今日は、三年前に天国へ旅立った お父ちゃんの命日ニコニコ



誕生日と命日くらいは
亡くなった 父のことを思い出してみよかな…。


今回は
長男が 中学生の時に
人権作文コンテストで奨励賞をいただいた作文を めっちゃ長いけど、時間があれば読んでやってくださいキョロキョロ





全国中学生人権作文コンテスト 奨励賞


『全盲の祖父から教わったこと』

僕の祖父は、今年の五月に天国に旅立ちました。祖父は全盲でした。八十五歳の人生でした。
   忘れもしない今年の一月九日、三学期が始まったばかりと言うのに、僕は高熱を出し珍しく学校を休む事になりました。母は仕事を休んで病院へ連れて行ってくれ、その後 僕は自宅のベットで何時間寝てしまったことでしょう。気づいたら、弟も妹も小学校から帰ってきていて、辺りは薄暗くなっていました。

  そして、母からの置き手紙が食卓の上に…。
  
『○○のおじいちゃんが、意識不明で救急車で運ばれた。起きたらお母さんに電話すること』

僕は その乱れた字を見て、二~三年前に祖父が骨折した時とは 違う感覚を覚えました。

 そして、すぐに電話をしました。母は 取り乱しながら 電話に出ました。お餅を喉に詰まらせて窒息し、一時呼吸が止まってしまったそうです。呼吸は戻ったのですが、意識はないままです。


   前にも言いましたが、祖父は全盲で八十五歳。八十四歳の祖母と二人暮らしで、老老介護でした。母と母の二人の姉は、三人共車で二十分程の距離ではありますが、同居ではありません。年の割りに元気な祖母は隣街の病院まで自分で自転車で通院したり、僕達と一緒にボーリングだってします。食欲も旺盛です。食事は誘うと祖父も一緒に出かけますが、それ以外は祖父に『行けるうちは行ってこい』と言われて、妹のピアノのコンクールや運動会にと祖母は出かけていました。でも、必ず母や母の姉が祖父の面倒を見に行きます。

   介護の仕事をしている母は、祖母に『ゆっくり落ち着く暇もないし、大きな体の祖父の介護も大変だろうから、デイサービスに申し込んだら?』と何度も勧めていましたが、『まだ、そんなとこ…』とずっと笑っていました。

  しかしそんな時、祖父は祖母が畑へちょっと行っている間に骨折して入院してからだいぶ弱ってしまい、自分でお風呂に入る事もできなくなりました。入浴介助の仕事もしている母が週に二回程、祖父の入浴介助に行っていたのですが、ある晩夜中に祖母から電話がありました。『おじいちゃんをお風呂に入れたけど、二時間位どうしても出れない』と言うのです。母は慌てて車で助けに行き、すぐに出ることはできたのですが、それ以来祖父はデイサービスに行くようになりました。

    祖母は、祖父がデイサービスを嫌がっていると思いかわいそうだと思っていたそうですが、意外に喜んで帰宅するようで、祖母も自分が介護から解放される時間が持てて、生き生きとしていました。

   老老介護は、周りが思っているより大変で、介護している自分でもわからない程 疲れきってしまうようです。福祉サービスを利用する事に抵抗感があったり、世間体を気にするケースもあり、なかなか自分からSOSを発信できないのは、これからの高齢化社会においてとても問題にすべきことだと思います。

  祖父がデイサービスに通い出してから、色んな事が上手くいっていました。

しかし、あの事件が起こりました。お餅が大好きな祖父に、祖母は小指の先程に切った焼き餅を食べさせていたそうです。そして 窒息。何もできずに祖母がオロオロしている所へ、ちょうどデイサービスの送迎の方が来てくれて、お餅を取り出し救急車を呼んでくれました。一命はとりとめ、呼吸は戻りましたが、意識は戻らず祖父は約五ヶ月間の闘病の末、帰らぬ人となりました。誰も悪くありません。僕は 老老介護の悲しい結果だと思います。

母は、『お父ちゃん、しあわせだったのかなぁ…』と涙を流していました。『でも、こんなにみんなに惜しまれて、しあわせやったんやろうな』と続けました。
 
   母は、祖父がいなければ介護の仕事はしていなかったと思うと言っています。子供の頃から、祖父や祖母の苦労を見てきた母には かないませんが、僕にも祖父の存在は大きかったと思います。

小学生の頃、正直  祖父と食事に出掛けるのが おっくうでした。目が不自由で自分一人で歩けない祖父の周りの視線がとても嫌でした。

でも、ある時思ったのです。祖父は、何も悪くない、何も恥ずかしくないと。恥ずかしいと思っていた自分の心が恥ずかしいんだと。

バリアフリーという言葉を最近よく耳にしますが、それまで自分の心には大きなバリアがあったような気がします。
もちろん、変な目で見る人は少数で、大勢の人達が祖父を優先してくれたり、優しく接してくれたりしました。

僕も、困っている人がいたら、今まで祖父に優しくしてくれたひとたちのように、自分から率先してお手伝いをしたいと思えるようになりたいです。

この気持ちは、祖父から教わった一番の宝物です。

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最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
お父ちゃんが 倒れてから亡くなるまでの五ヶ月間、私は (こんにお父ちゃんのことが好きやったんか!)て思うくらい、 小さい頃からのお父ちゃんとの思い出が、走馬灯のように頭を駆け巡り、毎日毎日 泣き続けとった。
お父ちゃんが亡くなってからも、実家に行くと  なんかまだ奥で寝とるような…そんな気分がいつまでも続いた。
やけど、もう 今は時間が解決してくれた。お父ちゃんとの思い出は、一生忘れられやん宝物!お父ちゃんとの思い出話も、いっぱい子供達にしていくで!!!
いっぱい苦労したもんな…。
もうすぐ日本に一時帰国する我が家ニコニコ
実家の仏壇と、お墓に会いに行くで、待っとってねウインク
    

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