■■【経営コンサルタント竹根の起業日記】 9月第5週~10月第1週 総集編


 
 【小説・経営コンサルタント竹根の起業日記】は、10年のサラリーマン生活をしてきた竹根好助35歳の経営コンサルタントとしての独立起業日記です。
 これから経営コンサルタントとして独立起業しようと考えている人の参考となることを願い、経営コンサルタントとしての実践を経験的に語るつもりです。

 経営コンサルタント起業日記を読むポイント

 日記の主であります私(竹根)は、35歳の商社マンです。産業機械部第一課課長、2013年4月1日に経営コンサルタントという職業に関心を持ちました。
 最近、部長とぶつかることが多い竹根である。商社の限界を感じたり、経営コンサルティング業による社会貢献のすばらしさがわかってきたり、ついにはヘッドハンターからコンタクトがあったりと揺れ動く竹根。サラリーマンを辞めるのでしょうか、それとも、別な道があるのでしょうか。
 迷った挙げ句の決断は??
 毎日20時30分頃発信しています。ただし、一部は翌朝の発行となることもあります。

【 注 】
 ここに記載されていることは実在の企業とは何ら関係ありません。

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 9月第5週~10月第1週 総集編

九月二九日 退職願


 昨日、妻が何も言わずに私に同意してくれたこともあり、ぐっすりと眠れた。
 妻とのサンデーショッピングから帰ると退職願を書いた。
 一方で、毎日のようにメールをよこす、竹之下経営の畑上先輩には、近いうちに訪問の上、意思表示をすると、YESともNOとも取れる返事をしておいた。
 親友で同期の秋元に電話で退職願のことを話すと、今日は外せない予定があってどうしても会えないが、明日会おうということになった。
 気分がさっぱりした。
 今後どのようにするのか、考えたり、子供達を近くの多摩川へ連れて行ったりとして一日を過ごした。

九月三十日 常務との面談

 朝一番で、部長に退職願を提出した。
 その驚きは、凍り付いた顔で、しばらく言葉が出てこないほどであった。
 なぜなのか、と、理由をさかんに訊いてくる。当たり障りのない返事を繰り返して、部長の勘に障るようなことはできるだけ言わないようにした。
 計画書関連の仕事があると理由付けをして、部長室を出た。
 昼食は、例のちょっと高級レストランで秋元と会う約束をしていた。昼休み直前になって常務がやってきた。シルバーとクロの混じった頭は、いつもながら上品である。
 内線をくれれば、こちらからで向いたのにと言ってから、常務室に帯同した。なんと、そこには社長もいたので、こちらは驚いた。私の本音を聞こうと、部長はもちろん同席していない。
 部長が定年になれば、次は私が部長であることは内々に決まっている。会社にとって必要な人材である、とも常務から説明された。
 私は、商社の限界、自分のやりたいことは、中小企業が、自分達のやりたいことをやれる条件作りを通しての経営支援であることを告げた。常務が、スペシャルマシン社や名古屋の塗料ベンチャーのことなどを社長に説明した。
 社長は何も言わずに席を立った。
 常務と二人になると、お互いに気まづい雰囲気になるかと思いきや、常務は「君のやろうとしていることは、日本にとっても、世界にとっても良いんじゃない」とスケールの大きな話になり、笑いさえ出てきた。
 これまでの経緯や、竹之下経営からの誘いを受けるつもりであることなどを正直に話すと、活躍を祈るという言葉で別れた。
 一五分ほどの遅刻で、秋元とレストランで会った。彼も慰留もしなかった。
 午後、部長から呼ばれた。常務は、私を迎えに来たのに、部長は内線電話で私を呼び出す、その違いを感じた。
 私が退職することで、部長に迷惑がかかるというような論調、何が言いたいのかわからないような愚痴めいた話、ムダな一時間が過ぎた。別れ際に「ご迷惑かもしれませんが、退職させていただきます」と挨拶して、部長室を出た。
 竹之下経営の畑上先輩に電話を入れ、今週会いたい旨を話した。

十月一日 都民の日

 娘は都民の日で学校が休みである。
 もちろん、一般企業にとっては都民の日は関係ない。朝の通勤電車の中で、あと二ヶ月足らずで、商社マンとはおさらばかと思うと、なんとなく寂しさを感じた。
 それよりも今後のことを考えれば、明るく、希望が湧くはずと言い聞かせるが、気持ちは沈んだ。
 いつも会社には一番乗りの私であるが、会社に着くと、何人かの課員がすでに来ていた。すでに私の退職のことを知っていて、私の周りに寄ってきた。
 課員からの嘆願書をもって、辞めないで欲しいと懇願された。涙ぐんでしまった。
 仕事の合間に、課員としての心得のようなものをまとめ始めた。退職するまでに書き上げるつもりで、目次から書き始めた。書きたいことがたくさんあるようでいながら、何を書いたら良いのか、意外と思い浮かばないのである。

十月二日 経営コンサルタントへの第一歩

 いよいよ、経営コンサルタントとして第一歩の準備を始めなければならない、と考え始めたら昨晩は、ほとんど一睡もできなかった。
 だからといって、具体的に何をしたら良いのかが決まったわけではない。
 会社にいる間、社内で人にすれ違うと「退社するんだって?「転職と聞いたが・・・」と半信半疑な人が声をかけてきた。情報の早さとその広がりの大きさに驚いたのは、お客様から「辞めないで欲しい」という電話やメールが何本も入ったことである。
 竹之下経営の畑上先輩に昨日会うつもりでいたが、先輩の都合で今日になってしまった。
 社内にいると、いろいろな人から退社のことで話し掛けられるので、五時を過ぎると早々に会社を出た。約束まで大分時間が合ったので、神田駅前の書店に入った。独立起業に関する本というのが意外とたくさん並んでいるので、その中から3冊ほど購入した。
 約束の時間の十五分前に、竹之下経営の玄関を入った。何度か来ている会社だが、今日は何となく違った。この玄関をこれから毎日通るのかと思うと、同じ景色が違って見えたのである。
 畑上先輩に応接室で会い、よろしくお願いしますと挨拶をすると、すぐに副社長を呼びに行った。副社長が社長とともにわざわざ来てくれた。紳士である社長は、言葉少なに手をさしのべて握手をしてくれた。カラダの割には、がっしりとした手であった。

十月三日 チームマネジメント

 部長に呼ばれた。未練がましく、しかし形式とも思えるような態度で、慰留された。一応、辞める気持ちは変わりませんが、考えてみますという返事をした。
 経営士ブログで、毎月第二木曜日に開催される「知修塾」の案内が入っていた。上期6か月は「問題解決手法」げテーマであったが、十月からの下期は「チームマネジメント」という内容に変わる。
 あまり耳慣れない言葉であるが、内容の想像がつくので、受講申込をした。十日の知修塾が楽しみである。

十月四日 部長の慰留

 昨日、部長の慰留に、リップサービスで「考えてみます」と言ったことを、部長は自分の手柄のように常務に報告したらしく、常務に呼ばれた。
 常務は、多少慰留に期待を持たされていたらしかったが、事情を話し、退職を中止する意思はないことを丁重に告げた。
 常務の「履歴書に傷を付けないように」という言葉が気になった。

十月五日(土) どのような経営コンサルタントを目指すか

 特別なスケジュールが入らない限り毎週土曜日は、早朝散歩に始まり、朝食、コーヒーを飲みながらの音楽鑑賞と続く。コンサルティング・ファームという、新しい職場で働くに当たり、月並みながらドボルザークの新世界を選曲した。この曲も、ベートーベンの五番と同様に、全体のメロディー展開は頭の中に入っている。
 今日は、アメリカの西部開拓時代のフロンティア精神溢れる状況をこの曲に重ねて聴いてみた。それがいつしか、自分自身のおかれている現況と重なるように思えてきた。
 商社や大企業に頼らなくても生きていける中小企業への支援が、大企業にどっぷり浸かってきたサラリーマン生活とは全然違う世界のように思えた。
 曲の最後は、自分がタクトを振っているような錯覚にさえ陥り、終わるや否や、経営コンサルタントのバイブルを開いた。
 開いたページが、「経営コンサルタントの分類」というページであった。経営コンサルタントを大別すると①顧問起業支援型、②講演・執筆型、③社員研修型という三つが典型的で、その複合型、それ以外というような分類で説明されていた。

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