始めに。
自分がうまれた意味を探している
産まれてからこの日まで、
全て含めた血の滲むような努力と、
その場で味わえた幸福、痛みも、
全てここ数年の自分が無にしている。
それは客観的に一般的な目線であり、
主観的立場から見た時の自分が手にした実感である。
ある意味でなにも無く
ある意味で何かを得た22年であったように思える。
感じるがままに、納得の行く為の行為であった、それが自分にとっての22年である。
落ちたと感じる事もあった
いままで上がり続けて居たと思った。
でも今の自分をふと見返してみると
どちらでも無いんだなと理解出来る。
今までに沢山の人と出会って
そのおよそ関わって来た数千人の人々の価値観と触れ合い混じり合い今の自分が作られたし創って来たと思う。
人と触れ合ってしか自分は本当の自分を見つけられないのかな?
とも思う。
そうやって触れ合う人が自分に教えてくれた真実、嘘、誘惑、それらによって今の自分はこの目に見えない価値観を手にしていると思う。
だけれどそれじゃあ、あまりに曖昧過ぎて
人の一生役1世紀と考えた時に、
時代、生きて来た年数、歩いて来た道、だけじゃ全てを理解することは不可能だと思う。
それくらいに世の中は沢山の学びで描かれ、しかもその時の流れで全ての物事のレートは上がり下がりしていると思う。
じゃあ自分には何が必要なのか?
きっと今の自分の価値観で言うと、
己の心で感じるものこそが全ての答えだと思う。
人は生まれて来る瞬間に、
自分の一生をお腹の中で見ている、という。
その説はすごく未知なる可能性で、
自分の中に眠る感情こそが、まさにそれを本当だとするならばの話だけれど
自分に期待している人生からの問いなのかもしれない。
わからない、けれどこう思うんだ
その感情
わからない、けれどそう思うんだ
それが自分のシナリオなのかもしれない。
一生じゃとても理解し切れない神秘の上で、または中で、またはその下で転がされるように
生きているのかもしれない。
そう考えると
自分の直感と短い22年で生きて来たと感じる衝動で、これから選んで行かなければいけないんだと感じる。
それがきっと答えだ。
感じることを信じて再生して行こうと思う。
