9/19、甲子園球場に行ってきました
昨日(9/19)は久しぶりに甲子園球場に行きました。
球場に行けばFBやInstagramに「本日の観戦場所」の写真を撮っているので、いつ以来かと写真を探してみると、2016年9月18日以来です。
5年も来てなかったのです。
その間の「本日の観戦場所」はほとんど京セラドームでした。
そりゃ甲子園駅から球場までの様子も変わるはずです。
甲子園駅もリフォームが既に完成していて、駅から甲子園球場に向かう並木道が広がって、右手にあった食堂や土産物のお店が無くなり、虎の像や甲子園大運動場の碑が移転していました。
甲子園駅から見て甲子園球場の手前、阪神高速の高架の手前にあったグッズショップの「アルプス」が「ダグアウト」になり、ひと回り大きな建物が向かいにできてそこが「アルプス」になっていました。
行列が大変だったのでグッズを見るのをやめました。
その建物の場所にはかつて喫茶店やラーメン屋があったと思います。
高速の高架をくぐると甲子園球場ですが、チケット売り場の窓口には発券機が並んでいて、オンライン購入のチケットを発券する場所になっていました。
ジャイアンツのユニフォームを着た人もウロウロしていて、一昔前ならとてもその姿で歩けないのに平和になったものだと思いました。
一昔前はビジターのファンはスタンドに着いてから着替えたり、グッズを取り出したりしていました。
特に対巨人戦は殺気立っている人も多いので、グッズの取り扱いから注意していたと思います。
球場を訪れるファンの気質は確実に変わってきています。
5年以上前、トラのグッズで身を固めた人が、ジャイアンツのマスコットのジャビット人形を引きずって歩いているのを見た時、「何を考えているんや」と思いました。
「家の中にジャビットがいることなんて考えられないのに、ジャビットを始終引きずって歩いてるなんて、ほんまに阪神ファンかぁ?」と思ったものです。
そのあたりから気質が変わってきていたのかもしれません。
ライトスタンドは頭を空っぽにして大声出して(今は無理)応援できる場所なのに、ジャイアンツに江藤がいた頃だったか、大声を出して応援していたら前の席の人たちに睨まれたことがありました。だんだんテレビで見ているような感覚で観戦する人が増えているように思えたのでした。
スタンドに着いて、久々に試合前に名物の焼き鳥を食べました。2016年の頃に比べて値上がりしているように思ったのですが、どうでしょう。
場内でアルコールの販売はされておらず、ソフトドリンクやアイスクリームを売り歩いています。
東京ドームは売り子は通路にしかいなくて、座席のある所まで回ってこないそうです。
試合前の選手紹介は、京セラドームのオリックスみたいになりました。監督紹介までやるのには驚きました。
「炎の5回裏」、無くなりましたね。
トランペットやホイッスルが使えないので、ヒッティングマーチの音源を流すのですが、どうも間合いがよくないですね。
スタンドで戦況を見て判断するのではなく、放送室でスイッチを切り替えている感じです。
汎用が「かっ飛ばせー〇〇」ではなく「かっ飛ばせータイガース」が音源のままなのがちょっと残念でした。
先頭バッターには「突撃突撃〇〇」✖️4、
ヒットで出塁した次のバッターには「続け続け〇〇」✖️4、
などタイミングよくコールされるのですが、それができないのがちょっと寂しかったです。
(ちなみに阪神は4回、ホークスは3回)
7回表、パ・リーグのように相手チームの歌を流すようになっていて、阪神も度量が大きくなったもんだと思いました。ただし、ライトスタンドはしっかり替え歌になっていました。
ジェット風船は禁止ですが、これはやむを得ません。タバコの煙を噴射させて飛ばすのを見るとよくわかりますが、かなり飛び散ります。
5年ぶりにスタンドから見て、コロナ禍で従来の応援スタイルが無理となったとは言え、負け試合だからこそわかった気質の変化でした。
試合は今季最悪の内容の、自滅型の負け方でした。
この状態が続くと、優勝は無理ですし、Aクラスにいたとしてもクライマックスシリーズで敗退します。
大山を大谷翔平のように2番で使ってみるとか、かつての今岡のように1番で使ってみるのはどうだろうかと言ってる人がいました。
せっかくいい位置にいるのだから、残り試合、早くスランプから脱して頑張ってもらいたいと思います。
休みは日曜日と水曜日
職場のシフトの都合で、今の休日は日曜日と水曜日なのですが、休みが水曜日のおかげで銀行や役所には問題無く行けます。最近は通院日を水曜日にすることができます。
歯医者は土曜日から水曜日になりました。
昨年の健康診断では今までにない血圧の値を叩き出し、文句無しに「高血圧」と診断されました。
それまでの生活パターンと変わったところは、日中ほとんど軽トラに乗ってお客さんの所を回っていることです。
タクシーの運転手には高血圧の人が多いと聞き、そんなもんかなぁと思いました。
血液検査ではガンの診断に使う項目は正常範囲内でひと安心だったものの、動脈硬化、血圧をコントロールするホルモンの出力異常、そして睡眠時無呼吸症候群を指摘されました。
よく考えたら父が亡くなった歳に追い付きました。死因は喉頭がんで、仕事柄出張で山陰、山陽、四国、九州を駆け巡り、営業の中で飲酒、喫煙でじわじわと身体を傷めつけていたのだと思います。父は昔船場で商売をしていました。今その場所はタワマンかコインパーキングになっていると思われます。
当時の技術では患部を放射線で焼くこと、制がん剤、漢方薬、そして丸山ワクチンでした。放射線で焼かれたところは肌の感じが変わっていました。今の技術ならつんくさんのように生きていられたかもしれません。
短い付き合いでしたが、濃い期間でした。弟は父との思い出がほとんど無く、羨ましがられます。
最近、私が軽トラで大阪中を走り回っていることについて弟は、「お父さんはお兄ちゃんに修業させたかったことを今させてるんじゃないのかな」と言ってくれます。父は私を跡継ぎにしたかったようなのですが、諸事情により跡を継ぐことはなくなりました。私は商売人には向いていないので、よかったです。しかしあの世から商売人のエッセンスを味わわせようとしてくれていると思えばなるほどと思います。
ソフトウェア開発の業界で働いたことも合わせるといい肥やしになるような気がしています。
脱線してしまいました。
とにかく、水曜日の使い方が病院通いになるとは、歳は取りたくないものですね。
先日、映画『シン・エヴァンゲリオン』を3時間弱見られたのは水曜日のおかげでもあります。
もう一度見に行くつもりです。
コロナ禍でなければ甲子園や京セラドームに試合開始1時間以上前に入って、練習から試合終了まで観ていることができるのですが、そうは問屋はおろしません。
ラジオとの出会い
私のラジオとの出会いはラジオ大阪でした。小学生の頃、父親がプロ野球中継を聴くために持っていたラジオのスイッチを入れたら流れてきたのがラジオ大阪でした。確か「ぶっつけ本番7時です」とか言う朝の番組でした。
また、当時学生だった叔父はバチョンをよく聴いていました。
私もラジオを聴くようになると、ラジオ大阪では夕方の「カットジャパン1310」で誰がカバやねんロックンロールショーや横山プリンさん、屋台のおっちゃんの存在を知り、土曜日は「歌って笑ってドンドコドン」で上岡龍太郎さんはじめ出演者の皆さんのトークを面白いと思って聴くようになりました。
また、「ぬかるみの世界」を頑張って起きて聴こうとしていました。敢えなく寝てしまうことの方が多かったです。
しかし徐々にFM、特に802やCOCOROを聴くようになり、実際のところ今はAMとはご無沙汰です。
ところが最近のFM局の中でもお昼はおしゃべりが中心の番組となっているところがありますね。
AM局もFM電波を出すようになり、いわば同じ土俵に乗ったきような状況です。
バチョン、ぬかるみ、カットジャパン、ドンドコドンなどを聴いていた人たちはみんないい歳になので、きっかけがあればまた聴くようになるのではと思います。
ラジオ大阪から色々思い出しました。
