『四人の会』のLINEに
一枚の画像が送られてきた。



それは
K先輩の高校時代の一枚、
"裸足の証拠写真"なのだそうだ。

彼は高校時代校舎内を裸足で過ごし

それを咎めた先生に理路整然と反駁して
怒りを買いビンタを食らったり

それを心配した先生(それも数名)から
「上履きを(お金がなくて)買いきらんとなら
買うてやろうか」
とまで言われたそうだが、

結局三年間それを通して
ついにはそれに憧れ
追随する後輩まで現れたらしい。


彼は今回
阿蘇での同期の喜寿の集まりに出て
"証拠写真"を手に入れたという。


彼は私の三年先輩、
私が入学したのは彼が卒業した年で

彼の噂はまだ語り継がれ
残像も残っていたらしいが

私はそれとは無縁なところにいた。


現役で東大に入った夏に彼が学校に現れた時、
校舎の窓からスズナリになって彼の姿を見ようとする仲間たちを

自習しろと言われているのに
何をバカ騒ぎしているのか…
と冷ややかに眺めていたのだった。


それからずいぶん後になって
親しく話をするようになり、

その一見キテレツに見える振舞いや来歴にも
彼なりの筋道や深い存念があってのこと、と知るが、

例えば
生徒会活動を地元の枠を飛び越えて
中国四国地方の高校の生徒会訪問まで
企画実行したり

その帰り道、
停車駅でうどんを食べに降りて
食べている間に列車が出てしまうという失策をしでかしたり


好きな下級生の女の子が窓の前を通ったのを見て
授業中にも関わらず窓から飛び出して追いかけ、
とはいえ何と話しかけていいか分からず

「おーい」と呼び 
「ベトナム戦争ばどげん思うね❓」と問いかけたが

「うちゃわからん」(私には分かりません)と彼女は答えて去ったとか。



これには続きがあって

「授業中教室の窓から飛び出したことで
先生がたいそうご立服」
と友人から聞いて
謝りに行くと
思い切りビンタを食らったそうな。

日頃叩き慣れていない、それも小柄な先生が
大柄な彼を叩く手がうまく頬に当たらず閉口したと聞いた。

その先生は
高校2年で私も習うことになった真面目な数学教師、
それこそ眠いばかりの授業で
"いっちょんわからん"だった。

自力で高校数学はとうに終えていた彼には
その授業から学んだ記憶がないそうだ。




さらにベトナムに関しては
彼の発案で
生徒会が主体となって
ベトナムに毛布や薬品を送る活動を進めた
という。

大学時代には
ベトナム脱走兵を下宿に投宿させるという
稀有な偶然もあったらしい。


さて
学校中に知れ渡っていたという彼の恋は
一方的な思いのまま成就はしなかったようだが、

彼女の家を唐突に訪ねて
彼女自身が不在でも
そのおばあちゃんとお喋りして帰る
などということもあったらしく

そのお宅ではウワサの男で人気者でもあったらしい。


彼を巡って毎日何かしらオモシロイことが起こるので
当時同級生たちの家では
「今日のKくんどうだった?」
とお母さんが聞くほどだったとか。

というのは

私の友人たち、
例えばティンカーベルも大津のSちゃんも…
ちょうど三歳上にお姉さんがいて
彼女たちはお姉さんの話を通じて
K先輩の高校時代を
具に伝え聞いていたらしいのだ。


高校時代
「えーっ K先輩を知らないの⁉️」
と皆に驚き呆れられたが

姉も兄もいない、噂話が極端にキライな母、そんな環境の私が
K先輩を知らないのは必然である。

新宿駅付近に寝泊まりして(野宿して)いたこともあり
それが「東大生フーテンK」として
週刊誌に取り上げられたこともあったらしい。

ずうっと後で
その経緯を聞くと
どうやら下宿を汚した?ために追い出され
面倒だから新宿東口で過ごしていた
ということだ。
たまたま週刊誌の記者が"東大生"というのをオモシロがって記事にしたらしい。


それも当時
ふるさとの街では週刊誌が売り切れるほどの大騒ぎだったらしいが
ウチでは話題にもならなかった。


大学時代、世界を見たいと旅に出て
ヨーロッパを中心に一年ほど放浪した話は
のちに直に聞くことがあり写真も見せてもらった。

1ドル360円、海外旅行など夢のような時代である。

あちこちの大学の寮に泊めてもらったり
食堂で皿洗いのアルバイトなどをしながらの旅だったそうだ。


☆スウェーデンでの一枚。
流石にもう裸足ではない。


そんなブランクのために

数学科に進むことは出来なくなったが


きっとその一年間も

今の彼に繋がっているのだろう。







K先輩の京都暮らしも

二年近くなった。


いわゆる観光名所も

一見さんお断りの京料理の店も

きっと縁がないままだろうし


京美人と出会ったハナシも聞かないが


お気に入りのカフェや

街食堂はあって


好きな散策路もいくつかあるらしい。



いい本屋もある街だから

何より物理、地学、生物の最新の研究から先端の医学、

そして哲学に至るまで

その読書は進み

思索は深まる一方だという。



「そのために京都に来た」

そんな時間を楽しんでいるらしい。



さて

K先輩とは全く違う嗜好だが

けいあゆももっぱら読書三昧。


時々呪文のようにアタマ、カラダ、こころ…と唱えながら


美味しいもの、栄養豊かなものを模索したりしている。


海苔とズッキーニのサラダをリピート。



豚バラ大根には茹で卵がお約束。



そして

この一杯には

大根、人参、さつま芋、小松菜、榎茸、

それに餅が入っている。

(餅は賞味期限切れ間近で消費する必要アリ)


もちろん

ご飯不要のオールマイティーな一杯。






そんな晩ごはんの

気になる塩分過多は

朝の果物のカリウムで追い払う。


箱買いしたoisixのはちみつ林檎酢には

不足しがちな鉄分もたっぷり。


宮崎の日向夏、カテッジチーズにナッツと。




今日も曇天だが

花たちも私も元気だ。







ちなみに私は高校時代

上履きに皆が履くズックがキライで


ヒールのあるサンダル(いわゆるつっかけ)を

上履きにしていた。


思い起こしてみると

上履きには校則の縛りはなくて

何を履くのも履かずに裸足なのも自由なのだった。


ソックスもキライだったが

まだストッキングが高価な頃で

渋々ソックスを履いていたような気がする。


ピンヒールではないにしても

ヒールとの付き合いはずいぶん長い。