2月11日〜14日までケルン近郊に行ってきました!
最初の目的は、トビタテの繋がりで知り合えた森のようちえんでインターンシップをされているKさんが3月までの滞在ということで、2日間実習をさせて頂けることになったからです!
実は私、ご存知の方はご存知ですが、教育学部出身で、幼稚園〜高校の第一種教員免許(中学高校は音楽教育)を全て持っています。
岐阜大学で森のようちえんに関わられているI先生に幼児教育について学べたことがきっかけで、ずっと森のようちえんには興味がありました。岐阜大学の時に残念ながら用事が重なってできなかった森のようちえん実習を、なんと今頃ケルンでやらせていただける日が来るなんて笑、
人生面白いものです。

実習させて頂いた森のようちえんは、ケルンとボン間くらいの、街からすぐの場所、地元で言えば、まあ、前平公園みたいな感じ?ですぐに訪れることのできる場所に位置しています。そして、森と言うより林。ほぼ平坦で、雑木林が続く、文化の森のまゆの家があるあたりの景観に似ています。
林を歩いていくと、出迎えてくれたのは電車やトラックの荷台のような小さな建物(車両)が3つ。ここで思い出したのは小学校か中学校かの学級文庫にあって朝の読書の時間に半年くらいかけて読んだ黒柳徹子さんの幼き頃を綴った「窓際のトットちゃん」のトットちゃんが通っていた小学校の様子。あの車両もこんな感じだったのかな(^^)




可愛い装飾に彩られたかわいい園舎3つは太陽グループと星グループ、そしてトイレや物置の3つ。トイレはもちろん汲み取り式で流す水もありません。登山のときに使う、堆肥になる自然のトイレみたいな感じです(^^)
活動の場所は200mトラックの中くらいの、そんなに広くない場所です。そこを園舎が囲み、その中に木が20本くらいでしょうか、立っていて、地面は落ち葉でふわふわ。寝転がる子もいたくらい。また皆で集まるための(タイヤじゃんけんのような感じでその上を歩くためでも使う)切り株の円、砂場があります。

朝7:50頃先生方が集まって今日のスケジュールを確認します。そして朝のお祈り。

8時以降子どもたちがやってきます。先生たちはその前に、砂場にスコップを置いたり、ハンモックを掛けたり、子どもたちが遊びから学べる環境づくりをします。

登園した子供から順に遊んでいきます。
そしてある程度子供が集まった頃、それぞれの園舎に入って朝の会(お祈りと一人ひとりの発表(言いたいことがあったら言う))をします。小さな小石を回して、自分の番が来るのをちょっぴりドキドキしながら回します。言いたくない人は言わずに石を回せば大丈夫。

お祈りのときにキャンドルに火をつけるのですが、それもやりたい人の中から先生が選んで着けてもらいます。もちろん、火をつける前に、袖をめくって、髪の毛を帽子に閉まって、危なくないようにドキドキしながら頑張ってくれます。

その後はお外で遊びます。それぞれ思い思いの遊びをしますが、星グループさんは希望者で近くの草原にお出かけです。
外は寒く、草が凍っています。木の枝も凍ってます。モグラさんの掘った穴もふわふわのはずが、盛り上がったまま凍って表面はボコボコしています。
「子供は環境で遊ぶ(学ぶ)」と、今村先生の授業で、学びましたが、本当にそのとおり。それを見て触って、握ったり落としてみたり、興味津々です。
でもそれに集中してついついみんなの歩みを止めちゃう子供も。そんなとき、なんて言う言葉をかけるでしょう。I先生のディープコミュニケーションで学んだ、「もし服を汚されたときも、いけません!と怒るのじゃなくて、「やったな〜!!」とこちょこちょして追いかけるような、子供に直接怒らず子供が悟る自発性からの躾が大切です。また信頼関係形成のためにも。

先生方は「ほら!○くん、僕の胸に飛び込んでおいでー❤❤❤」みたいな感じで遠くから声をかけます。それに向かって子供たちは走り出し、先生の胸に飛び込みます。先生は抱っこしてくるーっと一周回っておろします。他のみんなも大喜びで駆け出します。

もちろん中にはそんなことでは言う事聞かない子も。そんな時は近くまで行って、目を見て同じ目線でゆっくり話しかけます。
子供が納得するまで話し合います。でも先生の話し方は、必ずこうでしょ!?という言い方ではなく、こう思わない?どうかな?というスタンス。子供は自分で良くないことを知っています。自分で納得するから行動に移せます。子供を一人の人間として尊重しているのです。

先生方に教えてもらったこの園での規則。
それは、もし高いところに登りたいなら、登らせず必ず自分の力で登らせること。(これは、安全面(自分の身体で登れる=自分で降りれる)や責任面(もし落ちて怪我したりしたときに無理に上がらせたとならないように)でもメリットはあると思いますが、なんと言っても子供の達成感を味わわせるためのこと。だということです。)
そして生きているものの命を無駄に取ってはいけない、大切にすること。(木の枝や虫たち)現に、ミミズに出会った子供が、見てみて!と私に言ってくれたあと、ミミズのお家を作らなきゃ!と落ち葉を重ねていました。
もちろん、木の枝を折ってしまう子もいました。でもそれは安全のため(基地づくりのために多少しょうがないかなという範囲だったので、)注意できなかったのですが、その規則を聞いたあとにこの枝、生きていたね!ほら、蕾があってもうすぐ咲こうとしてるね、と伝えると、ちょっと悲しそうな顔をしてこれあげる、と言われました。大丈夫。この子はわかってる。(早く言ってあげなくてごめんね…と少し後悔も)

そして、11時頃、軽い朝食の時間。みんな家から持ってきたサンドイッチなどの食べ物を食べます。
その後皆でまた遊んで、14時頃、昼ごはんを食べます。この時は既に帰る子もいます。
お家の方々の都合に合わせて、来たい時間に来て、迎えたい時間にお迎えにいらっしゃいます。

昼食後の遊びの頃、皆大好きな木と木の間にぶら下げたハンモック型のほぼブランコの使い方をしている布が老朽で?真っ二つに破れました。
それを見て、わぁ、残念、勿体無いなぁという感情が自然にあふれる私だったのですが、プロの先生方は本当に違いますね!それを紐から分解し、きれいに真っ二つに切り、それをマントとして子供が使えるようにしたのです。子供たちは、大はしゃぎ。マイナスがプラスに変わる、そんな現象を目の当たりにして、物の考え方や行動の仕方によってどれだけでも感情って変わるんだと思いました。先生方、本当にプロ。

そして高校の授業以来のサッカーボールをけるというサッカー遊びを子供としたのですが、その発想も豊か。
並んだ木と木の間をゴールに見立てて遊びます。
人が少なければ、キーパーを一人置いて、一箇所のゴールだけを使い、2人だったらキーパーと入れる人。3人だったら一人キーパー+2人が点を入れる人で、その2人はチームでも、敵同士でも子供のレベルに合わせて選んで楽しく遊べました。ルールも子どもたちが、決めて私に提案してきます。
走り回って疲れたけど、こんなに外で運動して腹のそこから笑うのっていつぶりだろう。楽しかったなぁ。

また子供たちの想像力豊かなこと。少し曲がった木の枝を見て、そこにブランケットをかけて、基地を作り出したり、三角の位置にある木にロープを張って繋げて、渡る遊具にしたりします。登るとロープが緩んでしまうから上のロープと下のロープを結んだり、創意工夫120点満点です💮

最後は絵本の読み聞かせ。背の高いキリンさん(推定女性)と背の低いワニさん(推定男性)のペアのお話。一緒に生活したいけど、大きさが違いすぎて何でもかんでも同じものが使えない、はて、どうしたことか。ベッドでは同じ顔の高さで仲良く話せるね、というアイディアから、プールを作ってその中で生活するということを考え実行します。
お話の途中でも、子供が、じゃあ全部寝ながら生活したらいいじゃん!とか読む前からこの階段は背の高いキリンさん用で、こっちはワニさん!とか色々発見して教えてくれます。ふふ、これは絵だけで想像できる、素敵な絵本です。小学校の時に先生がそういう絵本の魅力を教えてくれた記憶が蘇ります。その「ともだちや」の絵本みたい。

ここで15時。森のようちえん、本日もおしまいです。保護者の方が迎えに来ます。

保護者の方々はもちろん先生方に挨拶しますが、子供は知らないうちに帰っていきます。保護者の方も、「ほら、先生方に挨拶は?」ということもありません。Iさんによると、子供が本当に挨拶をしたいときには挨拶するようです。それだけ印象的だったときだけ。心に素直。きっと文化の差ですが、先生方も○○先生とは呼びません。下の名前で呼び捨てで呼びます。子供たちにとっては先生と言うより、一緒に遊ぶ友達のリーダーみたいな感じに見えているのでしょう(^^)
だから、挨拶したければバイバイと言うし、したくなければ挨拶もしないわけです笑

こんな環境で子供時代に育つから、心に素直で、相手を尊重しながら話し合いで解決をしようとするドイツの大人が多いと感じるのかもしれないな、と思いました。

どろんこを「汚い、洗うのめんどくさい」と考えるか、「よく遊んだ=学んだり感じたりした勲章」と考えるか、子供を一人の人間として尊敬するかどうか、そんな日常の些細な積み重ねが人間を形成する。幼児教育に携わる方々の発想力の豊かさと心の大きさと仕事の大きな責任感、保護者の理解に感動する日々でした。

どうせやるんなら遊びも仕事も全て思い切り楽しんじゃおう🤣❤意見が違えば相手を信頼して堂々と自分の意見を言って話し合おう😃❤というのがドイツ人の国民性のように見える。

長くなっちゃったので、ケルンのカーニバル編はまた今度。