三猿で有名な「見ざる、聞かざる、言わざる」は、子どもに対しては「悪いことを見たり聞いたし話したりしないで、素直にまっすぐ成長しなさい」、大人に対しては「余計なことを見たり聞いたり話したりしない方が良い」という、悪いものには流されないための教訓を示しているもので、もともと論語の中にある言葉からの出典だそうです。

 

「余計なこと」とはどのようなものかというのは、多少人によっても違うかもしれませんが、例えば人の噂や悪口もそうでしょうし、何かあまり良くないお誘いや悪事かもしれないし、そんな他者との関係や特別なことではなくとも、自分の中にある、他人の評価が気になりすぎるところや、誰かのことを気にしすぎる傾向や、人と比べてしまう癖や、そういう自分のなかの「余計なもの」なのかもしれません。

 

とはいえ、人の感情は複雑ですし、気持ちやエネルギーにもなみがあって、達観した人のように三猿を実現することは難しいかもしれないとも思うのですが、心がけて、できる限り実践することは可能かもしれないなと思います。

 

例えば、自分のお仕事や日頃の言動に自信がなくなって、いろんな人のいろんな声や評価が気になってきたとき、そういう人達からの声や評価を「見ない」「聞かない」(気にしすぎない)ようにして、自分で自分を責めたり批判するような言葉を「言わない」ようにすることで、少しだけダメージから回復できたり、エネルギーが戻ってくるかもしれません。

 

例えば、近所づきあいや親同士の付き合いの中で、噂や陰口などの対象になったとき、そういう人達の言葉や声を「見ない」「聞かない」ようにほどほどの距離を保って、でも自分がそういう人達と同じ土俵には乗らず、悪口や陰口を「言わない」ようにして、やるべきことをせっせとやっているとちゃんと見てくれている人や理解者が現れたり、噂や悪口でつながっていた人達に何かが還っていったりする、なんてこともあるように思います。

 

私自身もできた人間ではないので、三猿を実行できているわけではありませんが、できるだけそうありたい、そうあろうと心がけ、余計なことに心乱されないように暮していきたいなと思っています。