先日、助産師さんとのトークライブイベントに講師としてお呼ばれしました


参加者の方々とも自由に質問や体験談などなど語り合えるとても素敵な時間となりました


そのイベントのタイトルは


「助産師と看取り士 生と死を語る」


でした


産む=生 看取り=死


一見そう見えますよね


その中で、印象に残った言葉があります


「出産に際して、自宅出産を相談していたら、わがままな妊婦と言われた」


それは、掛かりつけの病院での事だそうです。


実際に、自宅での出産を手伝っている助産師は、全国でも数人しかおらず、その方も県外から来られていました


妊婦さんは、色んなツテを辿って、その助産師さんを見付けて、呼ばれたそうです


「わがまま」


ってなんでしょうか


看取りの現場でも、時々聞かれる言葉


「死ぬだけだから」


書いていても胸が締め付けられます


出産も看取りも一昔前なら自宅で行われるのが当たり前でした


医療や介護が発達して、どちらも専門機関に任せる事が当たり前になっています


発達、発展していくのは、とても素晴らしい事です


ですが、それまでの当たり前を排除してしまうのは


違うと思います


私は 4人の子供を産みました


出産は、分娩台の上でしたが、3番目だけは、間に合わず、ベッドの上での出産でした


その時、痛みに耐え切れず、主人にしがみつきまくった事を覚えています


「痛かった」 と言っていました


ですが、あの出産が、一番側に居てもらったという記憶があります


出産も旅立ちも終わってしまえば、一瞬の出来事


ならば、専門機関に任せて、何事もなく、無事に過ごせたらそれでいい


そう考えてしまうのも分かります


人が生きる 人生は一度しかありません


旅立ちの時 側にいる事 出産の時 側にいる事


この2つは、今の時代、ないがしろにされてしまいがちです


でも、本来ならこの2つは、家族の一大イベントのはずです


会えなくなってしまう からこそ 最期の瞬間まで側に居たい 居てほしい


新しく産まれる からこそ 最初の瞬間を自宅で迎えたい 家族と過ごしたい


段々とどちらの事か分からなくなってきましたが


つまり 同じなんです


産まれる事 旅立つ事


どちらも 人生の一大イベント


自分の想いを叶える時間にして 何が悪いのでしょうか


押し付ける のではなく


選択する自由がある 


自宅での出産も自宅での看取りも


自由に選択する事が出来る 


何が最善なのかは、人それぞれ違います


医療も介護も発展しているからこそ 立ち返る事が出来る


色んな人のニーズに答えられる 想いを叶える事が出来る


社会作り 町作りが大切ですね