養い親からの産みの母や父へ思うことって

命を託してくれたこと

子どもとの縁をもたらしてくれてこととして

感謝しなければならないような感じになってないかなあって

ちょっと心配になるときがある

 

もちろん命をつなぐことになったこと

縁をつなぐことになったこと

それは養い親にとっても子どもにとっても

とてもとても意味あることであると思う

 

わたしも今ここにあること

両親との縁もとても大切なありがたいものだと思っている

 

けど

産みの母や父と一口にいっても

託すとか手放すとか様々な言葉があるように

その人なりの様々な事情があって

 

その話を聞けばさもありなんって感じで

仕方なかったねとか

よく頑張ったねとか

たくさんあるだろうと思うけど

 

そんな思いとは逆に

えっ、どうしてそんなことが

なんでそんなことを…

と思うようなこともたくさんあるんだと思う

 

目の前のこの子に

その後ろにちらつく産みの母や父親の影を見てしまうこと

 

そんな受け入れがたい

ふっとわいてしまうような感情もあるだろうって思う

そんな時

この子に罪はない

と自分に(自分たちに)言い聞かせるようなこともあるんじゃないかな

 

うちの父もそんな気持ちにからの言葉だったのかもな

って思うようなこともありました

「親が親やで」父から投げつけられたことば | 捨て子から養子当事者になった keica-tokiwaの徒然ブログ (ameblo.jp)

 

うまくいかない感じやもどかしい感じ

血にすり替えてしまいたくなるようなときもあるんだろうと思う

 

そんな中でも影にとらわれてしまわないように

その子そのものを見つめようとすることって

本当に力のいることなんだと思うし

そこを頑張ろうとしてくれること

頑張ってくれてることが

その子をがっちりと抱きとめるようなことなんだと思う

 

子どもはわたしがそうであったように

親や周りの気持ちそのものはわからないけど

自分そのものではない何か(影)を見てることを感じ

自分に影があることを感じ取るのかもしれない

 

だからといって

思ってはいけないということではなくて

見えてしまう感じてしまう思ってしまうことは仕方ないことで

なかったことにするように抑え込むことではない気がする

 

抑え込むことでかえって

妄想で影が膨らんで

その子を取りこんでしまうかもしれない

 

だから

真実告知じゃないけど

産みの母や父のそこにあった物語

どんなに受け入れがたいものだとしても

オープンにしてその子にかかわるみんなで持ち合えたらと思う

 

うちの両親は聞きたくなかったから聞かないことにした

だから

産みの母の受け入れがいことを

受け入れがたいことだなって

受け入れることができなかったんだと思う

だから

わたしを見てその影におびえるような

苦しい時が何度もあったんだと思う

そこにはわたしへの思いも愛もあったから

 

そんな思いを養い親が抱えなくていいように

愛が苦しみにならないように

愛を愛としてあたたかく感じられるようにって思う

 

そのためにも

どんな物語でも

たとえ受け入れがたい物語だったとしても

養い親だけじゃなくかかわったみんなで持ち合って

感謝も受け入れがたい気持ちも

いろんな気持ちがあることを

それでよいのだということを思えたら

子どもの影は祓われていくような気がする