【日本庭園を知って楽しむ】 2-10 明治以降 洋風化の波と多様化

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

 

■■2 日本庭園の歴史

 何ごとも、歴史や生い立ちを知りますと、そのものの本質のようなものが見えてくることが多いです。
 庭園も、変化の歴史を知ることにより、知識に幅が出ることもあり、奥深さを見出すことがあります。
 「面白みがない」という思いの方もいらっしゃると思いますが、上述のような理由で、私自身のために記述しておきます。

 

■ 2-10 明治以降 洋風化の波と多様化

 明治時代に入ると洋風庭園が日本の庭園に影響を与えます。しかし、初期の頃は日本庭園とあまり調和しませんでした。また、江戸時代の大名屋敷とそれに付随する庭園が次々と壊されたりもしました。
 しかし、日清・日露戦争以後の金に糸目をつけない作庭が行われ、「新興ブルジョアジーたちの大邸宅庭園」がみれらるようになりました。それらの池泉は広大で、庭園の中に枯山水風の配石をし、二重露地、芝生広場、田園風趣の田んぼや畑に水車を設けたりもしてきました。石組みは自然の山野の姿を模し、多くが借景式庭園でした。
 渋沢栄一の邸宅「愛依村荘」は、広大な敷地の中に日本家屋と洋館が建ち並びます。そこに、洋風と和風の庭園が混じり、また茶室と茶庭を兼ね備えています。
 ジョサイア・コンドルは、和風住居や庭園と洋館・洋風庭園を並存した旧岩崎邸庭園や旧古河庭園(和風の部分は小川治兵衛作)などを手がけています。
 大正末年ごろから大学に造園科が設置されたり、造園の専門学校や研究団体が生まれたりしてきます。組織的・体系的な研究がなされるようになってきました。
 生活改善同盟会が設立されますと、生活改善の6綱領のひとつに「庭園」が含まれ、1919年に日本庭園協会が設立されました。当協会を中心に古庭園の研究や、同時代の建築家や造園家、作庭家らが新しい庭園が模索されたのです。
 日本庭園の分類は、それまでは築山、平庭、露地の3分類にすることが多かったのですが、この時代に入りますと、壷庭や三仏寺投入堂に見られる崖庭も加えれらるようになりました。
 昭和に入ると雑木の庭ともいえる「自然風」という形式が、都市化の流れの中で、人工化して急速に広まってきました。全国の山野に自生して、強健で種類も多く、移植しやすい材料を原寸大で自然に見せる手法が確立されてきます。
 一方、重森三玲を中心とした、昭和に入ってからは、寺院に多くの枯山水庭園や自然主義的な庭園ではなく、象徴的な庭園が台頭してきます。大正時代の折衷気風を回避して庭園史研究の深まりと科学的近代造園技法に支えられるようになりました。
 このような変遷の中、科学的な庭園史研究やその考証密度が高まり、現在の日本庭園の創造だけではなく、過去の名庭園の保存も重要視されてきています。建築の多様化によって数多くの庭園がつくられるようになり、今日に至っています。(【Wikipedia】、重森完途氏・コトバンクを参照して作成)
 

        
■ 日本を代表する庭園        
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  ■ カシャリ! ひとり旅




ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています