先週の金曜日から昨日までネットのない生活を過ごしていた。
その1、週末、図書館に、プロバイダのトラブルシューティングを見に出かけた。入間市の場合、メールが出来ないように設定されているので、メールボックスへのアクセスは出来ず。動画アクセス(ダウンロードか)も規制されていて、アクセスできるページと出来ないページがあった。
隣の席には子供(小学校高学年か)がネットで、動画を楽しんでいた。音声も規制されているのだが、イヤホーン持参で聞いていた。覗いて見ると、オバQだ。今でも人気があるのだ。これはアジアなど国際的に人気があるようだ。
私を含めて、それぞれ子供は子供、大人は大人で年相応にネットを楽しんでいるのだ。
その2、家ではネットがないので時間が余り、気がつくと音楽を聴きながら、本を読んでいた。「万葉集」だ。久しぶりにじっくり昔の歌を楽しんだ。今読んでいるところは、柿本人麻呂から山上憶良、大伴旅人にかけての辺りだ。まだまだ、口語訳がないと意味が取れないが、奈良時代の始め頃、私たちと同じような愛の気持ち、悲しみがあったのだ。そしてそれが、今に伝わっているのだ。音楽の伝承もすごいが、歌の伝承ももっとすごい。途中、時代時代に研究者が注釈や解釈、そして読みそのものを研究している。万葉がなは歌によりいく通りかに読めるものがある。万葉集そのものと、付随する研究の集積。文化遺産として、いまだに生きている。
これはすごいことだ。
昭和の中頃、テレビ全盛期の頃、国民がテレビに釘付けになっていた。当時、それらの風潮に対して、テレビ不要論(活字文化の復興)や、文化の荒廃を嘆く人が多かった。あえてテレビのない生活を雑誌等では勧めていたものだ。疑似体験不要論だ。
今、我が家のネットがダウンし、ネットなしの生活、すなわち新聞を読み、散歩し、音楽を聴き、本を読んでみると、かってのテレビに変わり、今やネットがメディアの中核になっているのだ。
ネットのない生活、ネットに於ける疑似体験を否定する必要がありそうだ。
ネットのない生活、読書三昧も悪いものではなかった。忘れていた何かを思い出したような妙に楽しい気分だった。