2023年7月31日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の伴走で伴奏」第89回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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大阪日日休刊でも書き続けたい 13年間の感謝をこめて

 

 「金井さんの文章ってつまらないよねえ」。これは本コラムを読んだ知人のセリフである。

 実は他の知人も少なくとも2人、時期は違うが似たことを言っていた。そのうちの1人は、当時あるニュースサイトに関わっており、私を寄稿者として推薦しようとしてくれていた。だが、冒頭のような趣旨の言葉に続けて確か「もう少しパンチがある文章にすれば大勢に読まれるんだけど」と言ったと記憶している。どうやら「炎上すれすれのラインを狙えばクリック数が稼げるから推薦する」ということだったのだ。

 文章をなりわいとする人間にとって、その文章が「つまらない」と評されるほどつらいことはない。近頃は、読者の目をひきつけて彼らの気持ちをあおれる文章への需要が高いことぐらい、いくら私だって知っている。傲慢(ごうまん)な言い方だが、物書きを長年やってきた私ならちょっと小細工をすればパンチもあおりも効いた文章を書けなくはない。だが、どうしてもできなかった。まして「炎上狙い」のゲスな文章を書くことを自分に許すことはできなかった。

 その結果、「つまらない」「ゆるい」コラムを書き続けることになった。ただし、13年の長きにわたって掲載できたのは、大阪日日新聞の読者のみなさんが、私のコラムを「やめさせろ」と言わず、むしろ歓迎もしくは許容し続けてくれたからこそだ。私の文章がなにがしかの役に立ったのだと信じているし、そう願っている。

 「書くこと」はこれまでの私におまんまを食わせてくれて来たし、これからもライフワークであり続ける。少しずつ弱っていく母を見つめながらきちんと別れを告げることができたのも、私には「書く力」があったからこそだと自負している。だからこれからの人生の困難に立ち向かうためにも私は書き続ける。

 ちなみに、冒頭の3人の知人の「助言」も無駄にはしない。読んだ人全員が大絶賛するという全体主義的な気配は不気味だが、あえて苦言を呈してくれた気持ちはきちんと大切に取り入れていく。

 今のところ次に書く媒体が決まっているわけではない。だが、既にフェイスブック、元ツイッター、インスタグラムでは短文を時々載せている。いったんはみなさんにお別れを告げるけれど、これからもお付き合いいただきたい。

 長年のご愛読、ありがとうございました。そして、大阪日日新聞さん、さようなら。

 (近畿大学総合社会学部教授)

2023年7月24日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の伴走で伴奏」第88回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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懐の深い新聞での自由な執筆 コラムで得た出会いという宝物

 

 大阪日日新聞の休刊に伴い、私がこのコラムを書くのも残り2回となった。書きたいことはまだ多々あるが、私の個人的な思いを書いて締めくくろうと決めた。

 私が週刊コラムを寄稿し始めたのは2010年7月だった。2回のリニューアルを経て、丸13年間書き続けたことになる。

 読者の方々は、このコラムは何を専門としているのか、と戸惑いを感じることがあったかもしれない。だが、担当者からはとにかく何を書いても良いというありがたい言葉を頂いていたので、「私が気になること」を自由に書いていた。

 「自由に」とはまさに文字通りで、これまで私の原稿に対して、「こういうことを書くのは困る」「ここを変えてほしい」という要望が届くことは一切なかった。大阪日日新聞そのものを非難するような内容を書いたことこそなかったが、種々の問題を抱えるマスメディアについては何度も批判的な内容を書いた。

 つまり、大阪日日も批判の対象の一部だったわけだが、それに対して文句をつけることはなかった。少なくとも、私にとっては間違いなく懐の深い新聞で、私はそういった自由さの中で、自分自身の考えを少しでも多くの方々にお届けして、何かを考えるきっかけとしてほしいと願って書き続けてきた。

 そういう自由さを持ちつつ、大阪の小さなニュースをたくさん拾ってきた新聞が消えることは、私のみならず、大阪にとっても大きな損失だろう。

 一方、私自身もこのコラムを書くことによって、さまざまな宝物を得た。

 その中で最も大きな宝物は、多くの人々との出会いである。たとえば、東京出身の私が大阪という全く異なる文化を持つ街に戸惑いつつ「郷に入っては郷に従え」という考えを持ちながら暮らしている、という話を書いた時には、上方落語の世界で江戸弁を使う唯一の落語家だという笑福亭円笑さんから直接連絡を頂戴した。以後、何度もお目にかかり、もともと好きだった落語に関して少しずつ関わりを深めていくという幸運に恵まれた。

 他にも、フェイスブックで「コラムを読みました」と友達申請をしてくれた方々もいる。コラムを書いたからこその出会いと、そして多くの出会いを与えてくれたこの「窓」には感謝している。

 (近畿大学総合社会学部教授)

2023年7月17日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の伴走で伴奏」第87回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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世代間で引き継ぐ味や伝統 私は何を伝えられるか

 

 福井の農家に毎年注文している梅が今年も届いた。今年は5キログラム。梅干しと梅シロップを1キログラムずつ、残りを甘煮にした。

 甘煮は先月死去した母が近所の人から約40年前に教わったものだが、母が作る甘くてトロトロした梅を長い間食べ続けた私にとって、すっかり「母の味」となった。

 母の味と言えば、幼い頃から少しぜいたくをする日に作ってくれたビーフシチューもある。唐揚げも大好きで、食べ物の取り合いがめったになかったわが家で、これだけは弟と争うように食べた。どちらも外食でも食べられる普通のメニューだが、味付けが微妙に違う。12年前に亡くなった父が夏になると日曜の昼食に作ってくれた冷やし中華のタレは酸味がきいておいしかった。

 それらは両親からレシピを聞いておいたので、2人が亡くなった後も懐かしい味を再現できている。だが、年越しそばのつけ汁とお雑煮については、危うく記憶の中のみの味となるところだった。父が亡くなり母が認知症で料理ができなくなり、コロナ禍で大勢の親戚が集まることもできなくなった2020年の暮れ。誰かが作ってくれることを毎年あてにしていた私は、大みそかにはたと困った。だが、母の姉にあたる私の伯母に電話してレシピをもらって事なきを得た。

 自分の世代へと引き継がれてきたのは、食べ物の味だけではない。

 コロナ禍のために延期していた祖父の27回忌と父の13回忌を、5月に行った。以前法事を行う時には、母が伯母と相談しながら全てを進めていた。だが、母はその時高齢者施設でお世話になっていたため、出席すらかなわない。用意すべきお金やお供えの果物・菓子・花、会食の場所やメニュー、参列者へのお土産など、さまざまな事柄をひとつずつ私と弟が伯母に相談しながら進めた。

 参列者は十数名だったが、それでも無事にその法事を終えてほっとしたのもつかのま、母が亡くなった。今は母の四十九日法要の準備であわただしい。ただ、それほどパニック状態に陥っていないのは、5月に「予行演習」を終えていたからかも知れない。まるで母がそれを待ってくれていたかのようにも感じる。

 私には子どもがいない。上の世代から受け継いだ味や家族の伝統を引き継ぐ人は、家族の中にはいない。でも、少し視野を広げて、私の持つ「何か」を受け取って引き継いでくれる誰かに期待するのも悪くない。さて私は何を伝えられるのだろうか。

 (近畿大学総合社会学部教授)

2023年7月11日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の伴走で伴奏」第86回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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進まない海外パビリオン建設 試されるプロか素人の違い

 

 2025年開催の大阪・関西万博に黄信号がともっている。開催まで2年もないというのに、海外パビリオンの建設が宙に浮いている。万博の関係者は「開催までに工事は間に合うのか」と相当な危機感を持っているという。

 万博では海外から153カ国・地域が参加し、そのうち独自にパビリオンを建てる国が約50カ国ある。ところがパビリオンの建設には申請が必要だというのに、現在大阪市に届いた申請件数はゼロ。申請から実際の建設着手までには時間がかかり、そうなると会期までの日数はあまりない。関係者が焦るのも無理はない。

 申請がゼロの理由は建設業界の事情だ。どの現場でも人手不足が激しく、おまけにロシア・ウクライナ情勢の影響で建設に必要な鉄鋼や木材の価格が高騰している。海外パビリオンだけではなく、政府出展の「日本館」の建設工事の入札も成立していない。大阪府の吉村知事も今年5月、岸田首相と面会して万博工事の現状を説明したと明かしている。

 このままでは会期までにパビリオンの建設が間に合わず、お客は海外の珍しい展示物ではなく、「工事中」の看板や工事車両、作業員が働く姿を見学することになりかねない。その「見学料」はお一人様7500円なり。せっかくの万博がこれでは大失敗に終わるかもしれない。

 パビリオンの建設が進まないといった厳しい現状を考えるなら、ここは思い切った決断も必要ではないか。さすがに中止とまではいかなくても、延期の判断を求められている潮時が来ているように思う。

 私の好きな小説に『クライマーズ・ハイ』がある。ドラマや映画にもなったこの作品は1985年8月に発生した日航機墜落事故を取材する群馬県の地方紙を舞台にしたもので、クライマーズ・ハイとは登山者が興奮状態となり恐怖感がまひしてしまう状態のことをいう。大事故で興奮する記者たちと登山者が陥るクライマーズ・ハイの心理を重ね、人や組織が重大な判断を迫られたときの様子などを描いていた。

 その作品の中で元登山家の老人がプロの登山家と素人の違いを語っているシーンがあった。「プロは危ないと判断すれば下山する勇気がある。素人は『ここまで来たのだから』と諦めがつかず事故に遭ってしまう」。この言葉は今も私の心に残っている。

 人もだが、ときには国も自治体も大きな決断を迫られる。それが大プロジェクトであればあるほど決断は難しい。登山家でいえば国や大阪府市はプロなのか素人なのか。それが今、試されようとしている。

 (近畿大学総合社会学部教授)

 

 

2023年7月3日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の伴走で伴奏」第85回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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自分の頭で考える人間に 原因は今までの教育か

 

 「先生、この行事は絶対に出ないとダメですか?」と、入学直後の大学生によく尋ねられる。

 授業関連の行事なら、欠席で減点になったり単位を落とすこともある。だが、大学には任意参加の行事も多い。大学生活で直面する可能性がある問題、就職活動関連、趣味関係など多岐にわたる。教員から見れば「視野が広がり、トラブルを事前に回避できて、いい出会いがありそう」と感じるものが多い。

 だが、食わず嫌いの学生が多い上に、一定の時間を拘束されることを嫌がる。「義務」ではないと知ると欠席を決め込む。そんな学生を多く見た私は、「入学までは必死でも今はサボってばかり」と嘆いていた。

 だが、毎年そんな新入生に接するうちに、それまで受けた教育の影響が大きいのではないかと考え始めた。小中高では「先生が言ったことを他の子と同じようにやる」ことを求められる。だから、大学に入って「ご自由に」と言われた途端、「先生がやれと言わないならやらない」と考える学生が多いのではないか。

 そう書くと、「いや、自主性を育てるよう務めている」というお叱りの声が飛んできそうだ。だが、髪形、スカートの丈から、下校後にどこで何をするかなど、さまざまな行動を「すべきこと」「すべきでないこと」に区分けしている様子が、私が接する学生たちが小中高の思い出を語る時にうかがえるのだ。

 その結果、「考えること」すら他人に預け、いわば「脳みその外付け状態」に陥ってしまっている。

 これが「後遺症」となって現れるのが、就職活動の時だ。大学入試までは先生に言われるままに行動していればなんとかなるが、人生でほぼ初めて自分で全てを決めなければならなくなる瞬間である。「エントリーシートは何社に送ればいいですか」といった問いを聞くと、後遺症を実感する。

 小中高教育の変革も必要だろうが、簡単には変わらない。ならば私ができることから始めなければ。まずは、来年入学する学生に冒頭のような言葉を投げかけられたら、「この行事の参加は義務じゃないよ。今までは先生から言われるままにしていればよかっただろうけど、これからは自分がしたいか、したくないか、すべきか、すべきでないか、自分の頭で考える習慣を持ってみようよ」と話しかけたい。脳みそは外付けにせず内蔵した大人になっておくべきだと考えるからだ。

 (近畿大学総合社会学部教授)

2023年6月26日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の伴走で伴奏」第84回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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母の旅立ちにいま思うこと 別れの過程を徐々に歩む

 

 母が亡くなった。産婆が「この子は育ちませんよ」とさじを投げるほど弱々しかった母は、長じて姉妹が病を得る中、病気らしい病気もせず老衰で旅立った。

 最近は家族葬が多く迷った。だが、母は家族のためだけに生きた人間ではなく、多くの人と時間を共有する人生を送った。だから、通夜と告別式は誰でも参列できる形にした。それを葬儀前にSNSで書くのも迷ったが、結果的にはよかった。連絡を忘れていた人たちが参列したり弔電をくれたりしたのだ。

 高齢のために参列が難しい人々が遠くから祈ってくれる一方で、久しぶりに直接会える人もいて、にぎやかに見送れたと思う。明るく社交的な母にふさわしい旅立ちだった。

 その後、多くの人たちがお悔やみの言葉と共に私の心身を気遣ってくれている。中には、本コラムやSNSで書いた文章で母に親しみを感じていた、と話す人もいた。

 母との別れへの思いはまだまとめきれない。だが、「長い時間をかけて母にゆっくりと別れを告げられた」というのが今の実感である。母は2年前に「ついのすみか」となった高齢者施設に入った。コロナ禍では病院や施設にいる老親と会えないという話を何度も聞いたが、この施設ではごく短期間を除きずっと面会を許可された。認知症の上に話すことができなくなった母であっても、最期まで弟や私を認識して笑顔を見せた思い出を残してくれたこの施設のスタッフには、一生感謝し続けたい。

 12年前に父を失った後の手続きは元気だった母にほぼ全て任せた。だが、今回は周囲に相談しつつも弟と私でこなさなければならない。ニュースで時折、親が自宅で死去しても放置し親の年金も受け取り続けた子どもが逮捕される、という話を見聞きする。これまでは「なんとひどい」としか思ったことがなかったが、親の死去に伴って直面する「非日常」と手続きの煩雑さに実際に圧倒されてみて、「彼ら」の気持ちが少し分かるような気がしたのは新たな発見だった。何事も当事者にしかみえない何かがあるのだろう。

 私は「文字の人間」であり、書くことによって気持ちの整理がつくことが多いため、これからも母のことは書くだろう。また、私の介護体験を知って自分自身の似た経験を共有してくれる友人たちもいたが、彼らとはこれからも話すだろう。それを通じて、母との別れの過程を少しずつ私は進んでいくのだ。

 (近畿大学総合社会学部教授)

2023年6月19日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の伴走で伴奏」第83回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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新聞は冬の時代から氷河期へ それでも消えない役割と使命

 

 大阪日日新聞が7月末で休刊になる。今月13日に同紙1面で告知されていた。この話題は他紙やテレビでも報じられていた。

 新聞が冬の時代に入って久しい。日本新聞協会が調査した「日刊紙の都道府県別発行部数と普及度調査」によれば、2022年10月現在の総発行部数は前年比で6・6%減の3084万6661部。これは18年連続の減少で、1年で218万504部も減った計算になる。

 日本ABC協会によると22年上半期の全国紙の発行部数は次の通り。朝日新聞は約430万部、読売新聞は約686万部、毎日新聞は約193万部、日本経済新聞は約175万部、産経新聞は約102万部である。新聞の総発行部数が1年で200万部以上も減っているということは、大きな新聞が1紙ずつ毎年消えていくようなものだ。冬の時代どころか氷河期である。

 私は大学でジャーナリズム論を教えており、学生たちに「なぜ新聞を読まないか」と尋ねることがある。その理由はさまざまだが、一番大きな理由は「なくても困らない」「ニュースならスマホで読める」というものだ。

 あるいは「お金を払ってまでニュースを読みたいとは思わない」という理由もある。それにしてはNHK以外は無料であるはずのテレビのニュースもあまり見ないという。要するにスマホが登場してSNSが発達すると、若い世代にとって既存メディアは化石のような存在で、自分たちには縁のないものという意識なのだ。

 ところが面白いことに講義で実際に新聞を読んでもらうと中には興味を持つ学生も現れる。スマホから流れてくるニュースと異なり新聞は物理的な広さを持っている。紙面に目を向けると記事だけではなく漫画や天気予報、また広告などさまざまな情報が飛び込んでくる。また紙面には複数の見出しが並んでいることで、数多くの記事の概要も判別できる。学生にとってこの経験は新鮮なものらしく、自分たちが単なる食わず嫌いだったことを悟る者も中にはいる。

 事件や事故、また政治問題といった世の中の出来事を伝えるメディアは必要だ。民主主義社会において国民の知る権利を代行するメディアの役割が消えることはない。ただし姿形を変えることはある。紙の新聞が消え、ネットに居場所を変えて役割を果たすことはこの先も求められるはずだ。

 さて、私のコラムも残り数回しかない。一つ一つのコラムを大切にし、気持ちも新たに残りの日々をパソコンに向かって文字を打ち続けたい。

 (近畿大学総合社会学部教授)

2023年6月13日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の伴走で伴奏」第82回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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維新がハラスメント研修を開催 大切なのは個々の自覚と持続

 

 大阪維新の会の笹川理大阪府議によるパワハラ・セクハラ問題。すったもんだの末、大阪維新は笹川府議を3日付で「除名処分」とする決定を下したが、この問題は今も波紋を広げている。

 大阪維新は5日、所属する議員や首長ら約340人を対象にしたハラスメント問題に関する研修会を開催した。約1時間のオンライン形式の研修会ではハラスメント問題に詳しい弁護士を招き、参加した議員らに政治家としての自覚を促した。政治家である以上、24時間365日にわたって有権者の目は光っており、それに恥じない言動を日々行うよう注意を喚起したという。

 ところが維新執行部が党内でセクハラ・パワハラの聞き取り調査を行ったところ、いくつかの該当案件が見つかったという。笹川府議だけではなく内部にさまざまな問題を抱えているようで、これには同党も頭を抱えていることだろう。

 昨今はハラスメントの研修会を行う各企業や大学が増えている。厚生労働省も研修の呼びかけには積極的だ。大阪維新も1人の府議の不祥事をきっかけにハラスメント研修を行ったことは評価に値する。

 ただ、研修会を開いて、それでおしまいにしてはいけない。研修会は一人一人の議員の自覚を促すきっかけにすぎず、その自覚を持続させることが大切である。研修会を開きました、でもハラスメントは相変わらずなくなりません、では元も子もない。

 維新執行部としても、どのようにすれば党内のハラスメントが根絶できるか、議員の自覚を促せるかという点で努力を続けなければならない。少しでもハラスメントの兆候があれば、そのたびに厳しく処分するくらいの態度でなければこの問題の解決は難しい。

 日本維新の会の議員の中には国会で暴言を吐いたり、審議中にガムをかんで注意された人がいた。これらの行為はハラスメントとは直接結びつかない。しかし他者への配慮が欠けるという点や、自分が他者からどう見られているかの客観的視点が足りないという点においては同根だろう。このような議員に対して党執行部が注意や処分ができないようでは、いくらハラスメント研修会を開いても限界がある。

 大きいトラブルが起こる前には小さなトラブルがいくつか起こるものだ。その小さなトラブルの芽を摘むことが不祥事や事故を防ぐ最善の策。維新だけではなく、これは私たちも肝に銘じておきたい教訓といえる。

 (近畿大学総合社会学部教授)

2023年6月5日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の伴走で伴奏」第81回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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冬の時代に気を吐く「文春砲」 伝えるべき情報逃さず

 

 「週刊朝日」が5月末で休刊した。1922年創刊の同誌は、新聞社系の週刊誌としては「サンデー毎日」と並ぶ最古の週刊誌である。そのサンデー毎日も発行部数が低迷し、決して好調なわけではない。

 ただし、すべての週刊誌が厳しい冬の時代を迎えているわけではない。中でも好調なのが「週刊文春」ではないか。

 「文春砲」の異名で知られる週刊文春は文藝春秋社が発行する老舗の週刊誌で、思想的には保守系の雑誌だと見られている。保守系ではあるが政府や与党に甘いわけではない。むしろ厳しい。「文春砲」の名前が示す通り、これまで同誌は与党を震撼(しんかん)させる政治ネタのスクープを連発している。最近では岸田文雄首相の長男で首相秘書官の岸田翔太郎氏のハメを外した写真を暴露して世間を驚かせたばかりだ。

 翔太郎氏は昨年末、親戚らと首相公邸で忘年会を開き、来賓客を招く公的なスペースなどで写真撮影に興じていた。このときの写真が週刊文春に掲載されたことで世間は同氏の公私混同ぶりを批判。最終的に翔太郎氏は秘書官を辞任することになった。

 週刊文春による政界スキャンダル記事はこれまで何回も出た。また政界ネタだけではなく、最近はジャニーズの創業者による性加害問題を報じ、海外にも発信されて世間を驚かせた。とにかく週刊文春は毎週のようにスクープを放ち、そのたびに政界や芸能界が慌てている。

 岸田首相の長男の話や、これまでの政権・与党が隠していた問題を世間に明らかにしたのは、なぜか週刊文春ばかりが目立つ。もちろん新聞やテレビもスクープを出してきたが、それでも文春砲が目立つのはなぜなのか。

 理由の一つはメディアとしての規模や性質の差だろう。何百人も記者を抱える新聞やテレビに比べて週刊文春は小所帯。記者クラブにも加盟していない。それでも警察や官邸の極秘情報を入手する。まるで大軍隊にゲリラが挑むようなもので、文春砲がさく裂するたびに新聞やテレビの情けなさが目立ってしまう。週刊誌には厳しい冬の時代と書いたが、この調子では新聞やテレビも冬の時代を超えて氷河期を迎えそうである。

 あらゆるメディアが厳しい時代を乗り越えるためには、国民に伝えるべき情報をちゃんと伝えることが大切だ。政治家や政府が裏で何をやっているか国民に伝わらない現代こそ、本当のジャーナリズムが求められている。

 (近畿大学総合社会学部教授)

2023年5月29日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の伴走で伴奏」第80回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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議員数増加だけが成長ではない 必要な党と議員の真摯な反省

 

 人は誰でも間違いやミスを犯す。間違いをするから人として成長し、度量や優しさを身につけるともいえる。

 ただし、そのためには条件が必要だ。間違いやミスを忘れてしまうのではなく、なぜそのような問題を起こしたのかを自己点検し、同じミスを繰り返さないよう反省と努力を怠らないことだ。これは人間だけではなく企業や各種組織でも同じことがいえる。

 大阪維新の会の笹川理府議による不祥事が週刊文春の報道で明らかになった。笹川府議は8年前、後輩の女性市議にパワハラを働いたと同誌は報じた。この報道に対して大阪維新は笹川府議を「厳重注意処分」とした。だが、府議団代表だった彼は代表を降りないと、このとき会見で語っていた。

 しかし文春はその後、笹川府議が女性市議に対してセクハラを疑わせるメッセージを送っていたことも暴露。さすがに笹川府議は代表を辞任すると頭を下げ、最後は離党の意向を固めた。ただし議員は続けるという。

 笹川府議の不祥事は過去の話であり、女性市議もこれ以上は問題を大きくしたくない様子である。ただ、女性市議がそのような寛大な姿勢を見せているからといって、これで済むわけではない。笹川府議は当然として、大阪維新もこのような問題を二度と起こさないよう自己批判と内部点検が絶えず求められるからだ。

 残念ながら大阪維新では、何らかのトラブルを起こした議員があまりにも目立つ。選挙違反や金銭トラブル、はては傷害事件を起こす者までいた。もちろん問題を起こして警察沙汰になる議員は他党にもいるが、それにしても大阪維新は発生件数が多すぎる。

 この原因は、トラブル議員に対する同党の処分の甘さにあるのではないか。トラブルを重く見て党員資格停止の厳しい処分を科しても、いつのまにか復党している例もあった。これは党の温情かもしれないが、見方によっては嵐が過ぎ去るのを待っていたとも思える。議員の数を減らしたくないから世間が忘れたころに復党させたと思えなくもない。

 大阪維新は「身を切る改革」を党是として前面に押し出している。だったら「泣いて馬謖を斬る」ではないが、身内にこそ一罰百戒の厳しさを示すべきだろう。そのような姿勢を示して初めて党として議員として成長する。議員の数が増えることだけが成長だと勘違いしていると、いずれまた同じトラブルに見舞われるだけである。

 (近畿大学総合社会学部教授)