、

自分はどうするのか、

 

という意見や態度、考えなどをしっかり持ちつつ、周りの意見等も取り入れながら、バランスをとる力が求められるようになるわけです。

 

そこには「自分」あるいは「自分軸」がとても大切で、でも同様に相手には相手の「自分」や「自分軸」があって、その両方を大切にしていくことが、重要になっていきます。

 

これが子ども時代とは違う「大人」のひとつの指標のようにもかんじます。

 

とはいえ、簡単なようで、なかなか難しいもの。

 

まずは、口に出したり、相手に伝えたり、双方向に話し合って落とし所をつけるような高度なやりとりの前に、

 

自分の気持ち、自分の考え、自分の感覚、のような「自分」と向き合うところから、そしてそれをちゃんと大事にしてあげることからやってみる必要があるのかなと思います。