娘とベトナムに来て 「ジャングルツアー」の後 また、私 体調崩し 40度近い熱が出ました。
今回はロンドンに行った時を教訓に保険に入っていました。
娘が保険会社と提携している病院を インターネットで探し、連絡してくれて 即
救急車で病院行きとなったわけです。熱は下がらず、結局2回救急搬送されました。
二十数年前、タイに行った時、
「こんな国で救急車に乗ったら それだけで HIVで死んじゃいそう」と思ったことが頭によぎります。
二回目の救急搬送の時、意外にも その病院で 出迎えてくれたのは イケメンのイギリス人の医者。
医者:ハーイ、Dr.○○です。 ( 握手 )(満面の笑顔付)
そのノリに乗って、
娘、思わず
娘 : ハイ、私、○○大学の 医学生で~す。
医者 : そりゃあ、良い大学だね。 じゃぁ、あなたの お母さんの 診断をしてごらん。
始まりました。 変な 話の流れ・・・・ 長くなりそう・・・
ヨーロッパ人は 基本 話好きだもんね。
以下、話の抜粋中の抜粋。
・ 彼は世界各国の病院で診察と 病院システムのコンサルタントをしている。 家族もいる。
( 可愛い子供の写真も見せてくれた )
・ お金持ちの医者になりたいの? それとも良い医者になりたいの? 両方は両立しないよ。
・ NHS(日本で言えば医師会みたいなもの。少し違うけど)は腐ってるよ。 いくら、頑張っても
外人は NHSのトップにはなれないし・・。
・ 何で、親と旅行してんの? 親があなたを 束縛してるんでしょ? 一人で旅しなきゃ!
( うっそー 私が お膳立てしなかったら、娘 ずーと日本の我が家に こもりっきりなんですけど。
大の飛行機嫌いなんですけど・・・・・悪いの私?)
・ 遊びなさいよ。 やりたい事しないと後悔するよ。医者になるのイヤなら辞めても良いんだからね。
(はぁ~? 娘が自分で決めた事ですけど・・・私は授業料払ってるだけですけど・・)
・ 世界に出た方が 多くの人を助けられるよ。 (彼の奥様は その線のかなりのエリート)
などなど、冗談まじりに 話は ず~~~と 続いたわけです。
結局、私は 4時間以上 ベットで寝ていることになりました。
しかし、帰る頃には 娘と私への 色々なアドバイスを聞いているうちに、
彼が優れた医者であり、なかなかの 魅力的な 好人物だと思えてきた。
処方は見事だったし、重病が隠れていないか、色々な角度から診察もしてくれた。
(20年前の私の手術跡を見て「下手くそな医者だね。僕は正直に言ってるだけ」なんて事まで
言ってくれてた)
ホテルに帰り、翌日の朝、娘は「 一人で旅しなきゃ!」を胸に念願の 戦争記念館に出かけて行き、
ベトナムの悲惨な歴史に 思いを馳せ
私も微熱にまで回復し、ホテルで一人、東大で行われた「立憲主義の危機」というシンポジュームを
聞きながら漠然とですが、この彼の様な国際的な人生も有りなのかな?と 娘の将来に思いを馳せ
二人で 日本への帰路に 無事ついた。
今回はロンドンに行った時を教訓に保険に入っていました。
娘が保険会社と提携している病院を インターネットで探し、連絡してくれて 即
救急車で病院行きとなったわけです。熱は下がらず、結局2回救急搬送されました。
二十数年前、タイに行った時、
「こんな国で救急車に乗ったら それだけで HIVで死んじゃいそう」と思ったことが頭によぎります。
二回目の救急搬送の時、意外にも その病院で 出迎えてくれたのは イケメンのイギリス人の医者。
医者:ハーイ、Dr.○○です。 ( 握手 )(満面の笑顔付)
そのノリに乗って、
娘、思わず
娘 : ハイ、私、○○大学の 医学生で~す。
医者 : そりゃあ、良い大学だね。 じゃぁ、あなたの お母さんの 診断をしてごらん。
始まりました。 変な 話の流れ・・・・ 長くなりそう・・・
ヨーロッパ人は 基本 話好きだもんね。
以下、話の抜粋中の抜粋。
・ 彼は世界各国の病院で診察と 病院システムのコンサルタントをしている。 家族もいる。
( 可愛い子供の写真も見せてくれた )
・ お金持ちの医者になりたいの? それとも良い医者になりたいの? 両方は両立しないよ。
・ NHS(日本で言えば医師会みたいなもの。少し違うけど)は腐ってるよ。 いくら、頑張っても
外人は NHSのトップにはなれないし・・。
・ 何で、親と旅行してんの? 親があなたを 束縛してるんでしょ? 一人で旅しなきゃ!
( うっそー 私が お膳立てしなかったら、娘 ずーと日本の我が家に こもりっきりなんですけど。
大の飛行機嫌いなんですけど・・・・・悪いの私?)
・ 遊びなさいよ。 やりたい事しないと後悔するよ。医者になるのイヤなら辞めても良いんだからね。
(はぁ~? 娘が自分で決めた事ですけど・・・私は授業料払ってるだけですけど・・)
・ 世界に出た方が 多くの人を助けられるよ。 (彼の奥様は その線のかなりのエリート)
などなど、冗談まじりに 話は ず~~~と 続いたわけです。
結局、私は 4時間以上 ベットで寝ていることになりました。
しかし、帰る頃には 娘と私への 色々なアドバイスを聞いているうちに、
彼が優れた医者であり、なかなかの 魅力的な 好人物だと思えてきた。
処方は見事だったし、重病が隠れていないか、色々な角度から診察もしてくれた。
(20年前の私の手術跡を見て「下手くそな医者だね。僕は正直に言ってるだけ」なんて事まで
言ってくれてた)
ホテルに帰り、翌日の朝、娘は「 一人で旅しなきゃ!」を胸に念願の 戦争記念館に出かけて行き、
ベトナムの悲惨な歴史に 思いを馳せ
私も微熱にまで回復し、ホテルで一人、東大で行われた「立憲主義の危機」というシンポジュームを
聞きながら漠然とですが、この彼の様な国際的な人生も有りなのかな?と 娘の将来に思いを馳せ
二人で 日本への帰路に 無事ついた。