日曜函館競馬11R
芝2000mで行われる
3歳以上オープン重賞競走
(国際・ハンデ)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BD%E9%A4%A8%E8%A8%98%E5%BF%B5

函館競馬場で行われる最も深い伝統を誇る競走である。七夕賞GⅢに続いて行われるサマー2000シリーズの一戦である。
1965年に創設された函館記念。その前年まではオープン特別競走としての施行だった。当初の距離は芝2400mだったが後に現行の距離に変わっている。
また1996年迄は北海道シリーズが札幌→函館の順だった。故に北海道シリーズの前半が札幌記念で後半が函館記念という形だった。
レースの性質上、GⅠ戦線で勝ち負けになるようなメンバーの出走は正直言って期待出来ない。ただ、近年ではレベル低下が明らかとなっている天皇賞春GⅠからこのレースという中長距離を主戦場としている面々の出走であれば実際にあり、時に好走する場合もあったりする。また牝馬については今世紀辺りから北海道新聞杯クイーンステークスGⅢが控える形故に其方を目指すケースが目立っている。

☆ 初期の函館記念優勝馬たち
伝統の重賞競走だけあって、創設当初の優勝馬たちは割と筋の通った面々が名を連ねた。特にメジロの冠を付した馬達が目立っていたのも特徴的だった。1966年、第2回優勝のメジロボサツは牝馬ながら朝日杯3歳ステークスを6連勝で飾って啓衆社賞最優秀3歳牝馬に選ばれたが牝馬クラシックではオークスで2着など。古馬となってからはこの函館記念優勝がほぼ唯一の好走に終わった。繁殖生活では孫にメジロドーベルを輩出、2015年の年度代表馬モーリスもこの馬の血が。
1970年のメジロアサマ、翌1971年のメジロムサシは僚友として同時期に中長距離戦線で覇を競い合い、天皇賞春を制したり目黒記念等でワンツー決着を果たしている。メジロアサマはその産駒からメジロティターン、更にメジロティターンからメジロマックイーンを輩出してメジロ牧場の隆盛に大いに影響した。

☆ 途轍もないレコード勝ち
80年代になると当時の換算での4歳馬達が続々と優勝するようになっていた(70年代にも現在のGⅠ競走に値したものを制したのは阪神3歳ステークスだけでクラシック競走では跳ね返され続けも多数の重賞競走を制した馬主が元プロ野球選手だったバンブトンコート等も)。現在でも多くの場合皐月賞とダービーで主役を張った面々は大抵秋の菊花賞トライアルの時期に復帰するというのが定番だが中には別のローテーションを刻むケースもある。デビュー戦が函館で其れを圧勝したサッカーボーイの場合、テンポイントの再来との言われ方があった通り、その毛色と風貌更に阪神3歳ステークスGⅠ(当時)も制したので一層その趣も深くなっていた。4歳になると爪の問題故にマトモな春を送れずに東京優駿GⅠも惨敗。中日スポーツ賞4歳ステークスGⅢでの圧勝でポテンシャルの高さを誇示するとこの函館記念では1分57秒台という当時では考えにくかった高速タイムで優勝。マイルチャンピオンシップGⅠも制してただならぬ実力ぶりを発揮してみせたが有馬記念GⅠの繰り上げ3着を最後に競走生活を終え、種牡馬としてはナリタトップロード、ヒシミラクルと自身が出走しなかった菊花賞GⅠ優勝を成し遂げた産駒を送り出した。

☆ 波乱続きの函館記念
平成に入ると1997年からは北海道シリーズの前半になるなどを経て伝統の重賞競走として毎年行われているが、当時の印象として最も強かったそれは「波乱の函館記念」。馬連が最もポピュラーな馬券種類となって久しい90年代、その決着は決まって万馬券というのだから当然のイメージであった。そんな中行われた1999年の函館記念を制したのは当時の換算での5歳で前走が昨年まで行われていた降級制度により2度目の500万以下(現1勝クラス)平場戦1着だったというジョービッグバン。2着にはマイル戦に実績が集まっていたエイシンガイモンで当然万馬券決着だった。ジョービッグバンは翌2000年の宝塚記念GⅠではテイエムオペラオー、メイショウドトウに続く3着に入った。

☆ ベールを脱いだ聖母のお天気予報作戦
近年UMAJOスポット等の施設面の充実もあって女性ファンが目立つようになり、同時に女性タレントというかアイドルと呼ばれている類の面々がメディアを通じて見事な馬券上手振りを発揮して久しい。その先駆け的な一人に現在もYouTubeを通じて馬券予想に余念が無い藤川京子さんが居る。2000年辺りからメディアに頻繁に登場し、過激な映像作品を輩出しつつ競馬予想では父親からの影響で覚えたとされている知識をフルに活用し当時存在していた夕刊紙にてコラムを執筆していたり。そんな藤川さんが一時期的中ラッシュをしていた最中に活用していたのはスーパーコンピューターを活用してのタイム予想で天気予報のシステムに準ずるソフトを駆使していたという中々のやり方だった。然し前出のコラムでは未だ其れを発表出来なかった中で行われた2003年の函館記念GⅢ。当時氏が開いていたホームページに設けていたファンとの交流サイトで売られた喧嘩に業を煮やしベールを脱いだそのお天気予報作戦により優勝エアエミネム、2着ヒマラヤンブルーによる馬単④→⑨を何と1点予想をそのファンサイトに発表(ハンドルネームで)、見事的中させてその払戻金額は全てUNICEFに寄付したという聖母のような振舞いをされたのから早20年近くの歳月が流れ、現在では「三連単5頭BOXならだいたい当たる~」みたいなのが跳梁跋扈しているのであ~る(笑)

☆ エリモの夏、函館の夏
ディープインパクトがクラシック三冠馬となった2005年よりこの函館記念を3連覇したのがエリモハリアー。デビュー前から去勢が施され、タマ取っちゃったボーイとして競走生活を送った。彼はセン馬だからではないが奥手で初勝利まで8戦を要し、オープン入りも5歳の函館開催で、準オープンの身で出走した巴賞を制しての事だった。それに続く出走が2005年の函館記念だった。そこから他の重賞競走を勝たずに2007年JRA史上3頭目としての同一重賞3連覇を成し遂げた。その後も重賞競走ばかりかオープン特別競走すら勝てずに長きに渡り出走を続けた末に現役を引退すると函館競馬場での誘導馬としてその姿を函館記念でも現していた。昨年末に逝去した。

☆ タマ取っちゃった魂宿し
エリモハリアーがまだ現役だった2009年より天皇賞に騙馬の出走が認められるようになった。これは日本競馬がパートⅠ入を果たして国際化が促進されると香港競馬など騙馬がその主流という国に対する門戸開放が必至となった事からであり、日本競馬としては主たる目的がサラブレッドの恒久的な生産に有る以上は古馬クラシック競走である天皇賞に騙馬の出走はどうしてもという声も有った。エリモハリアーは天皇賞秋GⅠは芝2000mという距離がピタリだったが奥ゆかしく惨敗した。2012年函館記念優勝は騙馬のトランスワープだったが矢張り期待に応えられず天皇賞秋は惨敗だった。

☆ 2017年の函館記念は
三連単の配当が90万円台というチョー大波乱決着。優勝したのは単勝5番人気のルミナスウォリアーだったが2着に同14番人気のタマモベストプレイだった事がより波乱を演出した最大の要因だった。同馬及び3着のヤマカツライデンの2頭は天皇賞春GⅠを惨敗から一息入れての出走だったという共通点があった。

☆ 遅まきながら
昨年の函館記念GⅢは終い直線の脚較べが高い見応えだった。それを制したのは7歳馬のエアアンセム。2着には前年の札幌記念GⅡ優勝のサクラアンプルール。エアアンセムは2歳の暮れに当時オープン特別だったホープフルステークスを制するもその後は長期休養や長きに渡り条件クラスに甘んじていたりした中での遅まきながらの重賞競走初制覇に輝いた。


☆ 確たる主役は当然…
勢いが感じられる馬の登録はどうやらなさそう。ここ最近ではリーディング騎手やクラブや馬主の意向が強く反映しているのか?!トップホースたちに於いて所謂使い分けみたいな現象が強く見られ、またそんな影響はある程度第二第三のクラスにも波及している模様。故にポンポンと勝ちまくってという感じのトップホースがなかなか一同に集結しなかったり、ポンポンと連勝を続ける様な馬も滅多に現れない。登録馬の中で実績上位となると6歳牡馬のエアスピネルだが同馬は前走マイルチャンピオンシップGⅠを惨敗以来というローテだから全幅の信頼となると疑問だ。前走巴賞を制したスズカデヴィアスは59㌔の負担斤量もあり、最近の戦績から人気は当然低かった中での大激走から。2着のナイトオブナイツも登録している。マイスタイルは前走巴賞ではマトモなレースが出来ずに惨敗した。この馬は4歳だった昨年、今年から廃止変更となったクラス編成システムにて1000万以下に降級するも函館開催で連勝してオープンクラスに再浮上したがその後は1戦おきに2・3着と惨敗とを繰り返している、私的に表現するところのジグザグブギス状態故に今回は3着以内に入る順番ではあるが果たして?!

(函館記念GⅢ3連覇を成し遂げたエリモハリアー。現役引退後は函館競馬場で誘導馬を務めた。)