こんにちは、Keikoです。

 

Story of Life 私の人生 

前回の記事はこちら 第81話:新たな挑戦

 

今日は、簿記検定受験までのお話をしようと思います。

 

職安で求職面談をし、プログラマーを除外すると、当時の私だと「一般事務」くらいしか選択肢が無かった私。

でも「一般事務」は、学歴が高卒の場合は20歳まで、短大卒で22歳までで、応募要件を満たさないことが判明。

でも「日商簿記3級」さえ持っていれば、22歳以上でも応募可能な会社が沢山あるということがわかり、情報処理の勉強をしたTACで簿記の勉強をすることを思いつき、週に4日、1コマ4時間で2ヶ月の「3級・2級速習講座」を即座に申し込みました。

授業は、次の日曜日の朝9時からスタートすることになりました。

 

さて、授業初日の日曜日になりました。

授業は9時スタートなので、通勤していた頃と同じような時間に起きて、7時半過ぎのバスに乗り、電車を乗り継いでお茶の水まで。

駅から10分くらい歩いて、神保町の教室まで行きました。

教室に入ると、結構沢山の受講生がいて、ビックリ!

殆どが現役大学生で、私のようなプー太郎や主婦が数名という感じでしたが、年齢層はほぼ同年代だったので、気が楽でした。

 

 

授業は月曜、水曜、金曜、日曜の週に4日で、授業は朝9時から午後1時まで。

2ヶ月間で、初心者が日商簿記2級までの合格を目指すクラスだから、授業のスピードも割と早い!4時間の授業は、あっという間に終わっていき、延長もしばしば。

次の授業では、ミニテストが必ずあり、前回の授業の習得度を見るというシステムでした。

 

簿記って「お小遣い帖」の延長くらいだろうとしか思っておらず、正直なところ少し舐めていたのですが…それが大きな間違いだということが、初日に判明しました。

まず「複式簿記」の概念がなかなか理解出来ず、大混乱に陥りました。

そこを自分で理解するまで、かなり時間が掛かりました。

 

また、宿題は無いものの、授業の復習を兼ねて問題集をこなす必要がありましたが、とにかく問題の量が半端ではなくて…

特に3級は、実際の記帳や転記などの手順が多くて、それぞれ時間がかかるものばかり…端折ってしまうと、先に進めない!

授業のある日は、午後3時過ぎに帰宅して、問題集をやり始めるのですが、夕飯は母から電話が掛かってきて慌てて実家に行って食べ、家に戻ってから再開。

気がつくと、あっという間に夜中2時位になっていました。

授業の無い日は、朝9時に問題集をやり始め、やはり夜中2時位まで、ひたすら数字と格闘する日々が続きました。

出向していた頃に近い生活に戻っていましたが、相手は「お客さん」ではなく「問題集」だし、家でやっているから、終わったらすぐに布団に入れるという点では、心身ともに楽でした。

 

 

が、そんな努力も虚しく、授業のスピードと、問題集の進捗が噛み合わず…

授業はどんどん進んで行くのに、問題集はやってもやっても先に進まない状態になっていき、授業前のミニテストも全然出来ない…本当に凹みました。

でも、同じクラスの同級生達とどんどん仲良くなり、授業の後に近所の明治大学の学食でお昼を食べながら、その日の授業やミニテストの復習をするようになりました。

皆、同じように辛い思いをしていたから、自然と「1人じゃない」という仲間意識が生まれていったのだと思います。

「一緒に頑張って合格しよう!」という、同じ目標に向かって、支え合うようになりました。

 

それでも問題集との格闘は、誰も助けてくれる訳ではなくて、本当に辛かったです。

3級の授業が終わった時、私は3級の問題集がまだ半分位しか終わっていなかった…

翌日から、授業は2級の商業簿記になりましたが、私は家で「3級」の問題集をひたすら解く日々が続きました。

そんなこんなしているうちに5月後半になり、授業は2級の商業簿記が終わって、工業簿記に入っていました。そこでやっと3級の問題集が完結(汗)

完全に「周回遅れ」の状態でしたが、試験に間に合うかどうかは別として、もうひたすらやるしかない!2級の商業簿記の問題集に取り掛かり始めました。

 

ところが、あら不思議!2級の問題が想像より遥かに「簡単」に思えてきて、サクサク進むでは無いですか!

3級の「プロセス重視」問題は無くて(出来て当然ということでしょうね)、1つの問題に掛かる時間が、圧倒的に少ないのです。

今までと同じくらいの時間を掛けて、問題集と格闘していたら、2級の商業簿記の問題集は1週間で完了出来てしまい、工業簿記の授業に追いつくことが出来ました。

授業でやったところの問題集だけこなせば良いから、ここから最後の2週間は、本当に楽チンでした♪

過去問題集も、3級、2級ともに5回分をこなしており、「ここまでやったから、絶対に合格出来る」という自信がついていたと思います。

これまでに、何度も試験を受けて来ましたが、これだけ「自信」を持って受けることができたものは、他に無いです(笑)

 

団体受験だったから、クラスメイトと一緒に同じ教室で受験しました。

3級と2級の併願だったから、試験は丸1日。

試験が終わった後は、クラスメイト全員で集合して「打ち上げパーティ」で盛り上がりました。

 

試験が終わると、翌日から学校に行く必要も、問題集と格闘する必要もなくなり、再びヒマな日々が戻ってきました。

2ヶ月間の達成感に浸りながらも、何か仕事を探さないとと思うようになりました。

まだ検定の結果が出ていないから「経理事務」で正社員の応募は出来ないので、どうしようかな?と思っていたところ、集団会仲間から「派遣登録してみたら?」と勧められました。

当時はまだ「派遣」はメジャーではありませんでしたが、いくつかの会社の条件を調べてみました。

時給は高いけど社会保険加入のない会社が殆どでしたが、たまたま某音響メーカーの子会社がやっている派遣会社で、時給は他より安いけど、社会保険完備で、交通費支給ということが分かり、早速応募して面接し、無事登録完了しました。

 

 

すぐに仕事が来るとは思っていなかったから、登録した翌日に、夜勤明けの旦那さんと千葉で待ち合わせて、一緒に御宿の海を見に行きました。

6月中旬で、梅雨の中休みのドピーカンの日で、「月の砂漠」で1日ぼーっと海を眺めて過ごし、夜7時ごろ家に戻りました。

 

 

家に戻ると直ぐに電話が鳴り、出てみると派遣会社からでした。

「紹介したい仕事があるから、明日面接に行けますか?」と言うではありませんか!

仕事の内容を聞くと、修理サービスセンターの事務ということで、主に修理受付、修理記録のコンピューター入力、部品の棚卸しとのことで、期間は最低6ヶ月で、延長の可能性ありとのこと。

翌日からヒマな日々が待っているのだから、断る理由は無いので、面接に行くことにしました。

 

翌日派遣会社の方と一緒に、修理サービスセンターに面接に行き、翌週からの就業が決まりました。

ここで翌年4月末までお仕事することになるのですが、こちらについては別途お話ししようと思います。

 

そうそう、簿記検定の結果は7月中旬に届きました。

学校から団体受験したので、合否発表はTACから通知がありました。

3級、2級とも、満点で合格することが出来、合格証を受け取りました。

担任だった先生から「問題集を端折らず、全部潰したことが満点合格の大きな要因」と言っていただくことが出来、改めて「諦めずによく頑張った」と、自分を褒めることが出来ました。

 

 

今思い出しても、あの2ヶ月は本当に辛く厳しい毎日でした。

後にも先にも、これだけ集中して勉強した事は他には無いと断言できます(爆)

他の試験勉強も、これだけ集中出来れば良いのですが…

恐らく、この時に「一生分の集中力を使い尽くした」と言っても過言でないと思っていますので、無理みたいです(笑)

 

実際に「経理」として仕事を始めたのは、修理サービスセンターの派遣契約が終了した後でしたので、簿記の勉強スタートから約1年後のことです。

そこから35年、ずっと経理の仕事に就くことになりましたから、ここが大きな転換点だったことは言うまでもありません。

 

〜続く

 

今日はここまでです。

次回は、第83話:初めての派遣 に続きます。

 

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

またお会いしましょう♪