後藤健二さんの冥福を 祈ります。

皆さんもご存じのとおり、後藤健二さんは 中東、アフリカの現状を日本に伝えようと、

そして湯川遥菜さんを助けたいとイスラム国に潜入し、拘束された。

彼は ジャーナリストとして 日本の為に 働き、殺された。



私は、娘に 中学生時代から 「 人の役に立つ人間 」を意識させ 育ててきた。

娘もまた、その思いを 実直に引き継いで、 福島の震災後の仮設住宅、フィリピンの

ゴミ山で生活するスラム街、アフリカの孤児院とボランティアを続け、今医者を目指している。


この 私の「 人の役に立つ人間」という思いには

マザーテレサの言葉


”魂に恥じない行為をする、それが喜びになります。”

”もし、貧しい人びとが飢え死にするとしたら、

    それは神がその人たちを愛していないからではなく、 
 
           あなたが、そして私が、その人たちにパンを、服を、

               そして愛を、思いやりをあたえなかったからなのです。”

ヘレンケラーの言葉

”いつになったら 人間は学ぶのでしょう?

        人間が一つの体を成り立たせている部分なのだということを ”


ヘンリー・ドラモンドの言葉

”自分の一生をふりかえるなら、真に生きていたと思える瞬間は 他の為に、

                 愛の心で何かをなしとげた瞬間だと悟るでしょう。”


数え上げたらきりがない程の真実の 私が大切にしてきた言葉があった。




今回、後藤健二さんの事件をきっかけに、「人の為に働く」と いうことを 考え直した。

もし もう一度 娘を 育てるとしたら、そして、今の日本の情勢を考え合わせたら 

これらの輝く言葉が あったとしても、

果たして娘に「人の役にたつ人間」と 自信を持って伝えられただろうか? ということ・・・


後藤健二さんが殺された後、日本の政府の 今の状況は、

後藤さんの思いを引き継いだものといえるだろうか ?


「 自衛隊は 邦人が拘束された場合、武力を持って その邦人を 助け出せるようにする。 」


社会は複雑。 個人の善意は どこまで 通用するのだろう・・・・・

もし、個人の善意が 社会に通用しないなら、 それは 無意味な物になってしまうのか ?



人の役に立つことは素晴らしいことだ。 しかし、それが 「その時」に適っていなかった場合

自分の思いとは 全然違った結果を生んでしまう。

* その時に適う : 人間の人知を超えたタイミングで 条件・基準などによく当てはまる事


私は バブル期に生きてきた。 「自分一人が頑張って幸せになれば社会だって元気になる。」

この考えの胡散臭さ(うさんくささ)に 若いころから ウンザリしていた。

人は他人の幸せを願って生きるべき 私は 強く信じてきた。

でも、今 これ程 危うい状態に日本がなってくると、あえて 思い直す事がある。


「家族で 温かな食卓を囲む事。 安心して眠れる事。

他人には大したことではないけれど、好きな事をして、気持ちよく一日を過ごす事。」

この ささやかな幸せを 大切にして 一日一日を丁寧に生きる。

まずは、この自分自身の日常の幸せを 守り抜く決心をすることの大切さを 今 痛切に感じてしまう。


テロリストに捕まり 拷問を受け 宣伝活動に強制的に参加させられ

命からがら 逃げたトルコの若い青年の話。。

彼は 自分が逃げたために 家族を皆 テロリストに 拉致されている。

彼は涙とともに 訴えている。

「今の僕の望んでいるのは 自分が育った街で 幸せな家族を取り戻したいだけなんです。」

本当に 悲しい話です。


他人の為に役に立つことはとても大切。 しかし、社会は人間一人では考え及ばないほど複雑。


今でも 娘は 難民の為に 働きたいと思っている。

いくら、私が 平凡な幸せの重要性を説いても 娘にしてみれば簡単に 「ウン」とは言えない。


アラブで活躍している女性ジャーナリストと その娘を誇りに思っている母親のTIMESのニュースを

娘は私に送ってくれた。


最後に そんな娘への 私の返信を 添付して 終わりたい。


”Share してくれて ありがとう。

 でも、 こういう記事 読むだけで 胸が 痛くなる ってのが 正直な気持ちです。

 私は 英雄の 母親には なりたくない。

 あなたが 子供を 生んで 幸せに 暮らして、「やっぱり、長生きして 良かった。」 って

あなたが 言える様な 人生を 歩んでくれることしか 望めない。 "