■■【カシャリ!一人旅】 埼玉県・川越市10 川越 喜多院 多宝塔

思い立ったらカシャリ!

へたの横好きで撮った写真をここにまとめておくことにより、必要なときに見やすいようにと考え、単なる思いつきで着手しました。

他人様に見ていただくというより、自分の作品を整理するためのページです。

カシャリ!一人旅

  埼玉県 川越
川越市サイト    関連資料

 埼玉県川越市は、都心から30km圏内、埼玉県西部に位置し人口は34万人を有する、産業、経済、文化、観光などの中核都市です。

 観光の面でも、「小江戸」と呼ばれ、蔵造りの町並みや川越まつりなど魅力ある歴史的・文化的遺産が残っています。

 都心からのアクセスは、池袋から東武線、新宿から西武線が便利で、JRでは少々不便なところにあります。私は、髙田馬場駅乗り換えで、西武線「小江戸川越フリークーポン」で行ってきました。

 高田馬場駅では、ビックボックス側の改札口でないとチケットが買えません。本川越ませ約1時間、駅をおりてもバス乗り場への案内地図はありませんでした。近くのお店の人に尋ねても、巡回バス乗り場を知らないくらい、認知度も高ければ、西武鉄道の熱意も感じられないので、覚悟をして行くと良いでしょう。

 西武線のフリー切符は1,300円(平成27年4月現在)と、1,500円の特急割引切符とがあります。後者では巡回バスは別途購入する必要があります。東武線では、1,000円でバスの乗り降り自由のチケットです。バス路線は、西武系の方が観光地をくまなく巡ります。

川越 喜多院

 喜多院(きたいん)は、埼玉県川越市にある天台宗の寺院で、山号は星野山(せいやさん)といいます。天長7年(830年)に慈覚大師が無量寿寺を開いたのが始まりです。永仁4年(1296年)、尊海が慈恵大師を勧請して無量寿寺を再興しました。北院、中院、南院の3つの房が建てられました。「北院」が「喜多院」に繋がることは容易に想像がつきます。

 良源(慈恵大師、元三大師ともいいます)を祀り、ダルマ市(1月3日)でも知られていますので「川越大師」の別名もあります。境内にある五百羅漢の石像も有名です。建物はほとんどが重要文化財に指定されています。広大な境内には、池や掘を廻らせた景勝地です。

 喜多院となったのは、慶長17年(1612年)に、徳川家康の信任の厚かった天海僧正が、住職となった時からです。寛永15年(1638年)、大火によって喜多院のほとんどを焼失しました。3代将軍家光が江戸城内の紅葉山から客殿、書院などを移築しました。これが江戸城唯一の遺構として残されています。

 客殿や書院には「家光誕生の間」「春日局化粧の間」と伝えられている部屋があります。

 

喜多院 多宝塔



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多宝塔 県指定有形文化財

 総高13m、方三間の多宝塔で本瓦葺、上層は方形、上層は円形、その上に宝形造りの屋根がのっています。江戸時代初期の多宝塔の特徴が表れています。

 多宝塔は、寛永16年(1639)に、山門と日枝神社の間にあった古墳の上に建立されました。

 その後、老朽化が進んだため、明治43年(1910)に慈恵堂と庫裏玄関との渡り廊下中央部分に移築されました。移築に際し大幅に改造されていたので、昭和48年(1973)に現在地に移し、解体修理を実施し復元しました。

            < 公式サイトより >


慈恵堂(本堂)より多宝塔を臨む


慈恵堂(本堂)より多宝塔を臨む
手前手すりは、本堂基壇に作られている手すり



総高13m、方三間の多宝塔で本瓦葺、上層は方形、上層は円形、その上に宝形造りの屋根がのっています。


江戸時代初期の多宝塔の特徴が表れているといわれています。


上層屋根を支える桁は、円形に併せて作られています。


装飾色の色の鮮やかさは残っていませんが
色彩ははっきりとわかります。


桜は満開を少々過ぎていましたが
多宝塔を美しく飾ってくれました。


庫裏側から多宝塔を臨む
右手が慈恵堂(本堂)、左手が庫裏


庫裏と慈恵堂(本堂)を結ぶ渡り廊下から多宝塔を臨む

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