以前関わっていた高校生が、ちょっとしたきっかけでアルバイトを辞めてしまいました。

 

けれど、そのあと落ち着いて考えたところ、「やっぱり続けたいな」と思ったようですが、一度やめてしまったのに「やっぱり続けたい」というのは言いにくいし、怒られそうで怖いし、「勝手なやつだな」と思われそうだし、、、など、いろんなことが頭をめぐって悩んでいました。

 

その気持ちに寄り添いつつ、どうしたいのか確認すると、答えはやっぱり「続けたい」というものでした。

 

その後、伝え方やそれに対して考えられるいくつかの反応、その反応ごとのこちらの対応、などを一緒に話し合い、その方はドキドキしながらも勇気を出して気持ちを伝えに行きました。

 

後日、少し叱られたけれど、ちゃんと気持ちを伝えられたし、相手もその気持ちを受け取ってくれたこと、もし今後同じような気持ちになったら「やめる」と決める前に「相談する」という方法をとってほしいといわれたこと、そして本人もそれが必要だったと反省したこと、一度やめてみて気づいたこともあったこと、などを自信に満ちた表情で話してくれました。

 

この場合、アルバイトに復帰できたことが「よかったこと」ではありません。

 

その子が、辞めると戻りたい、という場面を通じて、

 

自分自身の葛藤と向き合うという経験ができたこと、

感情に任せた選択をしたことが自分にどのような反応や感情、葛藤ともたらすかを経験できたこと、

感情は、時間とともに変わることもあること、

誰かに相談することで新たな気付きや方法が見つかることを経験したこと、

伝えたいことと伝えた時の反応が違うことを学べたこと、そしてそれでも伝えるという練習ができたこと、

露払いされた道、整えられた舞台ではなく、相手の反応がわからない中でもチャレンジできたこと、そしてそのチャレンジできた自分に自信を持てたこと、

そういう経験をする前と後では、みえる世界が違うということ、

 

などを経験し、気付きを得て、大きく成長できたことに意味があって、たとえ相手が受け入れてくれなかったとしてもそこから学びを得ていたと思うのです。

 

よく、人生は楽しいことだけでは成長しない、それだけでは学べないといいますが、つらいことや悲しいこと、失敗からしか学べないことがあることは、頭ではわかっていても、子どもを目の前にすると、できるだけ前者の経験だけをさせたい、つらいことは経験させたくないと思ってしまわれる方がおいでになります。

 

そう思うこと自体は自然なことですが、それを行動にしてしまうと子どもは学びや経験の機会を失いだけではなく、自信が育たず、不安だけが膨らみ、結果として自分の足で歩いていくことができない大人になってしまいます。

 

良かれと思って、愛情が故の過干渉、過保護が、望んでいたのとは真逆の未来を引き起こしてしまっている。

それは親にとても子どもにとっても残念なことです。

 

実は冒頭のお子さんも親さんがバイト先に言いに行こうとされていました。

それを止め、本人にさせてみることを勧め、見守ることの意味や信じることの大切さを改めてお伝えし、結果としては親さんが思っていた以上の行動ができた本人のことを、驚き、喜び、お子さん以上に親さんにとって大きな財産となる経験だったようでした。

 

子どもの可能性は無限大です。

 

確かにできないことも多いし、失敗もするし、赤ちゃんの時は守ってあげないといけない存在ではありますが、親が思っている以上に成長するし、吸収するし、リカバリーできるし、自分を信じる力を持っています。

 

何かしてあげるほうが、大人のほうが安心できるし、見守るってその間のモヤモヤや不安に押しつぶされそうになりますし、失敗した時の悲しんでいる姿や打ちひしがれている様子を見ると胸が引き裂かれるような気持にもなります。

 

けれど、だからといって、それを肩代わりしたり、省いてあげたり、見かけの成功体験だけをあたえていても、いつかはそのメッキは剥がれ、本当の大変さを経験し、乗り越えなければならなくなります。

 

大人の不安は、子どもに向けるのではなく、友達や専門家などの大人にぶつけて、子どもに対してはどーんと構えていてあげる必要があると思うのです。

 

このお子さんのように、自分でリカバリーできた経験は、その子にとって、のちのちの大きな財産になるのですから。