最近、自分を使うという感覚でいます。
自分がする、というより、自分というものを動かしている感覚です。
していることは同じですけど、感覚が違うとどうなのか?
実験中です。

 

 

4月25日のメッセージ

 


特別なことは何もなくて
ただそうであるだけ

なのに
特別であるために
意味を求めてしまう

ただ
違う
というだけなのに 


すべてが特別なら
特別の中では特別などない

 

 

 

 

今朝は
 特別なことは何もない
という言葉が届きました。

人と違う、ということを特別と感じているなら、人は誰もが特別なんだな。と感じることがありました。
昨日のメルマガの内容に繋がりますが、最近ずっと感じていることです。 


わたしたちは物事を二項対立で見ることが多いです。

表と裏、善と悪、生と死、男と女、子どもと大人、好き嫌い、出来る出来ない、等、様々なところに溢れています。
でも、階層を上げて大きな枠で捉えれば、どちらも同じです。

そして、二項の一方が良くて一方が良くない、というようにジャッジしてしまいがちです。
これが問題を問題にしているところだな、と思うんです。 


このジャッジの基準って、なんでしょう?
この基準すら人それぞれですよね。
二項は単なる違いであるというだけです。

わたしが大人だけが集まっているところにいれば、大人という認識はないですよね。
わたしが女性だけの中にいたら、女性という認識もなくなります。

違いって、コントラストですよね。


他方があるから認識できるだけ。
自分があるから他者があるんです。
 


自分はなくて、すべてが自分。
だとすれば、やっぱり現実は内側の投影だと理解できます。
意識の階層が上がれば、すべてが一つで一つがすべてであることがわかります。
 
問題が問題ではなくなるって、こういうことなんでしょうね。

 

 

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あなたは、どんなことを感じましたか?

感じたことや気づいたことを、
コメント、メッセージくださると嬉しいです(*´-`*)

(お返事書きます♥)

 

 

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