やっと、鼻の出血が止まった。ようやく我が家の洗面台からホラー要素が消え、朝のルーティンが日常に戻った気がする。あの「血糊エフェクト」がおさまっただけで、洗面台が急に生活感を取り戻すのだから不思議だ。鏡に映る自分の顔も、どことなく“事件は解決しました”のエンディング感がある。
退院後は、朝夕2回の鼻洗浄を欠かさず実施。乾燥させないための綿球は、ほぼ常時「鼻内VIP席」にご案内。最初は違和感の塊だったけれど、今では出勤時の腕時計くらい当たり前の装備になった。家を出る前に「鍵、財布、スマホ、綿球OK?」と点呼をとる新生活。マスクをすると、鼻VIPの存在はさらに秘匿度が上がり、スパイ映画ばりのステルス運用だ。
医師と看護師から「かさぶたを育てないのが早道。乾燥は敵」と言われたのはいいとして、さらに「取るときが痛いんですよね~」とニコニコ告げられたのが恐怖の種だ。痛みに弱い私の脳内では、その瞬間だけBGMがサスペンスになる。だからこそ、加湿・ワセリン・綿球の三種の神器で、今日も乾燥封じを徹底している。寝室には小型加湿器を二台投入し、ワセリンはリップでもハンドでもなく“鼻用”として就任。もはや我が家には「保湿班」という専門部署が存在している。
ここ数日は、鼻洗浄や痰が絡んだ際に少量の出血が混じっていたが、それもようやく鎮静化。正直告白すると、洗浄のたびにドロッと赤い塊が出てきたときの、あの妙な「掃除できた感」が少し好きだった。排水口にさよならするたび、胸の奥に小さな達成感が宿るのだ。…それがなくなると、ほんの少し寂しい。いや、回復している証拠だから喜ぶべきなんだけど。RPGで言うところの「ドロップ品」が出なくなっただけで、クエストは順調に進んでいる、たぶん。
とはいえ違和感はまだある。鼻をつまむ、あるいは鼻の下をぐいっと引っ張ると、ズン…と鈍い痛みが合図を送ってくる。軟骨をいじったばかりの場所に無断侵入している感じ、とでも言おうか。鼻は今、工事現場。ヘルメット(=マスク)必須、立入禁止(=むやみに触るな)。安全第一の標識が脳内で点滅している。
そして今日、鏡を片手に恐る恐る覗き込んだ左の鼻腔で事件発生。内側に、ちょこんと突起のようなおでき。おいおい、誰が勝手に新居を建てていいと言った? 私の鼻は集合住宅じゃないぞ。しかも形が「ちょっとヤバいやつ」に見えなくもない。名前を付けるなら…そう、仮称・鼻丘(びきゅう)。頼むから一時滞在であってくれ。賃貸更新は不可、敷金も返しません。
不安は不安だけど、素人の妄想でジェットコースターするのはやめて、通院日にプロに聞くのが一番だ。検索窓に不穏な語を打ち込む前に、予約表を見ろ、自分。退院後はじめての診察は、あと3日。カレンダーにでっかく印をつけ、加湿器の水を満タンにし、綿球の補充もOK。職場の同僚から「最近、鼻声が落ち着いたね」と言われ、内心ガッツポーズ。外気の乾燥に備えて、マスクの裏にうっすらワセリン・シールドを築く技も習得した。回復メーター(自分比)は60%。「鼻という同居人」は、まだまだ手がかかるが、確実に機嫌は直ってきている。
そういえば、睡眠時のいびき記録アプリも、最近は静かな夜が増えてきた。以前は「ゴゴゴ」という怪獣の足音みたいな波形が、いまは「すぅ…」と子猫級。鼻が通るとは、世界がここまで静かで甘いとは。コーヒーの香りがいつもより少し立体的で、朝の空気が薄いミントのように感じる。人体のUI/UX、鼻はわりと最前線だ。
次の面談(診察)まで、やることはシンプル。乾燥を防ぐ、無理に触らない、そして過度に不安を育てない。鼻腔には「短期滞在の方、フロントへ」と丁重にご案内しつつ、私は粛々と保湿班を回す。回復の終盤戦は、派手なカタルシスより、静かな家事のような積み重ねが効くのだ。よし、今日も三種の神器でいこう。鼻よ、もう少しで定住許可(=完治)を出してやる。そのときは盛大に深呼吸のテープカットだ。
退院を控え、私は自宅での鼻ケアという新たなミッションに立ち向かうことになった。看護師さんから渡されたメンテナンス用品リストを見て、まるで秘密基地の装備一覧を眺めているような気分。
1.綿球(鼻の救世主)
「鼻の乾燥を防ぐため、綿球を購入しました」——と書くのは簡単だが、ドラッグストアの綿球コーナーは地味に修羅場。大きさ、材質、ブランドが群雄割拠している。私は「ふわふわ度」と「コスパ」のバランスで中間グレードを選択。鼻にとって最初のVIP待遇だ。
2.鼻洗浄液(家計を直撃する液体ゴールド)
毎日2回の鼻洗浄。病院では生理食塩水だった。市販500mlが200円……一見安いようで、恐るべき計算式がこちら。
1日2回 × 500ml = 1,000ml
1,000ml ÷ 500ml = 2本/日
2本 × 200円 = 400円/日
400円 × 30日 = 12,000円/月
月12,000円! 我が家のエンゲル係数ならぬ「ハナゲル係数」が跳ね上がる。家族会議の議題が「鼻 vs 食費」になる前に、救世主が現れた。ハナクリーンの専用洗浄剤である。ぬるま湯に溶かして使い、1袋で300ml作れる——魔法の粉か。
ただし看護師さんの指令は「1回500ml」。仕様は「1袋300ml」。この数学的矛盾に対し、私は大胆に解を出した。2袋=600mlで作る。少し多めだが、毎回きっちり500mlを量るより圧倒的に楽だ。
結果、
1日2回 × 2袋 = 4袋/日
4袋 × 60日(2か月) = 240袋
となる。Amazonで「サーレMP 180回分(お買い得)」を購入。残りは後で足す作戦だ。なお「お買い得です」は妻への予防線である。高い買い物の鉄則:まずお得感を提示。
3.DIY測量システム(ペットボトル改造計画)
専用のメジャーを買えば早いのだが、手作り派の血が騒いだ。1リットルのペットボトルにマジックで「600ml」の目印を入れる。そこまでぬるま湯→粉を2袋ドバッ→優しくシェイク。毎回の準備が30秒は短縮され、妙な達成感がある。小学生の自由研究の延長線上に、今日の鼻ケアがあるのだ。
完了——のはずが、その後の現実
準備は万端。だが生活で回し始めて分かったこともある。
1週間後
・綿球:思ったより消費が早い(1日10個ペース)
・洗浄剤:2袋だと少し“しょっぱい”日がある(ぬるま湯の温度や溶け具合で体感が変わる)
・ペットボトルの目印:徐々に薄れる(油性マジック推奨)
1か月後の追加購入リスト
・綿球(追加)
・油性マジック(目印補修用)
・予備ペットボトル(衛生管理のため定期交換)
教訓
鼻のメンテは、意外に奥が深い。準備段階で「完璧!」と思っても、運用で改善点が見えてくる。今では朝夕の鼻洗浄が日課となり、ペットボトルの目印を見るたびに「俺って天才かも」と小さくうなずく。そして——月12,000円の呪縛から解放された安堵感は大きい。家計を守りつつ鼻の健康も守る。これぞ現代の賢い患者、である。
(注)洗浄液の濃度や使用量、作り方は必ず製品の説明書・医療者の指示に従ってください。ぬるま湯は熱すぎず冷たすぎず。ツーンと来たら濃度や温度を見直すのが合図。
退院の日。白い病衣を脱ぎ、ようやく自宅の布団で眠れる――そんな晴れやかな気持ちで病院を後にしようとした矢先、現実に引き戻す伝票の一枚が手渡されました。そうです、最後の難関「お会計」です。まるでゲームのラスボスのように、出口の前で仁王立ち。財布の中身という体力ゲージを一気に削り取ってきます。
私は一応、几帳面な性格を自負しています。ここは冷静に電卓を取り出し、明細を読み解くことにしました。
入院7日間の費用は次のとおりです。
手術費と入院費(7日間):163,000円
食費:7,000円
個室費(7日間):100,000円
パジャマ・タオルのレンタル費(7日間):2,600円
歯科検診費(初診料含む):5,000円
歯科検診費(術後検診):1,400円
――合計、279,000円也。
※病院の請求額と自分の計算を突き合わせても完全一致。千円単位で静かに迫る現実の重み。
ここでまず目を引くのが、やはり個室費。いわゆる差額ベッド代の威力です。入院前にちゃんと確認していなかったのは自分の落ち度ですが、夜中のナースコール合唱団から隔離され、術後に呻いても隣に気を遣わずに済んだ「静寂と自由」の代金と考えれば納得もできます。安眠は高級オプション。ホテルのスイートルームに泊まったと思えば……いや、冷蔵庫に高級シャンパンは入っていませんでしたけど。
さらに歯科検診費。これも予想外でした。初診料込みの5,000円は「まあそうだろう」と思いましたが、術後検診の1,400円は「口を開けて“あーん”、はいOK」の数秒で終了。それでこのお値段?と心の中で突っ込みましたが、医療は“安心を買うサービス”でもあるわけです。ここで「問題なし」と言ってもらえることが、退院後の生活を安心して迎えるチケット。そう思えば、これも必要経費。プライスレス……いや、しっかりプライスは付いてますけど。
そして、もう一つ侮れないのが“自販機費”。術後の喉の渇きを癒すため、ほぼ毎日ペットボトルの水やお茶を購入しました。気がつけば小銭が羽を生やして飛んでいく。家計簿につければ「雑費」と一言で片づけられる額ですが、積み重なるとけっこうなインパクト。もし過去の自分にアドバイスできるなら、「水筒を持参せよ」と耳元でささやきたいところです。
こうしてトータルでは約28万円。財布は軽くなり、通帳の残高もスリム化。しかし、鼻の通りは確実に改善しているのだから面白いものです。命に直結する手術ではなかったとはいえ、長年の呼吸の不便を解消できた価値は確かにある。眠りの質や日常生活の快適さが戻るのなら、この出費にも意味があったと自分に言い聞かせます。
さらに救いは医療保険。加入していたおかげで、後日まとまった額の保険金が下りてくる予定です。家計に優しい“エピローグ”が待っているはず。お金の痛みと鼻の痛みを天秤にかけるなら、どちらも時が癒やしてくれるでしょう。
退院の日、会計カウンターで財布が軽くなる音を聞きながら、私は妙にすっきりした気分になっていました。そう、支払ったのはお金だけではなく、これまで溜め込んできた「鼻づまり生活の不便」だったのかもしれません。鼻の通り道は広がり、気持ちも晴れやか。――これぞ、プライスレス。
退院の朝は、遠足の朝と引っ越しの朝が同時に来たみたいだ。ワクワクと名残惜しさが混ざって、枕元のナースコールが急にかわいく見える。体温・血圧・酸素濃度オールクリア。鼻の奥はまだ“工事現場あと数日”の張り紙が出ている感じだけれど、呼吸は順調。胸の奥で酸素が拍手している。
本日のRTA(退院リアルタイムアタック)予定
・朝食(病院食ファイナル)
・診察(ラスボス前の最終セーブ)
・会計(真のラスボス)
・診断書と各種手続き(隠しダンジョン)
・退院(エンディングテーマ)
診察
内視鏡で最後のチェック。先生いわく「経過良好。この調子」。ただし“かさぶたに手を出すな令”が発動。乾燥を防ぐため、綿球で湿度管理しつつ、朝夕1日2回の鼻洗浄を継続すること。通院は約2か月のシーズン契約。要は、鼻の中の新生国家に内政干渉しないこと——勝手に剥がすと内乱になる。了解しました、陛下。
会計
事務員さんが淡々と到着。数字が静かに強い。合計およそ28万円。個室やら諸々を考えると妥当…なのだが、財布は「妥当って何?」という顔をしている。明細はあとでじっくり味わうとして、とりあえず私は“鼻で深く息が吸える権”の年パスを買ったつもりで納得した。
診断書ほか
会社提出の診断書は3,300円。保険会社向けは1社あたり5,500円。きっちり明朗会計で合計は約29万円に落ち着いた。ここで謎のPR広告が2連発入った(気持ちはわかる、私の財布も広告募集中)。
退院
荷物をまとめ、ベッドに「世話になったな」と軽く会釈。廊下を歩くと、足取りがちょっとだけヒーローのそれだ。自動ドアが開いて外気が流れ込む。そこで記念の“鼻呼吸テスト”。すぅーーーー。え、こんなに入るの? 肺がびっくりして踊っている。世界がハイビジョン。今まで私、標高3,000メートルに住んでたの?
正直、手術直後は「やらなきゃよかった部門ノミネート」だった。喉痛い、頭痛い、鼻は工事中。けれど今は断言できる。やってよかった。費用はかかったけれど、毎分の呼吸が投資回収してくる。日常の一歩一歩が軽くなる感じ。これが“酸素のキャッシュフロー”。
退院後の心得メモ
・綿球は湿度のボディーガード。サボらない
・鼻洗浄は朝夕のルーティン。迷ったら洗う前に説明書
・かさぶたに触るのは全面禁止。平和外交でいこう
・通院は約2か月。途中経過で調子に乗らない
入院期間についての持論
日帰り・部分麻酔の病院もある。忙しい現代人にはありがたい選択肢。でも術後数日はどうしても通院が必要で、自己管理がカギ。2泊3日コースもバランスがいい。私の体感では、安心と安全を優先するなら1週間の入院は“過保護すぎない安心セット”。寝てる間に専門家が横で見ていてくれる価値は、夜中の不安を何度も追い返してくれた。
というわけで——
医療従事者のみなさん、本当にありがとうございました。先生の一言、看護師さんの手、事務の方のてきぱき、掃除の方の静かなプロ。全員の仕事で、私の鼻に新しい人生が始まりました。
よし、家に帰ったら最初にやることは決めている。窓を開けて、深呼吸を10回。そして、あの“鼻セレブ”を片手に、静かに感謝のくしゃみ(は、しないように気をつける)。
今日は退院の判断日です。
喉の痛みと頭痛はすっかり落ち着き、鼻からの出血もほとんど止まりました。
「ガーゼを抜くと喉の痛みと頭痛が引く」と聞いていましたが、本当にその通り。医学、信用するね私。
とはいえ、鼻そのものには鈍い痛みが居座っています。軟骨を整える手術をしたのだから当然といえば当然。普段は無痛でも、鼻先をちょんと触ったり、鼻の下をぐいっと伸ばしたりすると「そこは今やめて」の合図が来ます。上前歯の裏の歯茎は痛みなし、でも少しだけむくんでいる感じ。
午前の診察。主治医曰く「出血も落ち着いて術後経過は順調。明日退院で大丈夫そうですね」。
その一言で、体より先に荷物が半分だけカバンに飛び込みました。
ただし注意点がひとつ。「鼻の中が乾くと出血のきっかけになるので、しばらくは綿球を軽く詰めておきましょう」。鼻の砂漠化を防ぐ小さなダム工事、続行です。
続いて麻酔科の先生のヒアリング。「術後つらかったこと、痛かったところは?」
「喉が、とにかく痛かったです。ほかは大丈夫でした」
気管挿管で擦れたのかもしれないけれど、原因探しはここでは野暮ってもの。結果として今は収まっている、それがいちばん。
歯科検診も通過儀礼のように実施。挿管のときに歯や歯茎を痛めていないかチェックです。
「グラつきは? 痛みは?」「なしです」
私の歯、よく働いた。今日のMVPは君だ。
そして午後、五日ぶりのシャワー解禁。これがもう、文明の雨。術後はずっと濡れタオルでの拭き掃除のみだったので、頭からお湯を浴びる幸福度が桁違いです。皮膚が呼吸を思い出していく感じ。はあ、さっぱり。あー気持ちいい!!
ただし驚いたのはシャンプー中の抜け毛の量。「今まで洗えてなかった分の貯金を一気に引き出しています」みたいな勢い。排水口のフィルターに小さな秋ができました。看護師さんいわく「数日洗ってないとそんなものですよ」とのこと。よかった、季節のせいじゃなかった。
夕方、病室に戻ってからは退院準備。鼻は触らない、笑いすぎて鼻の下を伸ばさない、という謎の自制ルールを作って動作を最小限に。綿球の在庫を点検し、マスクの予備とワセリン、保湿ティッシュをカバンにイン。乾燥は敵、潤いは正義。
今日のまとめ。
・喉の痛みと頭痛は解散、鼻の鈍痛はまだ居残り練習中
・出血はほぼ停止、経過よし、明日退院決定
・鼻内は乾かさない作戦を継続(綿球ダム+保湿)
・五日ぶりのシャワーは人間を人間に戻す儀式
・抜け毛は「溜めてた分」なので慌てない
病院のベッドはふかふか、ナースコールは心強い、配膳は時間通り。全自動の優しさに慣れた体で、明日からは自走モードに切り替えです。鼻の中にちいさなダムを抱えたまま、真っすぐな日々に合流します。