展望「万葉集」その2 古今集の「序」について① 一月二十四日(火) | keiの歌日記

展望「万葉集」その2 古今集の「序」について① 一月二十四日(火)

「古今集」仮名序と真名序

古今和歌集には、かなの散文で書かれたものと、漢文で書かれたものと二種の序が伝えられ、二つの序を区別して「仮名序」と「真名序」と呼ばれる。「名」は文字のことで、漢字を正字としたので真の字という意味で真名(まな)と呼び、仮の字という意味で仮名というのである。仮名序の筆者は「古今集」撰者の紀貫之、真名序の 筆者は紀淑望とされる。


 やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなりける。世の中にある人、ことわざしげき 

 ものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひだせるなり。花に鳴くうぐひす、水

 に住むかはづの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか羽をよまざりける。


 (大意)和歌は人の心という種から生じ、無数のことばという葉になったものである。この世にあ

 る人はさまざまな出来事に出会うので、見るもの聞くものにつけてその心情を言葉に表す。人

 間のみではない。花に鳴くうぐいす、川に住む河鹿の声を聞けばわかるように、この世に生きる

 ものすべて歌を詠まぬものはない・・・


 この有名な文章にはじまる仮名序は、常識では考えられない「柿本人麻呂」像を書いている。


万葉集が唯一の資料

 先ず柿本人麻呂のアウトラインを記しておこう。

人麻呂は七世紀後半、天武・持統朝の歌人である。口誦で伝えられてきたやまと歌が、大陸から移入された漢字によって表記することが可能になったのはこの天武・持統朝である。その文化的果実が「万葉集」、そしてそこに登場する代表的歌人が柿本朝臣人麻呂であることはいうまでもない。

 人麻呂の閲歴について直接触れる文献や記録はない。「日本書記」に柿本臣猿(字が違う、出ない)(佐留)の名があるがその実像については人麻呂自身の歌から推測するほかなく、その生死については、諸説あり、此処で云々することは出来ない。

 古今集にも人麻呂の歌があり、その人物の概要も、おぼろげながら記してはあるが、到底同一の人物ではない。なにしろ万葉集と古今集の間には百年を越す年月の流れがあるのだから。

 

 古今集の序に書かれた人麻呂は、厳密に言えば唯一の公的資料に載っている人物である。

 仮名序は、かなで書かれたわが國最初の散文であり、和歌の本質と効用、和歌の起源とその形式の成立、短歌の発達と現況、古代和歌の性格、和歌史と個人評、「古今集」の成立事情とその構成、撰者の抱負について述べる文学表現である。人麻呂についての記述は和歌史について述べる箇所にある。

 そこに書かれている人麻呂は通常考えられる人麻呂像とかけ離れている。仮名序が何故人麻呂をそのように記したのかということがクエッションである。

 仮名序の、人麻呂について述べる部分を引いてみる。

・・代々の帝(みかど)は、四季折々の事象につけて喜び悲しみを歌に詠まれた・・という意味の文章につづくものである。


〔仮名序〕

 いにしへよりかく伝はるうちにも、ならの御時よりぞ広まりにける。かの御世や、歌の心を知ろしめたりけむ。かの御時に、おほきみつのくらゐかきのもとの人まろなむ、歌の聖なりける。これは、きみも人も身を合はせたりといふなるべし。秋のゆふべ、龍田川に流るる紅葉をば、帝の御目には錦と見たまひ、春のあした、吉野の山の桜は、人麻呂が心には雲かとのみなむおぼえける。

又、山の辺の赤人といふ人ありけり。歌にあやしく妙なりけり。人麻呂は赤人が上に立たむことかたく、赤人は人麻呂が下に立たむかたくなむありける。

 奈良の帝の御歌 龍田川紅葉乱れて流るめり渡らば錦中や絶えなむ

  人麻呂      梅の花それとも見えずひさかたのあまぎる雪のなべて降れれば

              ほのぼのとあかしの裏の朝霧に島隠れ行く舟をしぞ思ふ

   赤人       春の野にすみれ摘みにと来し我ぞ之野をなつかしみ一夜寝にける

             和歌の浦に潮みちくれば潟をなみ蘆べをさして鶴鳴きわたる

 この人々をおきて、又すぐれたる人も、くれ竹の世々にきこえ、片糸のよりよりに絶えずぞありける。これよりさきの歌をあつめてなむ万葉集と名づけられたりける。


〔真名序〕

 然れども、なほ先師柿本大夫といふ者あり。高く神妙の思ひを振ひて、古今の間に独歩せり。

山辺赤人といふ者あり。並びに和歌の仙なり。その余の和歌を業とする者,綿々として絶えず。


 要点は、

①「ならの御時」に「おほきみつのくらゐ」(正三位)柿本人麻呂は歌の聖であった。

②歌のことを理解する天皇と歌の聖である人麻呂は「身を合わせ」た。

③天皇は「龍田川に流るる紅葉」の歌を詠み、人麻呂は「吉野の山の桜」の歌を詠んだ。

④人麻呂は赤人の上に立つことはむずかしく、赤人は人麻呂の下に立つKとはむずかしかった。


この四項すべてが誤りか、意味不明。理解しようとすれば、相当の言葉を補わなければならない。推理の焦点は『古今集』の仮名序の中でなぜ奈良遷都以前の人に違いない人麻呂を、「ならの帝」と同時代の人物であるかのごとく書いているかということにある。また人麻呂に吉野山の桜を詠む歌はないが、仮名序が人麻呂が吉野山の桜を詠んだと述べていることにもある。推理の対象とするのはもっぱら『古今集』の仮名序の人麻呂である。

 

 仮名序の人麻呂に関する記述は、官位、時代、作歌等についてことごとく誤っている。平安時代には人麻呂についてその程度の認識しかなく、貫之が人麻呂に関してまったく無知であったと考えればすむことではあるが、人麻呂と「万葉集」について、貫之はそれほど無知だったのだろうか。仮に貫之が人麻呂についてまったく無知だったとしよう。人麻呂の詠んだ歌のモチーフを「吉野の山の桜」と限定するのは、記述が具体的でありすぎる。よく知らぬことを書く場合は、もっと漠然とした記述になるのではあるまいか。そして、何よりも仮名序の誤りが人麻呂について述べた箇所に集中していることに、おおきな不審を抱かざるおえないのである。  

  (ここまでの大意は 織田正吉著 『古今和歌集』の謎を解く 講談社発行 に依る)



       今日の歌

 

                冬空無限 

 

     *おそ冬の昼のたゆたひ窓の辺に置かれし椅子に坐さむ一とき

 

     *ふりかへりざまにねらはれゐるわれの結滞しつつよわる心臓

 

     *花の散るのちの思ひにひとときは淫けりたり春近き樹のした

 

     *戴星のいきいきと在り ふゆ芝のみどりに映ゆるなかの疾走

       (戴星=うぐたひ=眉間に白星のある駿馬)

 

     *空を抱き寝ぬる冬夜のさみしさを埋むごとくに鼓動ひびきぬ 

    (空=くう)     、