認知症 1 | タルトとK子

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北海道に住むアラフォー専業主婦K子のまったりブログです。

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最近バタバタ忙しくしていました。


…というのも認知症の父が入院することになったのです。


父は数年前からレビー小体型認知症と診断されています。

最初は母に対する暴言やソファに横になっていることが増えたので、母が離れて暮らす私に相談してきたことが始まりでした。


あきらかにおかしいとわかっているものの、頑固でプライドの高い一面がある父を病院へ連れて行くのは本当に大変でした。


周りの方に相談に乗ってもらったりして、ほとんど騙すような形で父を病院へ連れて行きました。

そしてもうその頃には母は父と暮らすことに不安を感じていたので、医師と相談して父を入院させました。

これが1度めの入院です。

入院して治療することになり、私と母は少しでも父が穏やかになってくれることを願っていたのですが、病院の公衆電話から父が母へ暴言や退院させろなどど毎日のように電話をかけてきて、母をさらに追い詰めていきました。

母も精神的にかなりやられていました。


そんな日々が続き3ヶ月が経ち、病院側から退院してくださいと告げられました。


母もこんな毎日だったら、入院させても何も意味がないということで、退院した父とまた一緒に暮らし始めました。


もちろん暴言等はおさまることなく、母にはかなり過酷だったと思います。


母がそんな生活にも慣れ始めた頃、父に今度はレビー小体型認知症の症状でもあるパーキソン症状が目立つようになってきたのです。

転びやすくなり、歩きづらくなり、手足を動かすことがうまくできなくなりました。


そして幻覚なども見えるようになっていきました。


あとはやはり物が覚えられなくなったり、顔の表情をつくることができなくなっていったり、母に対する嫉妬の妄想でキレたりするようにもなりました。



母の負担を減らそうと、週1でデイサービスに通わせたりもしましたが、馴染めず、行くのを嫌がり、機嫌が悪くなり、母に当たり、逆に負担が増えてしまいました。



その間も日に日にパーキソン症状はすすみ、母が買い物で出かけてる間に1人で歩いて転んで擦り傷や打撲などのケガが増え、また1人でトイレに行くこともままならなくなり、母が支えなければいけない状況でした。

転んだ時も母が起こさなくてはならず、母の力ではうまく起こすことができず、母も腰や膝を傷めていました。



そして離れて暮らす私には、母からの1日に何時間もの愚痴電話。

離れて暮らしているので、たまに病院に付き添える時には一緒に行ったりはしていましたが、あとは愚痴を聞いてあげることくらいしかできないなと思い付き合っていました。


母が相当精神的にやられてきているのはわかっていたので、私がケアマネさんと連絡を取り合って色々相談などもしていました。


そして何度かケアマネさんと連絡をとる中で、また入院させることにしようという決断に至ったのです。



最初の入院から約三年が経過していました。



続きます。