大阪日日新聞に2012年10月26日に掲載された週刊コラム「金井啓子のなにわ現代考 世界の現場からキャンパスへ」第115回分です。


本紙のホームページにも掲載されています。


待たれる週刊朝日の説明 メディア目指す学生も注目



金井啓子ブログ



筆者が大学2年生を対象に開講している授業では、さまざまな雑誌に触れるようにしている。マスメディアに関心を持つ学生が多い学部でもあり、できるだけ多くの情報およびその発信源に触れてもらうことを目的としている。

 一方、3年生の金井ゼミでは、自分でテーマを定めて取材を行い記事を書くのが活動の中心となっている。いま多くの雑誌に触れて記事を読んでいる2年生の受講者の中から、ひとりでも多く3年のゼミにも参加して記事を書くようになってほしいという願いもこめている。


 さて、その2年生の授業で週刊朝日の「ハシシタ 奴の本性」を読んだ。橋下徹大阪市長を描いたが連載中止が決まって大きな話題を振りまいた記事である。


 実は少し前、この授業で週刊新潮と週刊文春を比較させたことがあった。文字が多くて小さく写真が少ない、ネタが若者向けではない等々と感じたらしく、親しみが感じられない様子だった。週刊朝日も似たような体裁である上に、この記事は長い。興味を持つだろうかと思ったが、学生たちは食い入るように読んでいた。


 読み終えた彼らに話を聞くと、「何かすごく嫌な感じがする」「言葉が汚い」といった感覚的な感想から、「道徳の授業で差別はいけないと習った。差別を認めるような内容はよくない」「佐野眞一さんはいま何を考えているのだろうか」といった声も出た。ただ、「こういう連載はやめるべき」という声の一方で、「どう展開するのか見たかった」という要望もあったのは興味深い。


 「なんと感情に支配された記事なのだろう」というのが、筆者がこの記事を最初に読んだ時の感想である。橋下市長が大きな影響力を持ちつつあることはまぎれもない事実であり、その言動には時に奇矯とも言える部分がある。そういう人物を分析する試みはあるべきだし、この記事にもそういった意味で期待していた。それなのに、市長の本性を知るためには「両親や、橋下家のルーツについて、できるだけ詳しく調べあげなければならない」という、差別を容認・推進する方向にそれたことが残念だ。


 もっと残念なのは週刊朝日の対応である。この記事を出せば市長の怒りだけでなく、周辺からも大きな非難を浴びることは想定できたはずだ。一種の確信犯だろう。にもかかわらず、あっという間に白旗をあげた。これほどの「戦い」を挑むと決めた以上それなりの理由と準備があっただろうし、それをきちんと説明しないのはジャーナリズムの自殺行為だ。


 冒頭に述べた授業の学生たち以外にも、今回の記事に興味を示したジャーナリズム志望の学生が身近にいた。当該記事を読みたくて図書館に探しに行ったが見つからないと言っていたので、筆者が持っていたものを貸すと喜んで読んでいた。


 今回なぜ掲載し、なぜ掲載中止を決めたのか、週刊朝日はどれだけ明らかにできるのか。ジャーナリズムの将来だけでなく、その将来を担うはずの若者にも影響を及ぼしうる内容に、注目が集まる。


 (近畿大学総合社会学部准教授)