曼荼羅をい描いてみたいと思ったのは高校生の時だった。

私の実家には月に一度お坊さんがお経をあげに来ていた。

その時には仏壇に野菜と果物、乾物を飾り、お膳をしつらえるのが日常だった。

6畳くらいの居間にある作りつけの仏壇は金箔張りでかなり大きかった。

子どもの頃は寺の行事に参加するのが楽しみだったが、どんどん疎遠になった頃、近所のネパール雑貨屋さんに出会った。

ある時、学校の課題でポスターを描くことになったので、「曼陀羅をモチーフに書きたいです」と担当の先生に相談したことがあった。先生のイメージは高野山にあるような仏様の描かれたものだったようで、そんな難しいものはやめておくように勧められた。技術的な事もそうだが宗教的な事は書いてはいけない気がして、描くのをやめることにした。

私が好きだったのは、タンカというチベットの曼陀羅だった。

タンカとはチベット仏教の教えを目に見える形にすることで、その教えを理解しやすくすることを助けるもの、そしてチベット僧の重要な行いの一つの「瞑想」の手助けをするものだと、後になってわかった。


2015年にアーユルヴェーダの世界に出会ってから、一気にチベット文化が近くなった。

2018年に北インドのヒマラヤ山脈の麓へ旅行した。そこに住む方々がとても顔立ち的にも懐かしい感じがした。厳しい自然ながら工夫して暮らす姿が美しい。毎朝ヒマラヤの間から見る景色に、この山脈の向こうの世界にもいつか行ってみたいと思うようになった。

2019年にダライ・ラマ法皇の側近といわれるタムテュク・リンポジェ氏が日本に来て講演会をすることになった。

リンポジェ氏は想像よりも小柄であるにもかかわらず、そこにいるだけで大きな優しさを感じるような人だった。その空気感と声は今も心に残る。おそらく素晴らしいマントラ(サンスクリット語の神聖な言葉)だったと思う。

マントラを唱えることは日本人である私にはとても難しい上、やはり見よう見真似でするものではないらしい。アーユルヴェーダを学ぶ中で教えていただいたのだが,家系的な伝統やルーツがある方々だけがマントラを唱える事が良いようだ。

ただ、私の魂のルーツがチベットやインド北部に近いような気がするのである。


52歳になり私はアートを手掛けるようになった。

技術的な事は現代ではいろんなツールが助けてくれる。

私の場合は、タブレット端末のアプリを使っている。私自身が得意とするのが、アーユルヴェーダの学びを生かして、相手の性質を自然の元素になぞらえて感じる事だ。感じたものを表した曼陀羅に似た作品たちは何かのシンボルになる。

私が自宅サロンを立ち上げる時、『自分のエネルギーの入ったアート作品を飾ると良い』とアーユルヴェーダの先生から言われた。インド風水の観点からも良いとの事で、アート作家の方に、曼陀羅アートの書き方を教わった。

今もサロンに飾る曼陀羅は私にとってはお守りのような存在である。