菅原文太が亡くなって2年になろうとしています。
菅原文太は1956年に映画俳優としてデビューしますが全く売れず1957年に創刊されたメンズクラブの専属モデルとして活躍しました。
その頃新東宝にスカウトされ映画俳優となりました。
モデル時代菅原文太は岡田眞澄等と共に日本で初の独立モデルクラブを設立します。
メンズクラブ創刊時日本はVANが設立されアイビーが浸透していきます。
フアッションモデルから俳優になるというのは当時珍しく現場では相当苦労したそうです。
新東宝で主演俳優になるもあまりぱっとせず、新東宝倒産後に松竹に入りますが松竹では菅原の魅力は開花しませんでした。
安藤昇の勧めで入社した東映で芽が出たのは30代中盤でした。
フアッションモデルからやくざ映画の大スターになった菅原文太、改めて彼の作品を振り返って観たくなりました。