こんにちは、Keikoです。

 

Story of Life 私の人生 

前回の記事はこちら 第37話:英語狂想曲

 

今日は、幻となってしまった遠泳大会のお話です。

 

小学生後半から、すっかり水泳の虜となっていた私。

中学生になってからも、その熱は冷めておらず、「早く夏にならないかなぁ」と、泳ぐことを心待ちにしていました。

一年生の夏、8月初旬に下田で臨海学校が予定されており、そこで一年生全員で遠泳大会を行うことになっていました。

 

プールでは、かなり長距離を泳ぐことが出来るようになっていましたが、海で学年全員が並んで3キロを泳ぐと聞き、かなりワクワクして、楽しみにしていました。

プール開き以降、水泳の授業は遠泳の練習がメインとなりました。

列を乱さないように、ゆっくりと泳ぐことと、掛け声をかけながら泳ぐことの練習がひたすら続きましたが、どちらもかなり難しかったです。

 

 

ところが、その年の7月、臨海学校のほぼ1ヶ月前に、伊豆半島で数日間にわたる集中豪雨があり、周辺の川が軒並み氾濫してしまいました。

その影響で、下田にある区の施設や、周辺道路も大きな被害を被ってしまいました。

約1ヶ月で復旧できるかも知れないとのことで、7月中はずっと遠泳の練習を粛々と続けていたのですが、8月に入ってすぐの段階で、区の施設も周辺道路も、復旧するまでにかなりの時間を要することが分かりました。

 

 

結果として、その年予定されていた、下田に関わる行事は、小学校、中学校ともに全て中止となってしまいました。

自然災害は突然やって来るものなので、誰のせいでもないし、仕方ありません。

かと言って、2週間後に240人近い生徒を受け入れて、遠泳大会が出来るような施設を探すのは、どう考えても不可能に近いということも容易に理解出来ました。

今となれば「そりゃそうだ」と、納得出来るけど、子供にとっては「楽しみ」が急に奪われたことが、とても残念でしかありませんでした。

 

余談ですが、私たちが小学生の頃に、下田に移動教室に行っています(小学校時代にその時のお話を投稿しています)が、その年も5月に大きな地震がありました。

7月に、私たちは移動教室に行ったのですが、その時は、地震による被害が大して無かったので、予定通り行くことが出来たのでした。単純にラッキーだったのかも知れません。

 

話を元に戻します。

施設の復旧まで待っているうちに海のシーズンは終わってしまうし、代替策を見出すことも出来ないまま、臨海学校の予定日がやってきました。

翌年に延期するという案はあったのですが、二年生は林間学校が年間行事となっていたので、両方をやるのは無理という判断となり、結果として、一年生は、毎日学校のプールで、並んで3キロ泳ぐことになりました(泣)

 

片道25メートルのプールだから、120回ターンをしなければならない(汗)

しかも、240人が一度に泳ぐのは、プールの大きさを考えると絶対に無理(笑)

ということで、クラス毎に3キロづつ、並んで泳ぐことになりました。

泳いでいない時は、プールサイドにクラス単位で並んで座って、ずーっと泳いでいるクラスに向けて掛け声をかけるだけ。

また、泳いでいる時も、風景は全く変わらないし、120回もターンしなければならず、これはこれで飽きてくるし…

海で溺れる危険は無いとはいえ、別の意味で「苦行」の状態でした。

 

 

学校に、一年生全員が泊まるわけにもいかないので、家から学校のプールに毎日朝8時に集合して、クラス毎にひたすら3キロづつ泳ぎ、掛け声をかける3日間。

臨海学校で行われる予定だった、キャンプファイヤーなどの行事は、結局学校の校庭で行いました。

小学校の時の移動教室がとても楽しかったし、新しいメンバーとの集団生活も楽しみにしていただけに、本当に残念無念でした。

 

結局、私達の学年だけ、遠泳の経験をすることなく、中学校を卒業することになりました。

「どこかでチャンスが来ないかなぁ」と待ち焦がれましたが、結局リベンジならず。

高校では臨海学校は無かったので、海での遠泳経験をすることはありませんでした。そうこうしているうちに、気がつくと、この歳になってしまいました。

この先、海で泳ぐチャンスはあると思いますが、240人が一斉に並んで泳ぐという経験は、2度とは無いと思います。

今でも、幻の遠泳大会に思いを馳せています…

近いうちに、下田の海に行って、遠泳大会の妄想でもしてみようかな(笑)

 

〜続く

 

今日はここまでです。

次回は、第39話:中学時代の遠足 に続きます。

 

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

またお会いしましょう♪