どうも!Mikkeiです。

 

 

今回は、

日本との関係に着目した

台湾の歴史

 

について見ていきたいと

思います!

 

 

台湾に初めて行って気づいた、

 

台湾の先進国ぶりや、

台湾人の優しさ、

親日感情など

 

様々なことが

 

台湾の歴史を紐解いていくことで

見えてきます。

 

 

普通学校で習うような歴史は、

 

なんとなく退屈で

なんとなく面白くない

 

ですよね。

 

 

ですが歴史とは

現在のその国を写し出す

 

鏡なのです。

 

 

歴史を知ることで

もっとその国を知り

身近に感じることができるでしょう。

 

 

それでは台湾の歴史を見ていきましょう!

 

 

日本統治以前

まず最初に見る時代は、

日本が関わっていない時代です。

 

19世紀ごろまでは、

台湾と日本の関係は大して

なかったといっていいでしょう。

 

台湾には中国本土から

漢民族が渡ってきたと言われています。

 

そしてその漢民族のうち、

多くは福建省出身の人です。

 

 

ですので現在

台湾語と言われている言語は、

福建地方の言葉がもとになっているということです!

 

 

そして植民地時代には、

オランダやスペインの植民地にも

なったりしています。

 

それを考えると、

 

オランダやスペインの影響を

現在あまり感じないというのは

面白いですね。

 

 

 

日本統治時代

 

その後、日清戦争で勝利をした

日本が台湾の統治権を得ることになります。

 

これが日本と台湾の関係の

始まりのときですね!

 

 

戦争で勝利したことが始まりというのは

何とも言いようのない気分ですが

 

なんだかワクワクする気分です。

 

 

その当時、植民地の宗主国

すなわち支配する側の国は、

 

自分たちの支配体制を比較して

争っていたそうです。

 

 

日本はアメリカの支配体制に負けないように、

台湾統治に対する支配を強め、

徹底的に統治していったそうです。

 

 

最初に日本の支配が入ったときは

台湾人からは大きく反発もあり

 

日本は紛争などを力で

鎮圧しなければならなかった

みたいです。

 

 

ですがその

徹底的な統治の中で、

 

インフラの整備

下水道整備

病院の増設

ダム建設

 

など様々な改革を

やってのけたそうです!

 

 

インフラの整備の中心となったのは、

後藤新平という人です。

 

彼は交通網のほとんど発達していなかった

台湾という地を

 

大量の軍隊を動員することで

大改革しました。

 

30年かけて一万七千キロ以上もの

公道を整備したというのは

本当に驚きです!!

 

 

今回私は、台湾の北に存在する

台北を回りましたが

 

MRTという鉄道網はまさに

網の目の様に存在しましたし

 

バスなどの公共交通機関も

日本とほとんど変わらない程

ちゃんとしたサービスでした。

 

 

また日本統治時代、

台湾には下水設備がなく、

 

そのことで伝染病が蔓延する

原因となっていたそうです。

 

 

それを解決すべく、

下水道整備や病院増設などにも

努めています。

 

 

台湾南部の洪水と干ばつが

繰り返される地に

広大な穀倉地帯を生み出したのは

 

八田與一という日本人でした。

 

巨額のお金を投じて、

水量をコントロールするための

ダム建設を行い、

 

10年かけて烏山頭ダムを

完成させました。

 

 

このダムによって、

コメの生産量が11倍

サトウキビの生産量が4倍

 

に跳ね上がったというのは

本当に驚きです。

 

ダムをつくった日本人として

銅像まで建てられ、

台湾人に尊敬されています。

 

 

 

教育においては、

日本の統治時代には日本語を

教えていたため

 

当時学生だった人たちは

今でも日本語を話せます。

 

日本の文化が浸透していく

大きなきっかけは

 

この日本語の教育だったのではないかと

思います。

 

 

日本語を話せる親がいれば、

子も日本に興味を持つのは当然のことです。

 

日本の文化が世代を超えて

台湾に伝わっていっているというのは

 

何と素晴らしいことでしょうか!!

 

 

中華民国による統治時代

ところが日本は、

太平洋戦争に負け、

台湾を中国に譲ることになります。

 

台湾人は、

ようやく日本からの支配から解放されると

大喜びしたそうですが、

 

実際には幸福は訪れませんでした。

 

 

というのも

1911年に成立した中華民国は

台湾を統治することになったわけですが

 

内戦によって疲弊していた軍は、

統治意識が欠落していたそうです。

 

そのため略奪や粗暴行為が頻発し、

台湾人からしてみれば

とんでもない人がやってきた

 

という気分でしょう。

 

こうした中華民国の待遇の悪さが

日本統治時代の良さを

思い出させたということです。

 

現在の親日的感情が

中華民国の悪しき統治体制によって

生み出されたと考えると

 

何とも複雑な気持ちになりますね。

 

 

 

その後、共産党との内戦に敗れ、

蒋介石を中心とした国民党が

 

中国本土から台湾に逃れてきます。

 

 

台北を臨時で首都とし、

中華民国の政権を取り戻し

台湾で政治を始めました。

 

何としても台湾で成功させたい

と考えていた結果、

 

台湾では

中華民国の独裁的な政治

が行われました。

 

 

半日的な教育も徹底され、

それに反発する優秀な知識人が

弾圧されるなど

 

 

台湾にとっては

厳しい時代を過ごすことになります。

 

 

現代

その後、中国の国としての体制が

安定してきたこともあり、

 

国連が中華人民共和国を

国として認めることになります。

 

その際、中華人民共和国

中華民国がともに、

 

大陸と台湾は一つの

中国という国であると主張したのです。

 

そのため

このときに正式に

 

台湾は中国の地方の一つとして

扱われることになってしまったのです。

 

 

台湾は歴史的にも現在の状況も

中国本土とは大きく異なるにも関わらず

 

政治的な発言によって

その在り方が決定してしまった

ということです。

 

これが

台湾は一つの国なのか

それとも中国の一部なのか

 

という大きな問題を生み出してしまった

根本的な原因になります。

 

 

私個人としての感覚としては

台湾は台湾で一つの国なのではないかと

そういう風に思うことの方が多いですが

 

現実のところ

この問題はとても難しいですね。

 

 

台湾はその後

経済成長も経験し、

世界に誇れる先進国としての

 

地位を確立しました。

 

 

そして2016年には、

蔡英文という

初の女性総統が現れた

 

というのも記憶に新しいでしょう。

 

 

これからの台湾がどういう

道を歩むことになるのかは

よくわかりませんが

 

日本との関係がこのまま

良好なまま続いていくことを

願ってやみません。

 

 

台湾という国はとても素晴らしい国です。

 

もしこの記事を読んで

 

少しでも台湾に興味を持ってもらえたら、

ぜひ一度台湾に足を運んでみてください!

 

きっと素晴らしい経験ができるに

違いありません。