伊勢白山道がよかった

誰もがギフテッド
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/019fb96addc53aa4997fdcd67dda4992

以下転載

最近、ギフテッド(Gifted)と呼ばれます、平均よりも顕著に高度な知的能力を持っている人のことが注目されています。
でも、ギフテッドの人は、社会的な成功を収めることは少なく、孤立して苦労している人が多いようです。

特に日本の小学生のギフテッドの子供たち(IQ135以上)は、
・ 高度な質問をするために先生から嫌われ、
・ 読書ばかりしているからイジメの対象にされ、
変わった生徒だという烙印を押されて、勉強の「落ちこぼれ」の逆の、「浮きこぼれ」として不登校に成る子供もいるそうです。

米国では、突出した浮きこぼれの生徒だけを集めて、国費で得意分野だけを勉強させる制度が有ります。
ただ、日本の番組で最近に人気の有る「消えた天才」「あの同級生は今何してる?」などの追跡調査でも見られる結果なのですが、

・ 子供の期間だけの早熟で終わった。
・ あの才能は、未成年期間における「早熟での差」だけのことだった。
・ 成人以降は、普通の人。

・ プロに成る人は、成人以降にも伸びて行く。

こういう結果が見られます。
だから米国の飛び級制度でも、その生徒たちの成人以降の追跡調査では、学術の世界でも意外な結果かも知れません。
実際に、ノーベル賞受賞まで行く生徒が出るのか? 疑問が有るところです。

灘中・灘高と進んだ知人から聞いた話なのですが、
・ 入学して驚いたのは、ここはスポーツ学校か? と思った。
・ 勉強せずに、スポーツばかりしているのに、なぜか試験の結果が凄い生徒が多い。
・ ガリ勉などは少なく、明るく面白い奴が多い。笑顔が多い。
・ どの教科も、すべて良く出来る。

こういう特徴を聞きますと、これこそまさに「ギフテッド」「天からの贈り物」だと感じます。
1つの教科どころか、
・ すべてのバランスが秀でている。
こういう人は、海千山千の社会でも上手く賢く生きることでしょう。

つまり、日本のノーベル賞受賞者の数が多いことを見ましても、
・ 1教科だけを伸ばす特化教育よりも、
・ 成人以降は、未成年期の総合バランス力が、1つの分野の追求能力にも生きて来る。
・ 関係ない分野の知識も、1つの分野の追求には生きて来る。
このようなことを感じます。

今日の言いたかった話は、天才を称賛する意味ではありません。ここからが本題です。
ギフテッド(Gifted)、この言葉に惹かれました。
天からの贈り物、授かり物、天から与えられた才能、などを意味します。

人間とは、障害が有っても、勉強が出来なくても、老人でも、生きていること自体がまさに大きなギフテッド(Gifted)です。
でも、生きている私達は、「こんなもの贈り物じゃねえ!」「早く終わって欲しい」と不満タラタラが多いです。

だから、どんな人生でも「ギフテッド」(Gifted)であることに、
自分が大いなる存在から生かされていることに、
・ 気付けて、
・ 感謝が出来る人。
これが真の天才だと私は感じます。
輪廻転生(生まれ変わり)を何度も重ねないと、生まれない天才です。

口先では分かっても、本当に心から、これが分かって生きているのか?
死んでから、誰でも分かります。そして、後悔しています。
生きている内に分かる人。
これが本当の天才だと思うのでした。