納豆嫌いである。
そのわけは根深い。

まず、
生家ではそれが食卓に上ることが全くなく馴染みがなかった。
そもそもふるさとでは納豆を売る店もなく
一般的に流通する食品ではなかったのだ。


さらに、
上京して大学の寮生活で出会った納豆はひどく不味かった。
毎週日曜日の朝のメニューで
たっぷりの卵液に納豆が泳ぐといったシロモノ。
ご飯にかけると納豆入り卵かけご飯という体裁になる。
大好きな卵が納豆で台無しになり辛かった。


だが今は
納豆の栄養効果は充分承知だから
周期的に
カラダのために食べねば…という気持ちになっては買う。

出来るだけ納豆臭くないもの、
極小粒…とうたってあるものを選ぶが
それはたいていは三個セットになっている。

そして
たいていは一個か二個食べてウンザリして
残りは賞味期限切れに。


今回も
魔がさして買ってきて
今のところは
三個食べ切る覚悟でいる。

どうせ苦手ならもう一つ苦手と合わせて
納豆キムチに。
ネギはベランダ産。


 


キムチが苦手なのは
唐辛子🌶️に弱いからだ。

タイの市場では
積み上げられた唐辛子の香気に咽せて
くしゃみと咳が止まらなくなった。
そんな風だから
たぶん韓国へは一生足が向かないと思う。

ずいぶん前のことだが

仲間たちと鍋を囲むことになった折に
女子のひとりが他に断りもナシにいきなり
「私辛いの大好き❤」
と鍋にキムチを大量に投入し
私は全く食べられなくなったことがあった。

好悪は人それぞれ。
自身もワガママ者だが
人のワガママを目の当たりにするのも辛いものだ。

キムチにはそんな辛い記憶もまとわりつく。


その苦手なキムチが
苦手な納豆と合わせるとまろやかになって
むしろラクに食べられると知った。

しかもそれは
栄養学的にも最高の組み合わせだそうだ。

それを晩ごはんに食べる。

納豆に含まれるナットウキナーゼは
血栓予防や骨粗鬆症予防に効果的。

血栓ができやすいのは朝方、
晩ごはんに食べると
ちょうどそのころ効果的に働いてくれるらしい。

また、
朝ごはんに食べるメリットは
主として整腸作用、
便秘解消にも働くそうだ。


とまあ、
知識で味付けをしながら
苦手な納豆キムチを黙々と食べたら
不思議な達成感と満腹感で
ご飯が要らなくなった。


納豆キムチダイエットというところか。





うさぎうさぎうさぎうさぎうさぎ


TVを点けたら
アスリートたちが
雨に打たれながら走っていた。

音を消して本を読み、時折画像を見る。
 
雨はいよいよ激しさを増してきた。

ずぶ濡れの彼女が跳ぶ。


濡れたトラックで滑らないか、

踏み切りは大丈夫か?


ついハラハラ。




 


もちろん陸上に格別の興味もなく
陸上選手に知る者も贔屓もいない。

ただ
こんな悪天候の悪条件下でも黙々と走り跳ぶ姿から
しばし目が離せなくなっただけだ。




彼らが目指すのは勝利、あるいは好記録、

さらにはオリンピックの出場権かもしれないが、


スポーツ知らずのけいあゆは

しとどに雨に濡れて

ひたむきに走り跳ぶ彼らに

小さな慄きを感じた。




さても平安の昔

女の元に通う男の足を止めるのは雨。


舗装されていない道を

雨の中行くのは

牛車であっても一苦労、


それを敢えて通うところに

愛情の深さを感じ感激する女も多かったようだ。




数々に思ひ思はず問ひがたみ

身を知る雨は降りぞまされる 

(愛されているかどうか尋ねることはできないので

それに代わって自分の身のほどを知る雨がいっそう激しく降ることだわ。)

 

『伊勢物語』にもこんな歌があって


"雨が降る中訪ねて来るか否かで

自分が愛されているか否かがわかる"

と言わんばかり。


そんな歌を女から寄越されたら

放ってはおけない。

男は慌てて雨に濡れてやって来た

というオハナシがある。


女の歌は実は彼女の主の在原業平の代作

というオマケ付きのエピソードだ。


其処から「身を知る雨」という歌語も生まれたほどで

『蜻蛉日記』の道綱母も

そんな歌を兼家に送ったりしていたようだが、



『枕草子』では

そんな女たちに対して


「普段疎遠なくせに

雨の日にわざわざやって来て

どうだ❣️と言わんばかりの男、

魂胆が見え透いていて私はイヤだわ。

それならば普段マメに通えばいいじゃない

それが誠意というものよ」


といかにも清少納言らしく反発している。


清少納言の天邪鬼ぶり、 

クールさが格好いい。


まあこれも好みの問題で

"生意気な女は好かん"という男が多いことは重々分かっている。

生意気さを受け止める度量が欲しいものだが。



去年の夏には

孫とそんなハナシをしたりもした。





雨は

古文も思い出も連れてくる。



線状降水帯…

そんなものは昔はなかったろうが

賀茂川もよく氾濫して都の人々を苦しめたようだ。



六月の京都、

夕暮れの三条大橋は涼やかな風が吹いていた。