これセッションに限らないことですが、例えば、

「具体的に聞きたいことがあるんですー」

とおいでになったお客様の、その具体の部分は実は問題の表層で、ということは多々あります。


そこから深層へと降りていける時もあります。

そうでない多くの場合は、とにかくはぐらかしていく。


色んな理由は考えられます。

心理学的には「それによって何か利があるから」って場合もあります。

(例えそれが自分の日々にとって不利でも)主張を曲げないでいいのが安心だとか、誰かに気をかけてもらえる(はずだ)からとか。


生まれて3歳から5歳くらいまでに勝手に思い込んだことが、その後ずっと思考や行動を左右する、みたいなこと、心理学では言われます。

私がセッションで(たまーに)行うエモーションフリーは、ここら辺に則ってるわけですが。


最近ふと思った、もうひとつ理由があって。

「得体の知れない・名前のつけられない感情、というカテゴリーが、とにかく混乱する、だから嫌だ」

みたいなこともあるのかなーって思ったのです。

エモフリではある程度感情の分類がしやすいんだけの、分類できない方が怖いってことあるかもな、と。

そして、喜怒哀楽を分類できない頃に戻る事が怖い、ってのも。


3歳から5歳くらいまでに、概念とか言葉とかって正しくは学びきれてないわけで。

「ああこれは悲しみだ」とか「怒りだ」と判別しきれない。

ただ「これは何⁇何⁇やだ‼︎」ってパニックになってたことの方が、実は多かったんじゃないか。

で、幼児の方がそれ以降より、パニックのエネルギー、大きかったりして。

そこで誰か親などが気づいてヨシヨシしてくれていたり、もう少し歳を経て誰かが聞いてくれたり、学ぶタイミングを持たせてくれてれば、軽減の可能性があるんだけど、

もし、なかったら。

…そういうパニックレベルの「よく分からない」感情が、トラウマとしてあったまま成長していくと、「対応できない」年齢に退行してしまう、退行してしまうような怖さが出てくる、みたいなことがあるかもなあ、と。


「怖いよね、分かんないもんね。

でも今は分かるだけの年齢に、あなたは成長しました、成長できましたよ」

って、その人に伝わる相応しい言葉で、お伝えできたらいいのかもしれないなーと今は思います。


問題をはぐらかして逸れていく人って私のところには最近ほぼ来なくなってしまいましたが。

(なぜなら逃さないから…怖いよね…でも遊びじゃ嫌なんだ。本気で乗り越えて、希望を叶えて欲しいからなんだ。)

それでも、ずっと考えて、もしものタイミングに、お役に立てるようにしとこうと思います。