昨今国は、子どもの「第三の居場所」づくりを進めようとしています。
家でもない、学校でもない「第三の」居場所。
自由に、その子らしく、自然体で、居心地良くいられる居場所。
大人で言えば、家でも職場でもない、自分らしくいられる場所だと思いますが、例えば習い事や仕事帰りのジム、昔からの友人との時間など、毎日ではなくても、そういう居場所があれば頑張れるし、元気でいられるし、いくつになっても、そういう居場所って、本当に大事だと思います。
けれど、実際は、子どもだけではなく、年齢関係なく、そういう居場所がない人達がとても増えているように感じますし、そもそも子どもは自由にいろんな場所には行けないし、いろんな人ともつながれないし、所属しているコミュニティも小さく、少ないし、どうしても大人の管理下に置かれた「居場所」しかありません。
でもその大人との関係性につかれていたら、あるいは大人の管理下にあることがしんどさの一番の要因だったら、、、居場所はどこにあるんでしょう。
考えるだけでも、想像するだけでも、本当につらいことだと感じます。
また、表面的には、物理的には居場所があっても、心がほっとできたり、落ち着けたり、素の自分でいられたり、そういうありのままの自分を出せて、受入れてもらえる「心の居場所」がないということは、とてもしんどいし、生きている意味のような者も感じられなくなってしまうように思います。
よく、大人になることを船出に例えられますが、船出は危険も多く、楽なことではありませんが、自分でコントロールしていけるし、自分で進路を選べるし、船出しない、あるいは停泊することも選ぶことができます。
けれど、選択権のない小さな湖で浮いていることしか許されない環境や、その湖にすら出してもらずに岸に縛り付けられているような状況、船すら与えてもらえない環境は息が詰まるようで、生きているけれど、生きている感じはしないかもしれません。
「どこにも居場所がない」という子どもたち、若者の実態をもっと大人側が知らないといけない。
そして、あらたな居場所を作るだけではなく、今ある居場所が本当にこれでいいのか考え、変えるべきは変えていかなければならない、自分だけが居心地が良い環境ではなく、そういう子どもたち、若者も、居心地が良いと感じられるような環境を作っていかなければならないと思います。