戸籍から自分の出自を知るのだけれど

知るのには二段階あるような気がしていて

自分の戸籍ともう一つ

産みの親の戸籍を見ること

 

私にとって戸籍ってやっぱり特別な意味を持っていて

自分の戸籍は当たり前だけど自分を中心にした時の流れを記録してる

どこで誰から産まれて

いつ届けが誰からどこに出されて

そして養子縁組が誰の同意でなされたか

 

私の場合は産まれた日があって

産みの母から届けが出されたのはちょうど6か月後

私が置き去りになったのが生後1ヶ月くらいで

産みの母が判明したのがそれくらいだったということ

 

産みの母が判明するまではその市の市長さんがつけてくれた

一文字もらった苗字と圭伽という名前の戸籍があったんだけどその記録はない

 

そして養子縁組は3歳5か月の時

常盤の家に来てから2年と9か月がたっていたころ

そして養子縁組の代諾者は産みの母ではなく

後見人として祖母にあたる人の名がある

産みの母はそのころはもうそこにはいなかったのだろう

 

戸籍には出来事と時の記録だけが記載されているだけだけれど

空白の5か月や養子縁組に2年半以上もかかったこと

常盤の家で暮らしながら

どこか落ち着かない不安を抱えた父や母の姿や

養子がなるころにはもう祖母の前からも姿を消していた産みの母がいたこと

どこにも書かれていないことだけれど

こんな少ない量に登場する私を含めた5人の人間がゆきかうのがみえる

 

そして産みの母の戸籍

彼女が主役の戸籍

私が手にしたのは20歳の春だった

いきさつはまた別の時に詳しくと思う

 

この戸籍には彼女の物語があった

祖母、祖父にあたる人の名

私を引き取りたいといった叔父にあたる人の存在

そして彼女のその後に人生が記録されていた

当時はまだ縦書きの戸籍で

誰から生まれて云々は同じだけれど

産んだ子供が記されていた

はじめは私の名があり養子縁組で×がつけられていた

そして続いて二人の女の子の名

一人は父の記載がなくもう一人は認知

その後その認知した人と結婚したようで2番目の女の子はそこに養子縁組されていた

 

2番目の子は私と3歳ほどの違い

やはり私が養子になろうかというころ

彼女は私の時と同じように一人で女の子を産んでいた

 

こうして彼女が家族を作っていることをみて

その中に自分がいないこと

それを意識するようなことはなく

さみしいとか悲しいとか、感情的な気持ちにはならなかった

 

決めつけてはいけないけれど

いわゆる楽しいホームドラマのような家庭がそこにあるようには感じられなかった

きっと様々なことがあったであろうことが想像できた

 

だからというわけではないけれど

思った以上にすっと冷めるというか冷静なというか

落ち着いてその状況を想像できる自分がいた

 

きっと本当に人それぞれで事情があって

物語があるのだと思うけれど

こんな無機質な

時間と出来事とそれをした人だけの記録だけれど

その人が主人公の物語を雄弁に語るのだなあという気がする

 

出自を知るということは

自分の時間と出来事とかかわった人達を知ることはもちろんだけど

産みの母や父が主人公となってる戸籍、物語を知ってはじめて

出自を知るということにつながるんじゃないだろうか

 

ただ無機質な記録だからこそ読み手のこころが反映される気もしてて

知ることは生きてくことだから受けて立つけど

やっぱり楽なことじゃない

記録ではなく物語になりえるからこそ

これから読む子どもたちが

妄想だけじゃなくなるように

広い視野が持てるように

あたたかい安心の中で読めるようにと願わずにはいられない

 

関連ブログ

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(一緒に暮らし始めた日と、戸籍上の養子縁組の日付の違いについて思うこと)

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