「え~と、じゃあ今日はどこにしようかな…
とりあえず適当に、柳都大橋を渡って佐渡汽船のほうまでお願いします。」
そう運転手に告げたあと、隣に座る私のほうを見て、彼はニッと人の良さそうな笑顔を見せた。
なんというか、その笑顔一つでこれからはじまるイタズラの共犯者にでもされた気分。
きっと照れたんだと思う、私は。
視線から逃れるように、
タクシーの後部座席の窓を少しだけ開けた。
外はくすぐったくなるような春の夜の風。
行きつ戻りつしていたこの街の長い冬が、ついに終わったんだ。
互いに視線を外し
最近どうしてた?
仕事は忙しい?
なんてとりとめのない会話をいくつか。
わかってる
ほんの数センチ先にいる
タクシードライバーに私たちの意識は向いている。
この閉じられた空間に
飲み込まれた他者。
それを意識しつつも
会話は5分と保たず、ゲームは始まる。
繰り返される、あの日の焼き直し。
新潟市古町で拾ったタクシーは柳都大橋をのぼりはじめる。
今日は
彼から仕掛けてきた。
彼の指が
私の指を探る。
それを触れて
受けて
応える。
何を考えているかわからない彼の平然とした横顔に、たまらない色気を感じ。
限られた空間と
限られた時間、
限られた触れ合い。
真夜中のゲーム。
彼の手は
優しい。
触れかたが
とても優しい。
優しくて、ずっと大切に扱いたいと思うけど、きっとそれはどこへも持っていき場所のないモノ。
ただただ
優しいだけの、
それ以上でも以下でもない、
他意のない
触れ合い。
だからこそ、
その優しさに
身を任すことができる。
だからこそ、
余計なことを考えずに
その感触だけに没頭できる。
だからこそ、
私たちは瞬間を生きるように
互いを慈しみ
互いを貪欲に味わえる。
タクシーの窓の向こう側。
この街の景色は
目の前で
千切れるような切なさだけを残し
夜の闇に飲み込まれてゆく。
記憶よりずっと華奢な彼の身体を、
力を込めすぎないように抱きよせ、
たまらない気持ちを押し隠し。
唇を合わせると
もたれるように
体重をあずけた。
タクシードライバーはいま
どんな顔してる?
いつもの好奇心。
唇を重ね続け
指を絡め合う。
だけど決して
『その先』へは進まない。
終わらないプロローグ。
はじまらないメイクラブ。
そのもどかしさが、
より一層
私たちを燃え上がらせる。
その行為に
無我夢中で
没頭させる。
彼は私の高校時代からの親友『奏(かな)』の恋人だ。
三人で食事をしたことも数回あるし、
奏と飲み歩いて
彼にアパートまで送ってもらったこともある。
人畜無害そうな好青年のサラリーマン。
それが私が受けた、彼の印象。
ある日
Facebookを通じて彼から連絡が届いた。
奏の誕生日プレゼントを選ぶのに協力してもらえないか、というモノだった。
もちろん奏を喜ばせるためのサプライズ。
奏には内緒で待ち合わせをして、二人きりで買い物をした。
プレゼント選びを手伝ってくれたお礼だといって、彼は私を飲みに誘った。
もちろん共通の話題なんかがそれほどあるわけでもなく、高校時代の奏のはなしや、恋人がしばらくいない私の恋愛観だとか互いの仕事のはなしだとか。
2時間も飲めば話題も尽き、
帰ろうとなった。
帰りのタクシー。
ソレは唐突に
私を襲った。
真冬の出来事。
彼が身につけていた
厚手のコート。
軽く酔いがまわって
無防備な横顔。
まるでストーブでも焚いたような
熱のこもった車内。
コートの上からでも感じる
タクシーのヒートシーター。
一人暮らしの部屋で待つ
冷たいベッドの感触を思うだけで
ため息がでそうだった。
私はただ、彼の顎のラインを
なぞりたかっただけだったように思う。
たいして面白味もないと感じていた男の横顔に、
妙に触れてみたくて仕方がなかった。
自分を抑えるには
私も少し酔いすぎていた。
私の手が
男の顎のラインをなぞる。
不器用に。
今思えば、いくらでも冗談にできたはずだ。
ふいのことに
驚いた表情を見せたが、
彼はすぐさま優しい笑顔を引き出す。
意外な反応。
あ、もしかしたら彼はモテる人なのかも。
と、その瞬間他人事のように思ったことが、今となってはおかしい。
いるんだよなぁ、
こういう女の寂しさを、
妙に上手くほどけさせるヤツ。
彼は少し笑った後、
タクシードライバーに
「すいません。
どこでもいいんで、1時間くらいこの辺適当に走らせてもらえますか?」
と言って、財布から一万円札を取り出した。
呆気にとられている私に、彼は
「このタクシーの中で、1時間だけならしたいこと、していいよ。」
と彼は妙に誠実そうな顔で言った。
やっていることは、もちろん最悪なんだけど。
よくわからない男だ。
あれから数ヶ月が経つ。
月に1、2回会っては
繰り返す、
あの日の焼き直し。
指を使い、
手で撫で、
唇を這わせ、
舌で味わい、
声を洩らし、
耳で感じる。
だけど決して、
『それ以上』には進まない。
目的地を決められていないタクシーのように、
ただただ『時間』が来るその時まで漂い続けるだけ。
向かうべき場所を持たない遊戯。
無言の制約。
時間は1時間。
私たちの時間はタクシーの中でのみ許された関係。
無言の誓約。
肌が露出しているところしか、
私たちは触れてはならない。
無言の成約。
次に会う、約束を交わさない。
耳を囓られ、
鎖骨の窪みを舌でなぞられ、
声が洩れる。
もっと声を聞かせて、と男はさらに優しさを増し、動く。
私の名を、
彼は囁くように呼ぶ。
今は名前を呼ばれることだけで、こんなにも心地良い。
スタートか、
エンドか。
それすらも自分たちでは決められないまま。
引き返すこともせず。
漂うだけで。
はじめようともせず。
だから終わらせようもなく。
指と、唇だけで。
飽くこともなく。
タクシーの窓の向こう側。
この街の景色は
速度を上げて
後へ、後へと
千切れるような切なさだけを残し
目の前を通り過ぎてゆく。
とりあえず適当に、柳都大橋を渡って佐渡汽船のほうまでお願いします。」
そう運転手に告げたあと、隣に座る私のほうを見て、彼はニッと人の良さそうな笑顔を見せた。
なんというか、その笑顔一つでこれからはじまるイタズラの共犯者にでもされた気分。
きっと照れたんだと思う、私は。
視線から逃れるように、
タクシーの後部座席の窓を少しだけ開けた。
外はくすぐったくなるような春の夜の風。
行きつ戻りつしていたこの街の長い冬が、ついに終わったんだ。
互いに視線を外し
最近どうしてた?
仕事は忙しい?
なんてとりとめのない会話をいくつか。
わかってる
ほんの数センチ先にいる
タクシードライバーに私たちの意識は向いている。
この閉じられた空間に
飲み込まれた他者。
それを意識しつつも
会話は5分と保たず、ゲームは始まる。
繰り返される、あの日の焼き直し。
新潟市古町で拾ったタクシーは柳都大橋をのぼりはじめる。
今日は
彼から仕掛けてきた。
彼の指が
私の指を探る。
それを触れて
受けて
応える。
何を考えているかわからない彼の平然とした横顔に、たまらない色気を感じ。
限られた空間と
限られた時間、
限られた触れ合い。
真夜中のゲーム。
彼の手は
優しい。
触れかたが
とても優しい。
優しくて、ずっと大切に扱いたいと思うけど、きっとそれはどこへも持っていき場所のないモノ。
ただただ
優しいだけの、
それ以上でも以下でもない、
他意のない
触れ合い。
だからこそ、
その優しさに
身を任すことができる。
だからこそ、
余計なことを考えずに
その感触だけに没頭できる。
だからこそ、
私たちは瞬間を生きるように
互いを慈しみ
互いを貪欲に味わえる。
タクシーの窓の向こう側。
この街の景色は
目の前で
千切れるような切なさだけを残し
夜の闇に飲み込まれてゆく。
記憶よりずっと華奢な彼の身体を、
力を込めすぎないように抱きよせ、
たまらない気持ちを押し隠し。
唇を合わせると
もたれるように
体重をあずけた。
タクシードライバーはいま
どんな顔してる?
いつもの好奇心。
唇を重ね続け
指を絡め合う。
だけど決して
『その先』へは進まない。
終わらないプロローグ。
はじまらないメイクラブ。
そのもどかしさが、
より一層
私たちを燃え上がらせる。
その行為に
無我夢中で
没頭させる。
彼は私の高校時代からの親友『奏(かな)』の恋人だ。
三人で食事をしたことも数回あるし、
奏と飲み歩いて
彼にアパートまで送ってもらったこともある。
人畜無害そうな好青年のサラリーマン。
それが私が受けた、彼の印象。
ある日
Facebookを通じて彼から連絡が届いた。
奏の誕生日プレゼントを選ぶのに協力してもらえないか、というモノだった。
もちろん奏を喜ばせるためのサプライズ。
奏には内緒で待ち合わせをして、二人きりで買い物をした。
プレゼント選びを手伝ってくれたお礼だといって、彼は私を飲みに誘った。
もちろん共通の話題なんかがそれほどあるわけでもなく、高校時代の奏のはなしや、恋人がしばらくいない私の恋愛観だとか互いの仕事のはなしだとか。
2時間も飲めば話題も尽き、
帰ろうとなった。
帰りのタクシー。
ソレは唐突に
私を襲った。
真冬の出来事。
彼が身につけていた
厚手のコート。
軽く酔いがまわって
無防備な横顔。
まるでストーブでも焚いたような
熱のこもった車内。
コートの上からでも感じる
タクシーのヒートシーター。
一人暮らしの部屋で待つ
冷たいベッドの感触を思うだけで
ため息がでそうだった。
私はただ、彼の顎のラインを
なぞりたかっただけだったように思う。
たいして面白味もないと感じていた男の横顔に、
妙に触れてみたくて仕方がなかった。
自分を抑えるには
私も少し酔いすぎていた。
私の手が
男の顎のラインをなぞる。
不器用に。
今思えば、いくらでも冗談にできたはずだ。
ふいのことに
驚いた表情を見せたが、
彼はすぐさま優しい笑顔を引き出す。
意外な反応。
あ、もしかしたら彼はモテる人なのかも。
と、その瞬間他人事のように思ったことが、今となってはおかしい。
いるんだよなぁ、
こういう女の寂しさを、
妙に上手くほどけさせるヤツ。
彼は少し笑った後、
タクシードライバーに
「すいません。
どこでもいいんで、1時間くらいこの辺適当に走らせてもらえますか?」
と言って、財布から一万円札を取り出した。
呆気にとられている私に、彼は
「このタクシーの中で、1時間だけならしたいこと、していいよ。」
と彼は妙に誠実そうな顔で言った。
やっていることは、もちろん最悪なんだけど。
よくわからない男だ。
あれから数ヶ月が経つ。
月に1、2回会っては
繰り返す、
あの日の焼き直し。
指を使い、
手で撫で、
唇を這わせ、
舌で味わい、
声を洩らし、
耳で感じる。
だけど決して、
『それ以上』には進まない。
目的地を決められていないタクシーのように、
ただただ『時間』が来るその時まで漂い続けるだけ。
向かうべき場所を持たない遊戯。
無言の制約。
時間は1時間。
私たちの時間はタクシーの中でのみ許された関係。
無言の誓約。
肌が露出しているところしか、
私たちは触れてはならない。
無言の成約。
次に会う、約束を交わさない。
耳を囓られ、
鎖骨の窪みを舌でなぞられ、
声が洩れる。
もっと声を聞かせて、と男はさらに優しさを増し、動く。
私の名を、
彼は囁くように呼ぶ。
今は名前を呼ばれることだけで、こんなにも心地良い。
スタートか、
エンドか。
それすらも自分たちでは決められないまま。
引き返すこともせず。
漂うだけで。
はじめようともせず。
だから終わらせようもなく。
指と、唇だけで。
飽くこともなく。
タクシーの窓の向こう側。
この街の景色は
速度を上げて
後へ、後へと
千切れるような切なさだけを残し
目の前を通り過ぎてゆく。