■■【心de経営】 論語に学ぶ経営03 子曰く、 君子不器 実践編 16

  【心de経営】は、「経営は心deするもの」という意味になります。それとともにフランス語の前置詞であります「de(英語のof)」を活かしますと、「経営の心」すなわち、経営管理として、あるいは経営コンサルタントとして、企業経営をどの様にすべきか、経営の真髄を、筆者の体験を通じた学びをお届けしています。

【筆者紹介】 特定非営利活動法人日本経営士協会理事長 藤原 久子 氏

 北海道札幌市出身、平成元年7月に財務の記帳代行業務並びに経理事務員の人材派遣業の会社を設立し代表取締役として現在に至っています。  平素、自社において、従業員満足・顧客満足・地域貢献企業を目指し、ワーク・ライフ・バランスを重視した経営に心がけています。  一方、自社における経験をもとに、経営コンサルタントとしての専門知識を活用しながら、客観的に現状を認識し、問題発見・解決策の提案や業務改善案、経営戦略への提言など、企業の様々な問題の共有を図りながらアドバイスをしています。

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 本メルマガで【心で経営】の新シリーズが始まり数か月が経過しました。混濁した世の中を生き抜く術・視点は何処にあるのかを私なりにお伝えする事ができればと願いつつ、企業経営の心髄に論語の精神が重なっている事に気付かされ、渋沢栄一に共鳴し、論語が私の愛読書の一つとなっています。

 中国、戦国時代の思想書「大学」におきましては、治国平天下(ちこくへいてんか:国を治め天下を平和に保つこと)の方が主体でありますが、私の論語への想いは、個人的規範が主体になっています。自らの修養の為に論語を学んでゆくのが最適であると考えたのです。

 何時の時代にあっても、また時代の変化の中でも、いわゆる不倒翁(「おきあがりこぼし」と同意)として行き抜いて、人間の持っていた自らの修養と経験に基づくものが、企業経営をしてゆく上で極めて重要であると確信しています。

 ここでご紹介する渋沢栄一の生涯は『論語』との出会いにあります。「明治維新を作った徳川時代的教養とはどういうものであったでしょうか。徳川時代は、一般的な民においても職字率が非常に高く、当時の世界的水準のトップではなかったかと言われております。『雨夜譚』をみますと、6歳のときに父の市郎右衛門から教育を受けていたとあります。その前の5歳のときから既に文章を読む事を教えられていて、学ぶという基礎を幼児に叩き込まれた渋沢栄一が一番親しんだのは、論語でした。7歳の頃に読み始め亡くなるまで読み続けていた渋沢栄一は、84才から2年余かけて膨大な『論語講義』を遺しました。この点ではまさに不易(ふえき:いつまでも変わらないこと)です。

■■ 渋沢栄一の論語講義 : 為政第2-12 ■■

             子曰く、 君 子 不 器

 日本経営士協会に於いては【心で経営】の新シリーズが始まり数か月が経過しました。混濁した世の中を生き抜く術・視点は何処にあるのかを私なりにお伝えする事ができればと願いつつ、企業経営の心髄に論語の精神が重なっている事に気付かされ、渋沢栄一に共鳴し、論語が愛読書の一つとなっています。中国、戦国時代の思想書「大学」におきましては、治国平天下(治国平天下:国を治め天下を平和に保つ事)の方が主体でありますが、私の論語への想いは、個人的規範が主体になっています。そのことから自らの修養の為に論語を学んでゆくのが最適であると考えたのです。何時の時代にあっても、また時代の変化の中でも、いわゆる不倒翁(起き上がりこぼし)と同意として行き抜いて、人間の持っていた自らの修養と経験に基づくものが、企業経営をしてゆく上で極めて重要であると確信しています。

 ここでご紹介する渋沢栄一の生涯は『論語』との出会いにあります。「明治維新を作った徳川時代的教養とはどういうものであったのでしょうか。徳川時代は一般的な民においても職字率が非常に高く、当時の世界的水準ではトップではなかったかと言われております。『雨夜譚』をみますと、6歳のときに父の市郎右衛門から教育を受けていたとあります。その前の5歳のときから既に文章を読む教養を教えられていて、学ぶという基礎を幼児に叩き込まれた渋沢栄一が一番親しんだのは論語でした。7歳の頃に読み始め、亡くなるまで読み続けていた渋沢栄一は、84才から2年余かけて膨大な『論語講義』を遺しました。この点ではまさに不易(ふえき:いつまでも変わらないこと)です。

 

◆ 為政(いせい)第2-12

 子曰く、君子不器

読み   子曰く、君子は器ならず

口語訳 子曰く、諸君は器械になってもらっては困る。

 孔子が言った、器(うつわ)はすべて、ある目的のための専用につくられたもの。しかし、学徳とともにすぐれた君子と言われる人物は、ある一つのことだけの専門であってはならない。学徳の備わった君子は、一芸一役の用をなしうるだけの器ではない。器を用いる働きのある人間である。

解説に出てくるキーワード 「大量大度(たいりょうたいど) 」

 人間として真に完成した状態のこと、「器」は器物であり、孔子は「在上の君子は器物のごときものではない、器物を使う人である」とといている。人間である以上は、その技能に従がって用いさえすれば、だれでも何かの役にたつものである。人にはおのおの得意の一技一能が必ずあるものである。もしそれ非凡達職の人になると、一技一能に秀れた器らしい所はなくなってしまい、万般に行き渡って奥底の知れぬ大量大度の所があるものである。

     参考文献 論語と渋沢栄一 プレジデント社

 企業の価値を決定するものは、環境を認識し、戦略を創造ないし事業を構想し、戦略を実行する組織能力であると考えます。組織能力の向上をはかるものが組織学習に他ならず、それが持続可能な組織運営をもたらし、優秀な知的人材の獲得は競争力の源泉であることはいうまでもありません。そのうえで組織価値を高めるために共通のルールに従って組織メンバーの共有の財産とするために日常的な実践を通してコミュニケーションが図れている限り、一定の方向で知識を獲得しつつ連携してゆくことが組織成長に繋がる鍵になる事でしょう。

 絶えず能力の向上を図るものへと研鑚を積むことが、持続的に組織価値を高めてゆくことになります。優秀な人材が、新たな価値基準を生み出しながらスパイラルアップし、それが組織の成長を推進してゆくということです。

 人間は誰でも、限りある自分の時間や人生を納得のできる様に過ごしたいと願っています。ましてや知的社会意識が高く、遣り甲斐のある仕事に魅力を感ずる環境の中で成長してゆくためには、社会的存在を自問自答したりするものです。他人の体験を自分のことの様に味わえることも、組織としてどういう方向に向かってゆくかをしっかりと決めてゆくこと、組織は目的を見破らないこと、チームとしての利点を考えるとき、それは「利他主義」にあって相手を思い遣る、喜ばせる精神で、企業人としてどこまで楽しめるかを組織のなかで体得してゆきたいものです。

 人の修養は最初から不器(天性の器量のない者)の器とはなれないのです。まず一器として完成を志し、一事に長ずるものは万事にも長ずともいう様に、一事に長じない者は、他事に長じ得ることは出来ないのです。それぞれの才能に応じてその能力を尽くし、その各人の完成を期して努めれば、人間性の霊妙さはその人それなりの不器の器と成り得ると思います。

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