最近はもうないのかなぁと思う(思いたい)けど
高校入学の時に真実告知を受けて
大人たちは
もう解禁という感じだったのかな
何人かの大人から
「お父さんお母さんに感謝しないとね」とか
「親孝行しないとね」とか
「幸せな子だよね」とか
いわれることがあった

そんな時
中途半端な作り笑顔で
小さくそうですね的にうなづいて
会話もとぎれていたような気がする

大人たちは悪気はなくて
両親の苦労を見守ってきた感じもあるから
その姿が思い浮かんでの言葉だったんだろう
けど
わたしにはまだそんな思いやる力もなくて
いわれた言葉だけがのしかかって
元気に「そうですね」と
笑顔でこたえることできなかったなぁ

まあ自分が大人になってからも
恩返ししなきゃね
なんていわれることもあって
やっぱり中途半端に笑ってうなづいた

今の両親に感謝はもちろんあるし
全然その通りなんだけど
なんですんなり入ってこなかったか

なんかね
その言葉には
悪気ないんだけど
意識もしてないと思うけど
助けられたかわいそうな子
もともとは幸せじゃなかった子
っていうニュアンスを感じていたんだと思う

自分の価値
みたいなところを刺激する

その時はそんなにクリアにわかってるわけじゃないし
言語化もできてなくて
直感で感じてるから
深いところにある
自分は勝ちがない価値が低い
みたいなところと繋がって
そんな間違った妄想が一段と強固なものになっちゃうんだよね

自分が抱えていたのは
手放せるのにしがみついていたのは妄想だったって感じてから
やっと
気がついた
赤ちゃんの頃からの写真たち
はにかんだような笑顔の両親
ただの笑顔じゃなくて
幸せそうな笑顔
手を握ってこちらをみてる父や母
二人が写ってなくても
カメラ越しにみてる二人のまなざし
おじやおばがとってくれたものも
ただの写真じゃなくて
幸せうれしさ楽しさが
そこにあふれてたこと
伝わってくる

ああ
あたしは
お父さんやお母さんを
幸せにしていたんだなぁ
って
そんな存在だったんだなぁ
って

もちろん疑いなく
わたしは幸せにしてもらって
けど
わたしも幸せにしてあげてて
そんな幸せをわかちあっていたんだなぁ
って思える

今たくさんの
お父さんやお母さんが
この子がいてくれるだけで
出会えて幸せだよ〜って
教えてくれてるから

わたしだけじゃなくて
子どもたち(今おとなでもね)の
自分もなかなかやるじゃん👍
って思えるね

そんな視点がもっとひろがるといいな