3カ月ぶりの深い眠りだった。

親介護の※確変モード、突入から、関西行ったり来たりの3カ月。
関東に帰っている時は、介護関連から開放されるかと言うとそうではない。仕事しながら、資金繰りの為の厄介な資産の調べ物や、書類作成の他、日々の電話もある。

※パチンコ用語で、確率変動型のパチンコが大当たり前に、わさわさと慌ただしく目まぐるしく変動する状態に入る事をさし、日常においては、しばしば慌ただしい状況に入る事に例えられる。

 

この電話も、ただ家族を励ますだけの明るいものだけではない。半分は泣き言なので、聞いているとネガティブオーラが感染し、精神的にこちらもキツくなるのだ。

出来る事をやろうとする姉や俺が介護する側、出来ない事を要求する親が介護される側。その親が武士は食わねど高楊枝、プライドだけは異常に高く、老人ホームは嫌だ、アパートは嫌だ、健老は、特養は、サ個住は嫌だと。

 

金も労力も足りない現実を全く理解しようとせず、ただダタをこねる厄介者なのだ。

言うなれば、介護する側とされる側の攻防戦、負ければどちらも悲惨?な生活になりそうな、譲れない戦いである。

昭和初期の大家族は家での人手に困らない時代。そのイメージを現代の核家族に期待されても無理というものだ。

それに私自身まだ年金受給者でも、またセレブなIT社長でもない。汗水たらして働かなくては、生きては行けないのだから当然と言えば当然だ。

更に給料が永遠に上がり続ける親の高度経済成長期と違い、バブル崩壊や氷河期、はたまたリーマンショックなど、簡単に収入が半分以下に減らされる時代。皆余裕の無い家庭が多いのだ。

親の年金よりはるかに収入が少ない私に至っては、現在1日一食、究極の節制生活中なのである。

更に年金が貰えるようになっても、親が貰っている金額の半値8掛以下のねんきん定期便宣告である。
我々の老後は、今の親よりもっと悲惨な状況になる事は目に見えてるのだから、こちらもこれ以上生活を削って、安易に援助などと妥協する事は出来ない。

ある社会福祉士のサイトを読むと、介護の基本として、介護する側は労力を、介護費用は親の収入で賄うべきとあった。その通りだと思う。
「金もないのに贅沢言うな」である。まあ2人同時では足らないのは当たり前なのだが。

昔親に良く言われたことわざ

俺「〇〇君は親に〇〇してもらったってよ」

おかん「人は人、自分は自分」

これを言われてしまうと、ぐうの音も出ず、諦めざるを得なかった。
今こそ、そのことわざを返して進ぜよう。

 

「昔は昔、今は今」

 

「老いては、子に従え」

 

「立つ鳥、あとを濁さず」と。

そして解決策のない堂々巡りは続くのだが、これが日々頭の中でぐるぐる無限ループし、眠りが浅いのだと思われる。

そんな折、難病と戦いながらも自転車で日本一周中の自転車仲間が、北海道から一時帰宅し、埼玉のいつもの所で皆と走るという。

親が介護状態になってからは、電波の届かない山に行くのは避けてきたし、気持ちも沈んだままで、自転車にさえも乗っていなかった。関東帰宅時は関西で介護している姉にすまない気持ちもある。

しかしここは自身息抜きのグッドタイミングタイミング。早速差し入れに、関西名物たこ焼きでも焼いて持参、久々に走行会を楽しませてもらった。
皆元気そうでなにより。日本分割一周中の友達も元気だった。中にはつい最近、自転車ブルベの世界最高峰、パリ〜ブレスト〜パリ1200キロ完走してきたゼッケンプレート輝く人も。俺も介護が片付いたら何かそのうちやりたいなあ。

沢山の人に現状を聞いてもらう事で、気持ちが楽にもなった。また何か解決策が無いか、情報収集にもなるし。流石にここまでヘビーな状況はないが、皆何かしら介護には苦労しているのだとわかった。

介護絡みは、1人で抱え込むととんでもない事件を起こしてしまう事例が多い。気持ちは分かる。そうならない為にも、沢山の人に聞いてもらうのがええとおもう。

それにしても、暑さで汗をかくのと違い、運動して汗をかくと、体がスッキリリセット出来るので、よく眠れるのである。
やはり俺は、止まると死ぬんじゃ〜、体質なんだな。

これからはたとえ少しでも、自転車だけでも乗る事にしよう。体調を保つ事が、介護労力に役立つと信じて…。