世のオッズ理論との違い(2) | 競馬維新塾-【ブログ版】

世のオッズ理論との違い(2)

本ブログでは、オッズ&期待値の考察や診断といった
「オッズロジック(理論)」を配信しています。

競馬の期待値

具体的に、著者「オッズ理論」は

・期待値ダウン(D)
・オッズライン(OddsLINE)



一方、一般的によく知れ渡っている「オッズ理論」と言えば

・インサイダーオッズ
・大口投票
・朝一オッズ
・時系列オッズ



そして、この二つの「オッズ理論」は、

「オッズを参考にする」という点以外
全く正反対、異なる理論である


これを、前回『世のオッズ理論との違い(1)』 で解説しました。


では今回、具体的に、

著者「オッズ理論」と一般的「オッズ理論」の違い


これをお話しておきます。


一般的な「オッズ理論」は「絶 対」ではない

インサイダーオッズ、大口投票、朝一オッズ、時系列オッズなど一般的な「オッズ理論」にはすべて「ある共通の大前提と心理」があります。


ズバリ、「共通の大前提」とは、
インサイダー情報やオッズの動き(大量大口、投票の変動)が
レースにおける「一頭の馬の好凡走」に関係している

この「大前提」をもとにした「共通の心理」とは、
インサイダー情報やオッズの動き(大量大口、投票の変動)から
好凡走する可能性が高い馬を「予想」する

が、そもそも

インサイダー情報=馬の好凡走…?
オッズの動き=馬の好凡走…?

これらに「因果関係があるのかどうか?」…つまり、この「大前提」自体、「絶 対的な保証」があるわけではありません。

いくら

・「某馬主から直接聞いた話で間違いない、この馬が走るぞ!」
・「某調教師からと詳しいことは言えないが、この馬今回いらない」
・「この馬に大量の単勝買いが入っている」
・「前日の複勝の売れ行きは異常だ、これは大口が…」
・「過去のオッズ分析から、この手の変動は買いだ!」

といったところで、それは100%「絶 対」と言い切れるモノではなく、あくまで「可能性」の域を出ない。


結論を言えば、一般的な「オッズ理論」とは
100%絶 対ではない「大前提(個人の主観)」から
「可能性」を見い出そうとしている理論である

簡単に言えば、

オッズから「可能性あるよ」理論


著者「オッズ理論」は「絶 対」である

著者「オッズ理論」の核である「期待値ダウン」を例にして、そこには、一般的な「オッズ理論」とは正反対な「ある大前提と心理」があります。


ズバリ、「大前提」とは、
「馬の好凡走」や「一個人の主観」など
予想する等、可能性レベルは一切省く

この「大前提」をもとにした「心理」とは、
個人的な心理はない。ただ、オッズのある動きや「○○○○○」から、絶 対的に期待値が低い馬が「算出」されるのみ

つまり、

1+1=…これを算出しているようなモノ
因果関係など「可能性」云々のレベルではなく、一つの例外もない100%「絶 対」なのです。



結論を言えば、著者「オッズ理論」とは
100%絶 対である「大前提(不変の真理)」から
「絶 対」をただ提示している理論である

簡単に言えば、

オッズから「絶 対である!」理論


常々、「期待値Dダウン馬は、絶 対に本命(本線)で馬券を買ってはならない」と言っているのはそのためです。
本命買いNG馬-期待値Dダウン
>期待値Dダウンとは


以上、一般的な「オッズ理論」著者「オッズ理論」の違いは、別のいい方をすれば

予想家のオッズ理論
ギャンブラーのオッズ理論

と言えます。


とにかく、「同じオッズを扱うが、全く異なる理論である」ことを、まずは認識していただければと思います。


ちなみに、現在、本ブログは、以下の競馬の人気ブログラインキングで<オッズ理論> に参加していますが、著者と同じ意味での「オッズ理論」は他にないと言えます。

なぜなら、著者「オッズ理論」とは、「これまでの競馬理論には存在しなかった」「人間として本能的に理解できない」からと言えます。