■■【経営コンサルタント竹根の起業日記】2月第3週 総集編 もやもや


 
 【小説・経営コンサルタント竹根の起業日記】は、10年のサラリーマン生活をしてきた竹根好助35歳の経営コンサルタントとしての独立起業日記です。
 これから経営コンサルタントとして独立起業しようと考えている人の参考となることを願い、経営コンサルタントとしての実践を経験的に語るつもりです。

 経営コンサルタント起業日記を読むポイント
 日記の主であります私(竹根)は、35歳の商社マンで、産業機械部第一課課長、2013年4月1日に経営コンサルタントという職業に関心を持ちました。
 そのような中で直属上司とぶつかることが多い竹根は、商社の限界を感じたり、経営コンサルティング業による社会貢献のすばらしさがわかってきたり、ついにはヘッドハンターからコンタクトがあったりと揺れ動く竹根。サラリーマンを辞めるのか、それとも、別な道を歩むべきか、迷った挙げ句の決断は、日本を代表するコンサルティング・ファームである竹之下経営にお世話になることに決めた。
 商社マンを辞めて、経営コンサルタント業界に一歩足を踏み入れた竹根である。連日、今まで体験したことのない中で、日本経営士協会のチュータリングサービスで経営コンサルタントとしての自分を磨く毎日である。
 毎日20時30分頃発信しています。ただし、一部のブログでは翌朝の発行となることもあります。

【 注 】
 ここに記載されていることは実在の企業とは何ら関係ありません。

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 21014年2月3週


■ 開業諸手続等ができる業務遂行のための実務能力 0209

 昨日届いた、日本経営士協会のチュータリングサービス課題は「開業諸手続等ができる業務遂行のための実務能力」であった。自分には今のところ関係ない課題であるが、いつその様な事態に陥るかわからないので、ネットや手元の書籍を参照した。


 すでにサラリーマンをしている人は、退職に当たって、あるいは退職直後の諸手続、独立起業に当たっての届出等について、何を、何処で、どのようにしたら良いのかわからないことが多いと思います。
 退職をすると、それまではサラリーマンとして健康保険の諸手続関係を会社が代行してくれていました。ところが、退職したとたん、その恩恵は受けられなくなります。国民健康保険に切り替える手続をしないと、病気になっても保険が利きません。全額を現金で支払うことになると今まで医療費の何倍もの金額になってしまいます。
 開業するにあたっても、会社設立に関してどのような書類を、どのように作成したら良いのか、それを何処に提出するのか・・・・・<続き> ←クリック

 入手した資料だけでは、課題に充分答えられそうもないので、午後から近所の図書館で書籍をあさった。そこには充分な書籍がないが、検索すると市立中央図書館にあることがわかった。ICT時代の便利さを痛感した。
 そこに行ってみると、必要な情報を不充分ながら得られた。


■ 研修企業から再び不満 0210

 十七時前に、会社に戻ると、机上にメモが置いてあった。賀詞交歓会の時に、お世話になった社長からである。電話をしてみると、社員研修をしたが、全く効果がないというクレームに近い相談である。
 駆け出しの私からアドバイスをするには力不足であるが、どの様な形式で研修をしたのか、調べてから返事をすることで電話を切った。
 ところが、担当の経営コンサルタントが出張中で明後日でないと戻らないというので、資料を調べてから、明日にでも返事をする旨、その社長に再度電話をした。


■ 本部長は何を考えているのか? 0211

 本鈴本部長から呼び出しがあった。社員研修の引き合いがあるので、そこに同行せよというお達しである。なぜ、私に声がかかったのかわからない。幸い、畑中先輩が在席していたので、自分の気持ちを素直に話した。先輩によると、鞄持ちなら誰でも良いというのが本部長の考え方だが、ひょっとすると私に何かを感じ、期待しているのかもしれないという。それがお世辞であることはわかるが、悪い気持ちはしなかった。
 電車での移動であった。大きなコンサルティング・ファームの取締役本部長なので、専用車か何かで移動するのかと思っていたが、電車で移動するのは意外であった。本部長の鞄は重かった。幸い席が一つ空いていたので、本部長に座っていただき、私は鞄を手に持って前に立った。
 本部長は、目をつむり、じっと何かを考えている様子である。大きなコンサルティング・ファームの取締役ともなると、きっと壮大なことに思いを馳せているのだろうと想像した。
 引き合いのあった会社についた。竹之下経営主催の飛翔会会員企業であるので、直ぐに応接室に招かれた。私は、本部長の鞄を持ち、そばで立って相手の社長が来るのを待った。
 まもなく社長らしき人と、若い人が入ってきた。何と、若い人が社長で、同伴した人は人事部長であった。名刺交換すると、相手の社長から座るように誘われたので座ることにした。
 本部長は、私にしゃべるように目で促した。
 社員研修の引き合いだと言うこと以外は、事前に何も聞いていないので、何を話したら良いのかわからない。
 とりあえず、これまでの社員研修の現状を聞くことにした。幸い人事部長は能弁で、私が相槌を打つくらいでも、先方の意向を話してくれたので、話はスムーズに進んだ。その場で受注にまで至った、竹之下経営というブランドの高さを体感できた。
 会社に戻ると、あたかも自分が受注を取ったかのごとく部長連中に話している本部長の言葉に意外性を感じた。
 自分は、部下が何もしなくても部下の手柄にしてきただけに、コンサルティング・ファームというのは、違うのかと、半ば疑問に思いながらも私は聞いて聞かぬ振りをした。


■ 匠製本からの電話 0212

 12日(水)は、これまだ収集した資料をもとに農薬・農業資材関連商社I社向け報告書の執筆をした。
 そのような中で、匠製本製作所の社長が私に会いたいという電話が来た。明日、訪問する予定である。


■ 匠製本で揺れる 0213

 2月13日(木)も、佳境に張ってきたI社向け報告書執筆に取り組んだ。昨日電話のあった匠製本 社長訪問に出発する時間となってしまった。
 約束の19時に間に合わせるように、自社のある最寄り駅からJR、丸ノ内線と乗り継ぎ、匠製本に向かった。茗荷谷駅を下りたときには、帰宅するサラリーマンで混雑していた。
 匠製本の萩野専務が出迎えてくれ、社長室で橋上社長に会った。雑談もそこそこにいきなり本題に入ってきた。資金繰りも厳しいし、売上も伸びないので、顧問として何とか協力して欲しいと深々と頭を下げられた。
 先日の本部長の言動がチラッとよぎり、このまま橋上社長の要請を受け入れて竹之下経営を辞めてやろうかという気持ちが顔を出した。しかし、この間に竹之下経営のクライアントさん達からの顔を思い浮かべると、後ろめたさがあった。
 気が付くと、橋上社長がまた頭を下げていた。
 自分は、まだ修行の身であることは以前にも話てあるので繰り返しては説明にならない。これだけ頼まれるには、それなりの事情もあろうと考えた。煮え切らないままの返事では失礼と思い、5カ年間の決算書のコピーをもらえるかと訊いた。私を信用してくれてか、それだけ真剣な頼みなのか、わからないが、躊躇することもなく同意してくれた。こちらがあっけにとられるほどの即決である。
 後日、専務に届けさせると言うことで別れた。


■ 提案拒否 0214

 2月14日(金)、隣の課の最近退職したコンサルタントがの代わりにN社というクロスや人工紙のメーカーの企業診断書の最終まとめをして、提出する期限の日である。本部長に提出すると、「期限内の提出は君だけだ」と珍しく、私を褒める言葉が出た。
 ご機嫌が良いことを感じたので、I社の診断書の件を話し始めた。マーケティング・市場部門担当と言うことで、単に資料の解説だけでは教科書のようであるので、営業データとマーケティングデータとをリンクさせて原稿を書くという方向転換を考えていた。
 この際に念のため、本部長に相談することにした。ところが、「経験の浅い若造が、そんな偉そうなことをする必要はない」と事務所の外にまで聞こえるような大声で否定されてしまった。
 そこで引っ込んでは、経営コンサルタントというプロの名に恥じると思い、自分はまだ経験不足で、業界のしきたりも、わが社の基本姿勢もわからない旨を添えて、出過ぎたことを謝罪した。その上で、営業部門とマーケティング部門では連携が必要なので、何とか書かせて欲しい旨を話した。
 とりつく島がなかった。そんなオリエンテーションに、昨日の匠製本の社長の童顔がちらついた。


■ 嬉しい声 0215

 2月15日(土)は、社員研修の講師として、N社を念頭において、営業パーソンのマーケティングデータの営業活動への利用について、講義と演習を交えたの研修を行った。実践的で、久しぶりに有益な社員研修を受けられたと受講者や研修担当課長から嬉しい言葉をもらった。

 これぞ経営コンサルタントの醍醐味!!


【 注 】 日記から週記へ

 2013年11月最終週から、日記ではなく「週記」になりました。主人公の竹根が転職後多忙で多少でも時間を作ることができるようにするためです。新米経営コンサルタントという新しい仕事に慣れない部分を充分とはいえないながらもカバーできると思います。

 竹根に一層の声援を送ってくださると幸いです。


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