審査というもの | 宇都宮の書道教室【啓桜書道教室】

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衆院選がやっているわけですが、


有権者が立候補者を、一票を投じて選ぶ。

人の上に立つ指導的立場に在るものは、
そのもとで生活する多くの人によって選ばれる。

これが民主的な社会の在り方です。

当たり前のことです。



モノづくりをする人たちは、常に消費者によって見定められる。

これも当たり前のことです。



しかし芸術においては

上に立っている者が審査をして、下の者を選ぶ。

つまり審査員が、賞を決める。

公募展それが常だ。

上下逆で、民主的な考えとは実は逆行している。

当たり前のようになっているこのことのおかしさに、

誰も異を唱えようとしてはいない。



上に対して下の多くの民意が反映されない社会は、

大なり小なりおのずと封建的で閉鎖的な社会になる。

歴史が証明していると思う。


常に上の者は、下の者によって、

つまり年長者は、若者によって見定められるべきであり、

年長者はその見定める力を、若者に伝えるべきなのだ。


なぜ、芸術の審査は、下の者が上の者を選ばないのか?

あまりに専門的だから?

芸術とやらはそんなに高尚なものなのだろうか。


専門家にしかわからないものは、二流だ。

専門家だけが選べる芸術作は、二流作だ。


年長者は、もっと自分が見定められようとするべきだし
そのことに誇りを持つべきだ。


じぶんがジジイになったときも、

ずっと危機感を持っていたい。


自分のこれまでに ふんぞりかえったような人間にはなりたくない。

偉そうなツラするくらいなら、

今と変わらず バカでおどけていたいね。