先日、とある記事にとても感銘を受けました。

 

宇多田ヒカルさんがラジオ番組の中で、リスナーさんの質問に回答したことに関する記事です。

 

(元記事)『宇多田ヒカル 子育てをして本当の自分を発見した話』ーmiyearnZZ Labo

 

もうすぐ出産を控えているというリスナーさんから、こんな質問があったそうです。

 

「子供中心の生活になることで自分らしさを失うのではないかと不安に感じます。ヒカルさんは母親としてのご自身と、1人の人間としてのご自身をどう考えられていますか?」

 

この質問に対する宇多田ヒカルさんの答えが、現代を生きる女性すべてに必要なことではないか…と私は思えました。

 

「私は……わかるよ。その、母親であることが一種の没個性的な、「母親」っていうふわんとしたイメージの海の中に放り投げられるみたいな感じ。みんなが同じになるような、ひとつのイメージっていう。でも、それもわかるし。最初って本当、大変だから。もうなんか、普通の思考ができなくなるし。自分を見失いそうになったっていうのもすごい感じたんだけど。

 

でも私は逆に母親として精一杯、いい母親であろうって思うことが私は没個性じゃなくて、逆に自分がどういう人間か、すごくわかったって思って。むしろそこから自分らしさっていうのにいろいろ気づかされたなって思います。私は。」

 

このリスナーさんの質問は、きっと現代に生きる女性が子どもを産み育てようとすると、多かれ少なかれぶつかる葛藤かと思います。

 

私も、「子どもを産み、育てる」ということに葛藤を抱いて生きていました。今もその葛藤は少なからずあります。

 

どんな綺麗事を言っても、結局、子どもをきちんと育てていこうと思うと、自分の時間・体力・キャリア・可能性…いろんなものを捧げないと、犠牲にしないと、成り立っていかないからです。

 

現代は、自分次第でいろんなことに挑戦できる時代です。独身でも家族がいなくても楽しめることがたくさんある時代です。

 

子どもを産み育てることで自分の中で大切に培ってきたものが失われてしまう…と考えてしまうのも当然だと思います。

 

でも、そうではなくて、子育てをすることで発見できる新たな自分もある。

 

いろんなものを捧げて犠牲にして子どもと向き合う中で新たに生まれてくるもの、残るものが『自分』なんですね。

 

心理学者の故・河合隼雄先生が著書の中でおっしゃられていることにも重なりました。

 

よく子育てと自己実現は両立するかなんて言われますが、ぼくは子育てほどおもしろい「自己実現」はないと思います。というのは、子育てはこころも身体も、つまり人間全体を使わないとできないからです。

 

Q &Aこころの子育て 誕生から思春期までの48章 河合隼雄(朝日文庫)

子育てをしていると、「自分」というのは、自分が知っているよりもはるかに不可解で、認めたくない要素がたくさんあることがわかってくる。それを自分のこととして受け入れるのは恐ろしいし、苦しい。しかしそういうこれまでのこころのの中に潜んでいた要素をちゃんと見つめて、それを使いものになるようにするのが、「自己実現」です。

Q &Aこころの子育て 誕生から思春期までの48章 河合隼雄(朝日文庫)

 

子育てはやっぱりどんな事業・仕事よりも大変だし、産む前から楽しみより不安が大きくなって自己嫌悪に陥ってしまうことも往々にしてあると思いますが、「そこから発見できる自分もある」「切り開いていける新しい未来がある」ということがなんとなくでも分かっていれば、少し落ち着いた視点で子育てを楽しめることもあるんじゃないか…と思います。

 

子育てに関して不安や悩みを抱えているママさんたちに届けば嬉しいです。

 

※宇多田ヒカルさんの文章、一部しか抜粋してませんが、全体を通して読み応えあるので、ぜひ元記事リンク先開いて全文ご覧になってみてくださいね。

 

※引用させていただいた河合隼雄先生の著書『Q &Aこころの子育て 誕生から思春期までの48章』も、とてもおすすめです。少し前の本(2001年発売)ですが、今でも通じるところがたくさんあります。子育てだけでなく自分を見つめ直すきっかけにもなります。(残念ながらAmazonでは中古しかありませんでした…)

 

もうほんっと子育てって大変ですよ。

 

うちの小6息子なんか、私が「こうなればいいな」と思う全く真逆の方向にぐんぐん進んでますし、言うこと全然きかない。

 

良かれと思ってすることは子どもにとっては「ありがた迷惑」みたいだし。

 

幼少期は素直な子だと思ってたのに、いつからこんな意志の強い頑固者の口達者になったんだろう??と思います。

 

コントロール不可能です。

 

でも恐ろしいほど自分に似ていると気付かされるところもあって、夫にも似ているところがあって。

 

もう中年のいい年ですが、人間関係と人生の修行を息子を通して続けさせてもらっています。