人は誰しも、会社の○○さん、という立場だったり、××さんの妻(夫、娘、母、父など)のような立場だったり、素の自分自身ではない立場や役割、キャラクターのようなものを背負って生きていますよね。

 

例えるならそれは、着ぐるみを着るようにある種の役割を演じているというか、になっているともいえると思います。

 

そして着ぐるみを使い分けながら生活していますが、時にそれが、自分の人生の大きな割合を占めたり、その着ぐるみを脱ぐタイミングがわからなくなってしまったり、脱ぎたくても脱げない状況になってしまっていたり、「素の自分」「ありのままの自分」に戻れずにいる方がおられるように感じます。

 

会社を退職したり役割を手放してもそこから離れられずにいたり、誰かのために尽くすという役割を担いすぎて自分のことを後回しにしすぎた結果疲弊してしまっていたり、良い人という着ぐるみにがんじがらめになって本当の気持ちがわからなくなっていたり、着ぐるみの着脱がうまくいかず、着ぐるみにコントロールされてしまっている・・・

 

それってとてもしんどいことだなと感じます。

 

着ぐるみの中の「自分」がしっかり保てていれば、何かの役割を手放すのも不安を感じないでしょうし、場合によっては新たな着ぐるみとの出逢いを探したり、探すことにワクワクしたりすることもできるでしょうし、誰かのためではなく自分のために何かをすることもできるかもしれないし、

 

例えば仕事上の自分への評価が思ってほどではなくても、「本当の自分はここにはいない」とか、「今の仕事上の評価はあくまで今の会社の自分に対するものであって、自分の一部でしかない。自分への評価ではなく、会社の○○さんへの評価にすぎない」とか、「例えこの場所で輝けなくても他に居場所があるはず」などと考えることができるかもしれないし、

 

例えば仕事上で理不尽なことを言われたり理不尽な目に遭っても、もちろん傷つきはするかもしれないけど、「私個人に言われたのではなく、会社の○○さん、という立場に言われただけだから気にしなくても良い」とか、「私個人じゃなく、会社の○○さんという役割に対しての言動なのだから、家に持ち帰るのはやめよう」とか、

 

少し切り分けて考えたり、対応することもできるかもしれません。

 

もちろんそんなに簡単ではありませんが、少しでもダメージを減らすことはできると思います。

 

実際、仕事や何かの役割における評価等は、「わたくし個人」の人としての価値には全く関係なく、もし仕事や何かの役割でうまくいかないとしても、「わたくし個人」の人生がうまくいっていないわけではありません。

 

あくまで環境との折り合いが悪かったり、役割とのミスマッチだったりにすぎないわけで、そこでうまくいかないなら、別の環境を選べば良いだけだと思うのです。

 

相談場面では、懸命に役割や周囲の思い等に応えようとしておられる方に出逢います。

 

それが生きがいで、それをしている自分が大好き、そのことが自分の喜び、という方は「わたくし個人」が選んだものだから良いと思うのですが、

 

本当の自分はイヤイヤなのに、着ぐるみの自分が必死に頑張っているという状態を見ると、「そんな着ぐるみは捨ててしまえばいいのに」と思うこともあります。

 

けれど、そんな簡単に捨てられないからつらいんですよね。

 

せめて、時々自分の意思で脱いでしまったり、着ない日をもうけたり、着ていても中身まではもっていかれない、自分を保つような意識や境界線は大事なのかなと思います。

 

自分の最大の味方になってあげられるのは自分。

自分の声を一番聴いて上げられるのも自分です。

 

ぜひ自分に還る時間を大切にして頂きたいなと思います。