こんにちは。Keikoです。

 

私は1996年から2001年初めまで、イギリスの真ん中あたりの街、ノッティンガムという街の大学に留学しました。学士3年間と修士1年間の合計4年間同じ街に住みました。留学中の経験は、今も世の中を理解するときのベースになっており、私の考え方などに大きく影響していると思います。その頃のことを書いてみようと思います。






 

短大卒業し就職して数年経った頃、よくイギリスやアイルランドのバンドの音楽を聴いていました。いわゆるBrit Popが盛んな頃。Blur, Radiohead, supergrass, La’sなどなど。なかでもU2がとても好きで、いつかイギリスに行きたいと思い始めました(アイルランドとイギリスはほぼ同義と思っていました(笑)余談ですが、Radiohead の初来日公演に行きました!確か新宿リキッドルームだったかと)

 

短大では英文科だったものの、ほとんど英語を話せなかったし、海外に興味があり英語が話せるようになりたかったことも相まって、イギリス留学を決めました。趣味でフィルムのカメラで写真を撮るのが好きだったので、写真を学ぶことに決めて、大学選びを始めました。確か、実際に留学する前の年くらいだったと思います。

今と違ってインターネットで調べるなんてできない時代。当時は東京に住んでいたので、飯田橋の(だったかな)ブリティッシュカウンシルに行って資料を見せてもらい、写真学科がある大学を片っ端から調べました。

いくつか選んだ候補のなかの大学がブリティッシュカウンシルに学生との面接に来ると聞き、さっそく作品を持って会いに行きました。ひとまず来ていいという返事をもらいました。その後は多分手紙でやりとりしたんじゃないかと思います。

 

最初の1ヶ月のホームステイを大学が手配してくれる、という話だったのですが、出発の2週間前になってもホストが決まったという連絡がない。結構焦りました。決まったという連絡を受け取ったのは、確かイギリスに行く前に立ち寄ったニューヨークの知人宅。。。

 

イギリスに着いたのは、8月。日本の夏と同じではないことに想像が及ばす、持参したのは半袖何枚かと長袖のネルシャツ一枚くらい。長袖を羽織ってもまだ寒い時も。

 

ヒースロー空港からロンドンへ、そして電車で北上し、ノッティンガムへ。駅にはホストマザーが迎えに来てくれていました。

マザーのMadgeはアイルランドからの移民の子孫で、私と同じくらいの歳の娘さんと息子さんを持つシングルマザー。街で生花を売って生計を立てていました。ホームステイのホストとして留学生を常に複数人受け入れていたので、それも立派な収入源だったと思います。確か1週間70ポンド。日本円で当時14000円くらいでしょうか。一応3食付きですが、食事は質素でした。

 

Madgeが仕事から帰り、あと30分で夕食よ、と言ったとき、私はそんな短い時間で何ができるんだろう?と思いました。出てきたのは、レタスのサラダ、ピザ、くらいだったので、たしかにこれなら30分で準備できるな、と思ったものです。

 

てゆーか、私当時27才。今思えば手伝えよ!って感じですけど(笑)

 

食事が終わって片付ける時、台所で衝撃的なことがありました。食器用洗剤を入れたシンクの中に水を溜めて、そのなかで食器を洗っていました。泡だらけの水の中にお皿を入れてスポンジで汚れを落としたら、そのまま水切りかごへ。なんと、すすぎなし、です!多分わたし、それを見た時に目が1.5倍くらい大きくなっていたと思います。超カルチャーショック。

 

長くなってしまったので、たぶん続く。。。

 

最後まで読んでくださって、ありがとうございました!