Ican’t stop excited.

ワクワクが止まらない。





読み進めながら

その先が楽しみで

目の勢いもページを繰る手もどうにも止まらない。





朝の珈琲も茶菓も飛ばして

読み耽る。


かつて学んだ哲学者たちの論が

次々と取り上げられる。

社会学的な言及も多々ある。


決してイージーな内容ではない。

雑に読んだのでは理解は阻まれる。



手強さが快感❣️


そんな本に出会えて

なんてしあわせなんだろう。


そんなことを思いながら午前中を過ごした。




雨予報があって

その通りに雨音が聞こえ始めた。


朝一番に水やりをして損した❗️

なんて思いながら

雨を眺めやる。




ランチタイムも過ぎ

さすがに空腹を感じて

手間ひまナシのランチを食べる。


昨日買って来た墨繪(すみのえ)のパンを主役に



前日のスープ煮を細かく刻んで

牛乳とチーズを加え

クリームスープにリメイク。

キッチン鋏を鍋に突っ込んで直に刻むなど

ひとりごはんならでは。

加えた緑は蕪の葉のいいところ。



ほうれん草の巣ごもり卵。

同じように焼いているのに

片方は固く、片方は半熟とはいかなることか。






食べながらも本を読み耽る。





うさぎうさぎうさぎうさぎうさぎうさぎ



かつて仕事帰りによく寄ったお好み焼き屋で

そんな風に本を読んでいると


「いっつも本読んでるねー、食べながら読んでアタマに入る⁉️」


と鉄板の向こうから焼き方のお姐さんが

大阪弁で言い


「そんなに本読んだら世の中にもう読む本なくなるんと違う?」


とまで言い募るのだった。


彼女は

「自慢じゃないが最後まで読んだ本はない❗️」

と豪語する人、


本は読まなくても

アタマの回転のいい人で

絶対に注文も勘定も間違わない。



私はといえば


「TV見ながら食事する人いるよね、私のはそれと同じ」


と軽く流していたが


彼女にはそんな私が異質な存在に思え気になって仕方ないようだった。


実に、人はそれぞれ…である。


活字中毒者である。

手あたり次第読んでいた時代もあった。

『国文学解釈と鑑賞』、『ユリイカ』、『現代詩手帖』…『フィガロ』『栄養と料理』…購読していた雑誌も多様で枚挙に暇ない。



やがて

プライベイト読書の嗜好は

小説より評論へと移ろう。



達者なストーリーテラーの書くものの中には

そのストーリー展開に突き動かされ先を急かれる本もあるし

泣けとばかりにサビを効かせた作品もある。


その手に乗るもんか、

泣かされてたまるか、

と闘いながら読むこともあった。(笑)


そういう本に限って

文章の美しさに乏しく

ディテールに味わいもなく

二度読みたいとは思えないものが多い。



今は

そうして読み捨てる本は

カード会社の広報誌などと一緒に

お風呂の中の娯楽本と割り切っている。

あるいは電車車中の暇つぶし。



七十路の私には

それらに費やす時間が惜しい。



そんな私を夢中にさせた一冊。


何しろ"退屈"についての考察、

"退屈"を哲学する一冊というところが気に入って手に取った一冊である。


ご存知の通り

けいあゆのブログタイトルは

「けいあゆうさぎの退屈のない毎日」


幼い頃から「退屈だぁ〜」が口癖で


当時TV放映されていた『旗本退屈男』をもじり

祖母の店の屋号を冠して


「○○○○○退屈オンナ」


と女中さんたちが揶揄していたほど。

つまり日々退屈と闘う少女だったわけだ。


そんなけいあゆの口癖が止んだのは

世界の文学に親しむようになって

アタマとこころで

時を遡り世界を駆け巡り

刺激的な日々を送るようになったからだ。


それからは本が友だちの半世紀。

研究も仕事も趣味も娯楽も読書

という日々が続いた。


そして今も。

今日はおしゃれもメイクもそっちのけで

本に向き合う。



うさぎうさぎうさぎうさぎうさぎうさぎ


さて閑話休題、

ここで話を当該の本に戻すと


それは一般的には

読むのが決してラクではない一冊だろうが


私には長年の読書経験から

それを読み理解することは難くない。


著者の優れた分析と総合のチカラで

"暇と退屈"が哲学的に考察されていくにつれ


まるで恋人と語り合っているかのように次の言葉が待たれて

ワクワクが止まらない状態に陥ってしまったのだった。


幸い七十代の今も老眼もなく

長時間の読書も苦にならない。





本を読む時は

珈琲など楽しみながら…

ということも多いが、


今日は

それも忘れて読み進めた。



それにしても

昨日ふと手に取ったコレが


実は2011年に出版され

一昨年文庫となって既に19刷、


なんと高校教科書にも採録されている

ということを知って


多少の苦い思いも湧いた。


かつての私なら新刊を中心に

常にアンテナを張って

この本を見逃すことはなかったろうと思ったからだ。


専門分野の本はともかく

模試や入試問題の作成が常に念頭にあった時代は

専門外の分野においても

常に読むべき価値ある本

受験生に読ませるに相応しい本を求めて

本屋を渉猟していたものだった。


この本には

そんな問題の素材に使えそうな箇所がいくつもある。



出会うのが少し遅くなったが


若い研究者の書くものに

いちいち感応しながら時を過ごすのは

なんとも言えない快感である。




午後4時過ぎてようやく珈琲ブレイク。











またもや豪雨予報が来て



予報を上回るような激しさで

雨が窓を打った。




本を読む時は

音楽さえも要らない

無音が一番というけいあゆだが


激しい雨音は

無音と同じでむしろ心地よい。


目に役立つサプリやクスリを飲んで



お腹が空いて我慢ができなくなるまで読み耽る。


うさぎうさぎうさぎうさぎうさぎうさぎ


晩ごはんは

途中ひと休みして作り置いたお弁当で。






中身はこんな三色ご飯と味噌汁。


生姜をきかせた薄味の鶏そぼろとしっとり炒り卵、そしてグリーンアスパラガスとひじき入りとおからの炒り煮。



味噌汁は蕪の京白味噌仕立て。

まったり甘い味噌汁が沁みる。



ずうっと作りたくて作りそびれていたメニューだったので満足である。




そのためのお弁当だから

もちろん本を読みながら…


「行儀が悪い」と

それに眉を顰める人はいない。


ひとり暮らしのしあわせなんてそんなもの、


兎にも角にも

今日も退屈とは無縁のけいあゆである。